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京都一周トレイル®をゆく #1|伏見稲荷〜比叡山

 東山山頂公園から景色を眺めると、京都を囲う山々がどこまでも連なっていた。

 例えば槍ヶ岳や剣岳のような、登山の対象としてのスター選手はいないけれど、信仰や生活に寄りそう素朴な山々が京都にはある。歴史の香る街道を歩き、寺社仏閣の裏山をゆく。青々とした田園風景に出合い、時には山岳修行のための険しい山道を歩く。麓に下りたら地元の名物に舌鼓を打ち、補給を終えて、また、80km以上の道のりをつないでゆく——。

 これが、京都一周トレイル®の魅力だ。

 公園内を進むと「こんにちは!」と元気よく声をかけられた。おそらくボーイスカウトの子供達だろう。引率の大人に連れられて、公園の東屋で休憩しているところだった。ぼくも「こんにちは」と挨拶する。日差しが眩しく暑く照りつけ、容赦なく肌が焼かれてゆく。東山23番の標識から再びトレイルに入り、粟田口あわたぐちを目指して歩いていった。

 京都一周トレイル®は、京都の東南、伏見桃山から比叡山、大原、鞍馬を経て、高雄、嵐山、苔寺を結ぶ、全長約83.3kmのコースと、京北地域を一周する、約48.7kmのコースがある。山中を歩くとはいえ、有名観光地を結ぶトレイルは交通の便もよく、好みや体力に応じたコースを自由にとれる。

 ぼくは伏見桃山から苔寺のうち、伏見稲荷から二ノ瀬までを歩く、約40kmのコースを計画した。真夏日を記録した5月の京都に、テントを背負って降り立った。

以前のスタート地点、東山1番の標識。現在は伏見・深草ルートが追加され、伏見桃山駅のF1番が本当のスタート地点だ。地図が記載された素晴らしい標識である。

 京阪電車伏見稲荷駅には、すでに非日常の雰囲気が漂っていた。構内は朱色の鳥居風に飾り付けられ、外国人観光客向けの両替機が備えられている。

 ベンチに座って準備を整えていると、

「あの、大阪方面の改札口はどこですか」

 この春から中学生になったばかり、といった感じの女の子に尋ねられた。

「ここは出町柳行のホームだから、反対側の……」と説明しかけて、ぼくの後ろから女の子と待ち合わせていたらしい友達がやってきた。「一緒に行こ!」

 そうして、女の子はぼくにぺこりと頭を下げて、友達と楽しげに伏見稲荷大社へと向かっていった。東山1番の標識とトレイル案内図を確認し、ぼくも千本鳥居へと向かって歩き出した。

 駅から10分も歩けば、そこは鳥居が幾重にも幾重にも連なる神聖な空間が広がっている。この雰囲気が外国人観光客に絶大な人気だそうだ。もっとも、今はコロナ禍のまっただ中で、感染状況は落ち着いてはいるものの、以前ほどの人混みはみられない。千本鳥居をくぐり、四つ辻の展望台から京都市街を見渡すと、よく晴れた青い空が広がっていた。

 四つ辻から先は、人もまばらになった。トレイルを歩き、一度、住宅街まで高度を下げる。きっとこの辺りで迷う人が多いのだろう。京都一周トレイル®には素晴らしい標識が整備されているのだが、私設の案内板がいくつか追加されていた。案内に従い、清水寺の裏手にある、清水山を目指す。

 清水寺といえば、京都を代表する観光地だ。

 しかしその裏山に、静かなトレイルが続いていることは、あまり知られていないのではないだろうか。

 観光地の混雑とは無縁のこの場所は、爽やかな風の吹く森が広がっているのだ。

 トレイルから20〜30m奥まったところの、清水山の三角点を踏む。ベンチに座って休憩していると、目の前の木にホトトギスが止まった。

 清水山から東山山頂公園を経て、粟田神社へと下りる。ここで三条通りと合流し、コンビニで一度目の補給を済ませた。三条通りにはコンビニの他、飲食店もたくさんあるから、これから控える大文字山、比叡山の前に、ぜひ立ち寄っておきたい。

手作り標識が温かい。
写真の奥に清水山の三角点がある。

 ねじりマンポをくぐり、琵琶湖疏水(琵琶湖から京都にひかれた水路)のインクラインを歩く。天照大神をお祭りする日向大神宮ひむかいだいじんぐうを経て、大文字山への登山道に取り付いた。伏見稲荷大社からここまでは、観光地の裏山といったトレイルだが、大文字山からは道が登山道らしくなってきた。東山38・39番「七福思案処」で、コンビニで仕入れた弁当を頬張る。そして大文字山への尾根を登り始めた。

