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圧倒的に長時間の妄想の中で生きるということ

昨夜、居間のソファベッドに転がってなかなか寝ない娘に夜食を食べさせたり飲み物を飲ませたりしているうちにどんどん気力が失われていきます。全然寝ないので諦めてサッカーのブラジル対クロアチアを見始めたら目が離せなくなってしまいました。

結局、自分の部屋に移動した娘が寝て静かになったあともPKまで見届けてしまいました。ブラジルのフォワードのアントニーが滅茶苦茶いい悪い顔をしていてグッときました。そしてクロアチアのキーパーが本当にすごかった。最後は劇的な幕切れ。アントニーも泣いてたよ。

寝坊する気満々で寝ました。和室のベッドです。布団も暖かくして快適に眠りました。夢も見たな。また事故に遭ってる夢でした。最近そんなのばっかりだ。

朝、娘がいつものように加減せずにドアや冷蔵庫を開け閉めする音で目が覚めました。時間を確認すると7時でした。眠い。でもこのタイミングで薬を飲んだもらわねば。

必死で起きて薬だけ飲んでもらいました。娘はおとなしい感じ。眠いのかそれともよく眠ってすっきりなのか判別がつきません。朝食は要らないそうです。

米を研いで吸水。あとで炊くつもりで二度寝です。

起きたら昼に近い時間でした。ちょっとすっきりしたかも。ご飯を炊きます。炊けるのを待ってぬか漬けとかあるもので朝食というか昼食というか。今日は久々に美人玄米を入れました。美味しい。

何もやる気が起きないのでダラダラYouTubeを見たりしています。木曜日に色々と用事を片付けておいたので今日は特にやることがありません。年末年始に予定している趣味のサイトリニューアルの準備をしなければと思いますがやる気が出てきません。

娘が起きてきました。なんとなく声をかけずにいたら、昨日の夜に買って冷蔵庫に入れておいたカキフライとメンチカツとぶり大根と手羽塩焼きを勝手に出して食べていました。

時間を見るともう1時半です。燃えるゴミ、お昼までなのに出し忘れたよ。水曜日も出し忘れたから二回目だ。今度の水曜には絶対に出さないと。

娘はひそひそと小さな声で妄想独り言を喋りながらお惣菜を順番にゆっくり食べています。たまにオエッとなっています。あとで片付けが大変だから吐くなよ。

そのままにして部屋に戻っていたらだいぶしてから娘がやってきました。

「お腹いっぱい。残り、あげる」

なんだよ、要らねえよ。

食べかけのメンチカツが残っていました。だからなんなんだよ。

部屋に戻った娘はすぐにまた妄想独り言を喋り始めました。どうしてもやめてくれねえんだ。

(元)妻は「慣れた」と言っていましたが、あれは嘘だと思います。朝も昼も夜も途切れることなく続く妄想独り言、私はまったく慣れません。心の底から不快です。

夕方、眠くなってきました。昼寝というか仮眠せねば。ラジオを聞きながらと思いましたが、眠気がひどいのでそのまま寝ます。あっという間に熟睡。

ドガッドガッ。

静かにするということが出来ない娘が部屋から出てきたようです。こっちに向かってくる。無言でベッドの横に立ちます。娘は身長こそ163センチで私より10センチ以上低いのですが体重は私より10キロ以上重いのでベッドの横に無言で立たれるとかなりの威圧感があります。怖いです。

「なになに」

やられるかと警戒しながら身体を起こします。

「なんか食べたいの?」

私が聞いても娘は答えません。無言でまたスーッと、いや、ドスドスっと戻っていきます。

途中で居間の時計を見上げたようです。

「もうこんな時間か」

こんな時間かって、ずっと独り言喋ってたじゃん。今日も独り言喋ってる以外なにもしてないよ。

いや、考えてみると娘は病気を告白して薬を飲むようになってからずっと独り言を喋り続けています。目撃してはいませんが、学校に通っている頃は家の外や電車の中でも喋っていたはずです。中退した大学では試験会場の最前席で身体を後ろに向けて試験に向かう他の学生たちに向かってわけの分からないことを喋っていたと聞きました。大学をやめて家にこもるようになってからもう6年か7年でしょうか、その間、ずっと独り言を喋り続けています。

今の娘にとっては独り言を喋っている妄想の時間が生きている時間のほとんどすべてです。妄想以外はぼんやりとしたよくわからない時間に過ぎません。妄想以外を現実とするなら、娘にとって現実とはあるのかないのか分からない曖昧なものです。

思い当たるふしは幾つもあります。たまに外に出た時など、外の世界が本当にあったことに驚いているようにすら見えます。工事でもなんでも私以外のヒトが家の中にやってきた時も、私と(元)妻と医師以外の人間がいたことを信じられない雰囲気もあります。テレビの中の芸能人と妄想の登場人物との区別がつかないような時期もありました。今は妄想こそが生きている本当で現実のほうが嘘くさく信じられない虚構に思えているのかもしれません。

もう、妄想の中から戻ってくれないのでは。

夜の薬を飲んでもらったあと、部屋に戻った娘はまた独り言を喋り始めました。今日の私は娘が喋りだすその都度「独り言はやめて」「ずっと喋ってるけどどうして独り言を喋りたいの」「喋らないでいられないの」などと娘の部屋の閉じられた扉越しに問いかけています。

「もう何年もずっとひとりで喋り続けてるよ」

「これからもずっとひとりで喋り続けるの」

私が年老いても娘は喋ることをやめないのでしょう。

他になにもやることがないのです。本は読まないテレビも見ない、カップ麺の作り方さえ読まなく(読めなく?)なりつつあります。『ワンピース』も『ちいかわ』も、パラパラっとめくって「見たよ」というだけです。

ですが、娘は昔からそうでした。本を読んでも内容が分かっていないのです。だから、算数や数学でも文章題になったらお手上げでした。なにをどうしたらいいのかがわからない以前で、文章が読めないのです。

妄想は娘の理解を超えることはありません。暴君による死刑、罪人による謝罪、人々の噂話、妄想彼氏の冗談、内容が苛烈なものであったとしても、娘の考えるありきたりのストーリーは娘にはわかりやすくやさしいはずです。そりゃそうでしょう、自分で妄想していることですから。

妄想に閉じ込められる以前の娘の現実が娘にとって心地よいものであったとは限りません。

平凡でありきたりの妄想の世界は現実より遥かに居心地がいいのかもしれません。

戻りたくない?

そんなはずは……。

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