モンターニュの折々の言葉 353「生きるための進歩とは」 [令和5年3月31日]

「このとき俺は、馬の群れが森の中にかたまって、木のかげで吹雪を避けているのを見た。この地方では馬を野外に放ち飼ひしているのだが、冬になって、雪が降っても放牧をつづけている。そういう話を俺はかねて聞いてはいた。だが、現場を見るのは初めてだった。内地の馬とちがって、脚が短く、小柄なこの道産子(――北海道生まれの人間のこともそう言うが)は、広漠たる原野のなかで、ひとしほ小さく見えるのだった。(中略)あの道産子の先祖は北海道がエゾと呼ばれていた頃、アイヌと交易するために本州から船で北海道へやってきた「和人」が使役用に連れてきた馬である。その馬に荷を積んで、奥地へはいってアイヌと物物交換をして、冬近くになると港へおりてくる。そしてエゾから引き揚げるに当たって、荷が重すぎたとき、彼らは使役馬を置き去りにして自分たちだけが船に乗った。雪のなかに捨てられた馬の群れは、それこそ「死ぬやつは死んで」強い馬だけが生き残った。必死に生きのびたその子孫が今の道産子で、「もともとは南部馬なんだから、あんなになりが貧弱だったわけじゃない。艱難辛苦の末に、今みたいに小さくなっちまったんだ。だから、よく見ると内地の馬とちがって、みばは悪いが、がっちりした体つきをしているよ」「雪を足で掘って、ササの葉なんかを食っているさ。それもなくなりゃ、お互いの尻尾やタテガミを食って生きている」」

高見順「いやな感じ」

 どうもいけません。前にも書いたような気もしますが、日本人はこのままでいいのだろうかということです。自己責任という言葉が独り歩きするのは良いとしても、実際上、この自己責任が自分のしたことだけへの責任しかカバーできないのであれば、社会はどうなってしまうのだろうかと。本来、人間には、自分の行為への責任と、所謂社会的責任がある筈ですが、他人の行動に迂闊にコメントしてはいけない世の中。モラハラとか言われるそうで、なるべく触らぬ神に祟りなし的に、隣人の行動には無関心。関心があるのは自分だけ。

 よろしくないのは、学校の授業がそれを加速化している。一人一人がタブレットを持って、タブレットの中で学んでいる学習に他人は無用、とは言いませんが、そんな形で、日本人の多くの若者、いや若者だけではなく、高齢者も同様に自分しか関心がなくなっている。

 日本人がなかなかマスクを取らないのは、取ってコロナに感染したら、自己責任で、自業自得と烙印が押される。つまりは、スティグマという、汚名、不名誉を着せられることになる訳で、そうした社会的烙印も怖いでしょうが、先行きに不安のある人や、先が短い人は特にマスクは外さないでしょう。しかし、マスクを外さないという現象は、自分以外の他者を見返るような余裕もない証の一つでもあって、とても心配な現象であると、私は思っております。

 さて、先日、私がかつて少しだけお世話した政治家が98歳で亡くなっておりました。中山太郎元外務大臣が。特別親しくさせて頂いた訳ではありませんが、記憶にあるのは、彼が外務大臣の際に、パリに来られて、買い物をしたいということで、ネクタイ屋さんに。今もあるかどうかわかりませんが、シャンゼリゼ大通りの裏通りとも言える通りにドミニック・フランスという高級ネクタイ屋があり、そこでご所望の品を購入されました。当時、ここのネクタイは、エルメスのネクタイよりも高く、日本はまだバブルの余波があった時期でもあって、日本のお金持ちはこぞってこのネクタイを買い漁っておりました。で、中山太郎さんが、「君も好きなネクタイを1本取ったら良い」と言われて、群青色のネクタイを1本頂戴しました。

 後年、パリにお越しの際、今度はエルメス本店で、やはりネクタイを1本頂きました。お越しとは書きましたが、この時期に私がパリにいたという訳ではなく、私自身が日本から中山太郎さんと同じ飛行機でパリに行った際に頂いたものかはどうかは記憶が定かではありません。

 1994年秋に、政府専用機に乗って、当時の天皇皇后両陛下のフランス・スペイン公式訪問に同行してのパリでしたが、パリ到着の最初の夜は、確か内輪の夕食で、天皇皇后両陛下は大使公邸で極々身内の関係者と食事されていた気がします(フランス政府提供の宿泊内であったという感じはしておりませんが)。中山太郎首席随員は、大使館員(次席の公使)の案内でパリの3つ星の、ル・グラン・ヴェフールでお食事を。私も首席随員の通訳として同行しておりますので、不測の事態に備えるためにレストランに。不測というのは、料理を通訳したりするということでありますが、このお店は、パリのオペラ座にさほど遠くもなく、パレ・ロワイヤルの中の、ボジョレー通りの17番地にあります。歴史的建造物と言ってのよい程に、多くの著名人が訪れていますし、芸術作品の映画制作の舞台(例えば、プルーストの「失われた時を求めて」など)としても使われている場所であります。