 日陰がないと、太陽が痛いほど照りつける。午後1時をまわり、一日のうちでもっとも気温が高い時間帯に入った。頭に手拭いをのせ首筋にひらりとたらし、その上から帽子をかぶる。頭と首を直射日光から守るだけで、ずいぶんと体感温度が変わるものだ。

 ぼくの前に、マウンテンブーツを履いた70代ぐらいの女性が歩いている。無理なく無駄なくすっすと歩くその様は、もう、一目で山慣れたベテランだと分かる。ゆっくり歩いているように見えるのだが、30代のぼくが一生懸命歩いているのに追いつかない。

 山を歩くことを一種の技術と捉えるのなら、その習得に老若男女は関係ない——いや、やはり経験が物を言うのか、あるいは”力任せに歩く”ことができなくなってからこそ、贅肉をそぎ落とした歩きが身につくのかもしれない。だって前をゆく女性のほうが、ぼくよりはるかに上手に歩くのだから。

 大文字山山頂からは、京都を一望する素晴らしい景色が広がっていた。

 山頂は京都一周トレイル®から外れた場所にある。東山45番から分岐するのだが、せっかくだから寄り道したのだ。

 日曜日の午後、大勢のハイカーでにぎわう山頂からは、京都の街並みの中に、京都駅ビルや京都タワー、そして二条城や京都御所がひときわ存在感を放っている。こうして高いところから眺めてみると、大きいな、と訪れる度に思う京都駅ビルは、実はたいしたことなくて、敷地面積だけでいうと、それよりはるかに広大な土地を、京都御所は有しているのだ。1,000年にも渡り、日本の中心地として、絶大な権力や支持を集めていたことを、この眺めからうかがい知ることができるのだ。

 同時に京都一周トレイル®を構成する山々を眺め、思いを巡らせる。旅は、まだまだこれからだと。

インクラインとは、琵琶湖疏水の高低差のある舟だまりの間を、台車に船を乗せて運ぶ鉄道のことだ。
大文字からは絶景が広がる。

 大文字山から哲学の道へ下山すると、大勢の観光客でにぎわっていた。観光客にまざって大きなバックパックを背負うぼくは、比叡山を目指して北に進む。比叡山の登山口の手前、日本バプテスト病院にあるファミリーマートを利用させてもらった。

「今は面会禁止です。利用は手短にお願いします」

 うかつだった。

 利用を断られることはなく、笑顔で丁寧に対応してくださったが、コロナ禍の最前線にある医療施設で、山を歩くためにコンビニを借りるなんて、自分の行動を反省した。トレイルから外れて大通りに出ればいくらでも補給ができるのに——。計画をもっと綿密に練らなければ。

 気を取り直して、茶山、瓜生山うりゅうざんと登ってゆく。瓜生山の先は、おそらく使われなくなったであろう林道が続き、ここまで荷物を背負って20km弱歩いてきたぼくはホッとした。

 が、時刻は午後5時をまわり、日が落ちかけている。東山67番、石鳥居を通過し、さぁ、どこまで行けるか。

 この先、雲母坂と合流した時点で、今日の旅は終わりとした。真夏日のなか、約22kmを歩けたことは、我ながら上々である。

瓜生山にある幸龍大権現。
比叡山山中にある石鳥居。

 夕暮れ時の登山道には、沢や風の音、野鳥のさえずりがこだまする。やがて京都にぽつり、ぽつりと灯りがともり、遠くでパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 夕食を済ませて、明日に備える。

 旅はまだまだ続いてゆく。

旅のデータ

出典:京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi
  • 標高:838m(比叡山四明岳)

  • 距離:約40km

  • コースタイム:約18時間

  • コース:伏見稲荷駅→稲荷山四つ辻→泉涌寺→清水山→粟田神社→インクライン→大文字山四つ辻→哲学の道→ケーブル比叡→延暦寺釈迦堂→横高山→水井山→戸寺→江文峠→静原神社→鞍馬街道→二ノ瀬駅

  • アクセス:行き・京阪電車「伏見稲荷」駅|帰り・鞍馬街道から叡山電車「二ノ瀬」へ


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