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留学日記#15:変わりゆくものと、変わらないもの

はじめに

留学から帰国して、1ヶ月少しが経ちました。帰ってからしばらくバタバタしていて、なかなかじっくり振り返る時間がなかったので、今になってこの半年のことを思い返しています。

不思議と、寂しいとか、帰りたいと思えることはありません。日本からオランダに適応するのは難しくても、オランダから帰ってきて日本の生活に慣れるのは楽でした。それに、やはり住み慣れた町、親しい人、美味しい食べ物に囲まれるのは幸せだなと思います。ということは、やっぱり日本の方が向いてるのかも。

それでも、この運河沿いの街はやっぱり綺麗だったなぁ〜とは時々思います。笑

今思い返せば、大変なこともたくさんありましたし、無茶なこともだいぶしました。一泊€18のホステルに泊まって、囚人部屋か?というほど汚くて狭い9人部屋で2晩明かしたり、宿泊代を浮かせるために夜行バスに連泊したり、節約のために昼食を抜き、電車2駅分を歩いたり。肌寒い夜のブリュッセルでそれをやって、帰ってから38℃の熱が出ました。

変わるものと変わらないもの

留学は自分にとって新たな経験でした。自分にとって新しい経験をしたときに、「自分がどう変わったか」を考える。それは確かに重要かもしれません。その「変わった」というのは、往々にして「成長」を意味していることも多い。

一般的に「成長」はよいことだとされます。新しい経験をして、新たな出会いをして、その結果、自分にとって好ましい変化が訪れる。それがいわゆる「成長」という言葉の意味だと思います。「成長」できた自分に出会えることは嬉しいけれど、成長ばかりを追い求めていと、なんとなく疲れてしまう時もあるかもしれません。

けれど、どんなに時が経っても、どんな人と出会っても、どんな素晴らしい経験をしても、変わらないものだってあるはずです。それこそ、自分の中で大きな軸というか、自分にとって大切なものなのではないか。それこそが、自分を形作るものであり、自分の「個性」「かけがえのなさ」なのかもしれません。

変化が急速な時代?

「変化」という言葉で思い出したのが、ゼミの夏休み課題で読んでいたジェームズ・メイヨール『世界政治』のなかのある記述。彼は次のように書いています。

おそらく変化したものより変化しなかったものの方こそ、説明する必要がある。貧困同様、変化はこの世の常である。変化に耐えて存続するものこそが、真に注目すべきものではないか。

ジェームズ・メイヨール『世界政治 進歩と限界』

いまは変化が急速な時代だと言われます。(もっとも、僕らの世代はここ10年くらいずっと言われ続けてきたので、あまり実感がないのですが…)まさに今でも、「コロナ禍によって世界がこう変わる」「ロシアのウクライナ侵攻で世界はこう変わる」「科学技術の進展によって世界はこう変わる」と言われ続けています。そして確かにそれはある意味で正しい。

けれど、変わるものがある一方で、変わらないものがあるのも確かです。決してすべてが変わるわけではない。

コロナでリモート化、オンライン化は進んだけれど、やはり人が人に直接会いたいという欲求は変わらないし、対面での円滑なコミュニケーションを求めるという欲求も変わらない。

地球温暖化や気候を前にエネルギーの改革がなされているけれど、大きな変化というのはそう簡単には起こらない。やはり石油メインであることに、大きな変わりはない。変化は少しずつ起こっていく。

冷戦が終結した時に、これからは世界はグローバル化の波に包まれ、自由・民主主義といった価値を重んじるようになり、世界中の国が民主化する、という楽観論が蔓延っていた。それに対して、メイヨールもまた、大きな異議を唱えました。世界には実に多様な人、文化、価値があるのであって、この世界は依然としてプルラリズム(多くの価値が併存している状態)であり続けると。

歴史的に大きな出来事が起こったとき、人々は大きな変化を目の当たりにします。そして、これからの世界はこうなっていくと予測する。しかし、いま変わっているもの、変わりやすいものというのは、また何かの拍子に簡単に変わってしまう可能性が高い。トレンドを追い続けることも大事ですが、そのトレンドもいずれは廃れてしまう。「今」を追うだけでなく、「ずっと」をきちんと見極める。それが地に足を付けるということです。

歴史を学ぶのは、それが現在あるいは未来の世界を考える引照基準になるためであると同時に、時を経ても「変わらないもの」を見極めるためでもあります。国境を越える活動が活発になっても、人は依然として「国家」という枠組みを頼る。比較的「平和」な時代になったとしても、自分の利益を追い求める人間の本性は変わらない。ともすれば戦争に至るのも変わらない。それが、ある意味でこれまでの世界を根底から規定している「枠組み」であって、それは歴史を学ばなければ見えてこないことだろうと思います。

過去から今に至る「変化」を学ぶことで、「変わらないもの」すなわち世界を規定している枠組みを見出す。そして、今の世界で「変わりつつあるもの」と「変わらないもの」を見極め、将来まで見通す。これが、歴史を学ぶ意義なのだろうと思います。

自分らしさを見つけるために

話が難しくなってきたので、自分レベルの話に戻します。

今までの人生を振り返ると、自分にとって転機になるような出来事がいくつかありましたし、それはきっと皆さんにもあると思います。その出来事をきっかけに自分がどう「変わった」か、を知ることで、今の自分の性格であるとか、価値観といったものを見出すことができるでしょう。

けれどその一方で、どんなに経験を重ねても、「変わらない」ものも、あるのではないでしょうか。高校に入っても、大学に入っても、留学に行っても、就活を経ても、就職して働き始めても、それでも変わらないもの。それはきっとあなたを根底から規定するもの。それを世間では「個性」と呼ぶのかもしれません。

世間では、「変わる」こと、「成長する」ことがよしとされているかもしれない。けれど、「変わらない」ことに目を向けることも大事なんじゃないか。「変わらない」ということは、それだけ身に着いていることであって、長く続いていることだからです。それにはそれなりの理由があります。そのわけを深掘りしてみると、自分が今まで見えていなかった自分が見えてくるかもしれません。

その意味で、決して「変わる」こと(成長すること)だけが善なのではないのだろうと思います。大学に入ったから、留学したから、就職したから、「変わらなければいけない」と気負う必要もない。変わったなら変わったでそれで良いし、変わらなかったなら変わらなかったで、その変わらなかった自分を大切にすれば良いのではないでしょうか。

重要なことは、常に「変わらないもの」を見極めながら、今「変わりつつあるもの」を丁寧に追うこと、その両方をバランスよく進めていくことなのではないかと思います。それは、自己分析(?)にしても、世界の情勢を読み解くときにしても、本質的なことは変わらないのではないかと思います。

周りの同期からは1年遅れてしまいましたが、もうすぐ就職活動が本格的に始まります。それを機に、もう一度「自分ってどんな人?」「自分がやりたいことは何?」を問うことになりますが、僕も「変わるもの」「変わらないもの」の両方を見極めていきたいと思っています。

オランダ、デルフトにて


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