 私がこの店で最初に食べたのは、家内と二人だけの夕食(私の誕生日だったかな)でしたが、2回目が中山太郎さんと、3回目は、パリ日本文化会館時代に外務省の先輩が出向していた組織のお偉い方がパリに来られた際に、磯村館長と共に招待されて参った記憶があります。お昼には、何度か友人とも行ったことがありますが、夜の食事は別ものですので、特に記憶に残っている訳ですが、この時は、私は前菜は、新鮮なコキーユ・サン・ジャック(ホタテ)の薄造りのマリネの料理で、メインは牛の尻尾の煮込み料理だったと思います。牛の尻尾のお肉は、何時間煮たかわかりませんが、歯がいらないほどで、舌さえあれば、歯茎さえあれば食べられるほどにとろけていて、フォワグラとトリフの風味も程よく、絶品でありました。

 3つ星レストランの料理が美味しかったから、他店での同じ料理が同じように美味しいわけではないのですが、しばらくは、どこの店に行っても、このテール料理を頼んでおりました。

 中山太郎さんと結びつくのは、ネクタイであり、そして、この豪華な、庶民には縁遠い高級レストランになるのですが、大阪の人は、しっかりものが多いというか、計算高い人が多い気もします。語弊はあるでしょうが、食事に行っても、10円、あるいは1円までしっかり計算して割り勘に。一度でもおごられると、死ぬまで、「俺はお前に、あんとき、おごったんやないか」と言われるとか。これはテレビでの大阪県民の紹介番組でのことですが、中山太郎さんには弟さんがいて、この方も政治家でした。この方のことは、またいずれ、時が来ればということになりますが、この方は特に気前が良かったかなあと(コルマールの星付きレストランでご馳走にもなりましたし、彼の通訳としてコルマールまで同行していたので、その通訳としての謝礼まで頂戴しました(沢山頂いて、今ならご法度なんでしょうが)。

 いずれにしても、大阪人も人それぞれなんでしょうが、大阪人とも言える、やはり私が多少お世話した元政治家の御仁は、未だに御健在でもありますが、こちらは締まり屋なのか、ケチなのか、それとも太っ腹なのか、未だによくわかりません。身近にいる訳ではありませんが、大阪人(大阪の文化を有している人)は、私が知る限り、私にとっては、皆気前のよい、善い人であります。

 何の話であったかわからなくなりましたが、そうそう、人との思い出というのは、そんな小難しい話ではなくてですね、何かとても良いものを頂戴したとか、あるいは美味しい食事をご馳走になった、割り勘だけども一緒に楽しくおしゃべしをして食事をした、そして共通の趣味である、私の場合はゴルフを心ゆくまで楽しんだ際の感動の記憶に結びついているということ。言葉そのものにも感動することは確かにありますが、そうした感動よりも、多分、人の感動というのは、もう少し身体的なもので、五感に関わることが多いのではないかなあということ。ですから、本を読んで、あるいは、私の折々の言葉を読んで、心が止まった(つまり感動した)といってもですね、感動が生きるためには、次の行動に影響を与えない限り、本当の感動にはならないということ。それは、言葉としては永遠の生命を持たないということであります。

 牛の尻尾のお肉に感動した、だから、その料理を極めようとするのは、感動のもたらすプラスの効果でありましょう。ワインもしかり。当然にゴルフもしかりです。私と一緒にゴルフをした人が、私のアプローチに感動した、寄せの凄さに驚いた、なんていうのがあってですね、自分ももう少し練習しようと、前向きに考えるようになるのが、私の考える理想的な思い出ではあります。いや、別にそうでなくてもよいででしょう。私を反面教師として見てもらえるだけでもよいのです。実際のところ、多分そうだと思います。

 今日のまとめです。高見順の「いやな感じ」は寝る前に数メージ読むだけの読書になっているのですが、北海道にいる道産子という馬が何故あのような形の馬になっていたかの歴史的なことは知りませんでしたが、ダーウインの進化論ではありませんが、環境への適応が全てを決めた、環境に適応できない馬は死んで、適応できた馬が生き残ったけれども、その環境が厳しいが故に、自らの身体を変えないといけなかったということです。人間もそうじゃないのかなあと。つまり、環境に適応するというのは、自らを変える能力がないといけないということ。

