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❨807❩1973.11.14.水.晴/New York 出発・一生忘れる事がないだろうな/ニューヨーク:アメリカ合衆国

明日か明後日にここを発とうと考え乍ら、一日が惜しくなり、切符を買った後、自由の像を急いで遊覧船に乗って、見た。
デッカイのに驚いた。

帰ってすぐ、荷をまとめる。

スーザンに電話で伝えると、とんで仕事から 帰ってきた。およそ、アメリカの女の子とは思えない心遣いをしてくれた。

俺の今夜の為に、ドーナツと、俺の好きなチーズケーキを買って持たせてくれ、荷造りの手伝いをし、タクシーに乗る迄、一緒に来てくれた。
最後を、どうもテレくさい(会った時も)、アメリカン・スタイルで別れた。

どこかアメリカ人らしくない所もあり、楽しい女の子だったと思う。まだ子供くさが残っており、よくふざけて西語で、イーホ・デ・マードレ、イーホ・デ・プータなどと、女性の禁語を云っていた。
怒って、ファック・ユーという時が一番おかしかった。

ペンと居る時は、大将の様にいばっていつも自分の云いなりにしていたけど、俺には親切で、女の子らしくふるまっていた。

日本へ来た時、助けてやろうと思う。
彼女のお陰で、ニューヨークが楽しかったのかも知れないな。また会えるといい・・・


今、飛行機が上がった。
ニューヨークの夜景が実にスバラシイ!
クモの糸の様に、赤や白や青の明かりが東西南北に延び広がり、美れいだ。

一週間前に橋から見た夜景を、空からもう一度眺め乍ら、このニューヨークの想い出を、アメリカの旅を、静かに振り返ってみた。

一週間という短いつき合いだったが、何かしら、どこの土地にも味わう事の出来なかった、ドロ臭いような親しみを感じる。
もう来ることはないだろう。
でも、一生忘れる事がないだろうな。

あのビル、あの人、あの車の波、地下鉄、ワシントン・ブリッジ、ハドソン河、リバティ・スタチュアも、この下の闇の中に溶けてゆく。

日本を出て、一緒の船で旅した人に、呑米 (アメリカを呑む)というペン・ネームをもら ったが、俺は、南と北を四苦八苦して呑んだ。
消化不良気味だが、兎に角呑めた事、それだけは事実として残った。

過ぎし日を
忍び想うも
旅の楽しさ

呑米

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