 日本が幕末から明治期に遭遇した西欧文明というものは、近代社会を代弁するものでありますが、基本的に、神を信じるよりも、個人を、そして科学を信じることにありました。文明は進歩であり、進歩を支えるものが個人であり、科学。科学的精神というのが、近代社会、そして今の現代社会を産んだとも言えます。しかし、この科学的精神とは、人類の進歩は、直線的に永遠に、無限に延びていくものというものでありました。そして、進歩というのは、人間そのものの進歩ではなくて、人間の外の世界を変えることでありました。自然環境を人為的に変えるのもその一つ。自らを変えるのではなく、あくまでも外的世界を、人間に都合のよいように変えることが進歩であり、それが西欧文明。

 少し考えればわかるのでしょうが、そうした進歩観があると、国というこれまた人為的組織に属して、「正義感」を抱くような人間は、縄張り争いをすることになります。何故なら、科学的進歩の結晶化の、最先端の武器を使って他国と競争をしないと、どっちがより進歩した国であるかが分からないから。そして、第一次、第二次世界大戦に至ったのでしょう。日本に投下された原子爆弾はそれを証明しています。つまり、西欧文明というものがたどり着いた先は、なんのことない、科学力が一番優れている国が偉いし、強いということを証明するだけだった訳です。人間そのものが優れた存在であることを証明するものではなかったということ。

 そう言えば、日本の防衛力というのは、一言で言えば武器の近代化であって、仮想的な敵国からの攻撃に反撃できる、最新の武器を増やすだけでしょう。人間の最高の叡智が活躍すべきことは、戦争を起こさない、しないということであって、そのためには、ハードパワーではなく、交渉力や文化力といったソフトパワーを強化しないといけないのに、それができていない。人の能力の進歩がないのが日本の防衛力であり、外交力なのではないのかなと。本当に抑止力を持ちたいならば、核兵器でしょう。これは武器としては最新で最強ですから。

 おっと、こういうとまたお叱りを頂戴しますが、科学万能という考えが今もあるようですが、果たして、科学力で、人間の社会は進歩したであろうか。確かに日常の生活はこうした科学の生み出す製品によって、便利になってはいるでしょう。ゴルフでも、クラブもボールも、そして手袋までが性能を向上させて、進歩しているように見えます。最新のドライバーを使って、ゴルフ仲間をぎゃふんといわせるような戦いをしたくなるでしょう。そんなもんなんです、人間は。

 しかしながら、一般のゴルファーのレベル(スコアの平均値)が上がっているかと言えば、そうとも言えない。社会全体としては、確かに江戸時代の頃に較べたら、飢えて死ぬ人の割合や、病気で亡くなる人の割合は減少はしているし、寿命は長くはなっている。しかし、人間そのものの身体能力もそうですが、知的能力や理性的、更には倫理的、力道徳的なものが向上しているかと言われると、そうとは言えない。少なくとも、コロナ禍で私が感じたのは、外部世界の進歩と人の進歩とは反比例していること。けっして、正比例はしていないということ。便利さが人間の身体能力を弱化させているのは、今の日本人の健康寿命が延びていないことにも表れているでしょう。

 仕事でもそうなんでしょうが、ゴルフでもそうですね。コースがゴルファーを作るというように、どんなコースでも必ず優勝できる選手はいないように、皆それぞれに得意なコースを持っています。ゴルフは好きなコースだけを回ることができるでしょうが、人生はそうは参りません。嫌な、苦手な仕事もしないといけません。そこで試されるのは、自らを変える能力があるかどうか、ということ。

 定職を持ってきた人は、皆それなりにこの能力があるからやってこれたのでしょう。問題は、退職後なんですな。その能力を持ち続ける、あるいは、更にバージョンアップできるかがまさしく鍵です。釈迦に説法ですが、人が真に変わるのは、敢えて苦労した、努力した時だけです。負荷をかけた生き方をした経験しかありえないと、私は思います。科学は数字を信じる宗教のようなもので、数字と言葉を信じて生きているのが現代人とも言えます。しかし、例えば、ゴルフで平均100を切れないゴルファーを侮ってはいけません。

 これは自戒を込めての話でもありますが、確かに過去において、100を切っていなくても、ある時に、あるコースで、火事場のクソ力ならぬ、意外な力を発揮するのが人間なんです。科学の論理をそのまま人間社会に適応してはいけませんよね。人間と人間とのお付き合いでは、数字からは予想できない、言わばAIでは見抜けない、人間の潜在的な可能性が現実に現れることを肝に銘じる必要があります。お金も数字です。あると思っていても、実はないかもしれません。数字を盲信してはいけません。人を信じる、自分を信じて、努力するのが本当の意味で進歩を得るための心構えではないでしょうか。

どうも失礼しました。

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