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依存先をなくさずに増やす秘訣

中村彬裕さんのnote「依存って本当によくないこと?」を読んで、あらためて依存と自立について考えてみた。

依存は悪いこと?依存を減らすのは良いこと?

一人の人に頼りすぎたり、マウントを取ったり、束縛したり。
「依存」は、悪いことのように語られる。依存するのは良くないことで、自立しないといけない、と多くの人は考えている。

でも、依存は特別なことではない。
中村さんも、わたしも、そしてあなた自身も含めて。誰でも、依存する瞬間はあるはずだ。

心細くなった時。
うまく人に相談できなくなった時。
目の前のことでいっぱいいっぱいになった時。

日頃はうまくバランスを取れている人でも、ふとした瞬間にグラついて、片方に寄っかかるシーンがあるのではないだろうか。
現時点ではないとしても、この先も一切ないとは言い切れないのではないだろうか。

でも、依存ってなんなんだろう。依存にはネガティブなイメージがあるけど、本当に悪いことなんだろうか。

あの時のぼくは、誰かに依存しないとどうにもならない状況だったなあとは思っていて。もし依存がよくないことなのだとしたら、どうすべきだったのだろう。

中村さんのnoteより

依存は、なくさずに増やそう

依存を悪いものとして捉えると、依存しそうになった時に苦しくなる。その苦しさがより依存を促進し、さらに苦しくなる。

では、依存を悪いものとして捉えるのをやめたらどうだろう。つまり、依存を「良い存在」とまではいかなくても、「しょうがないこと」「当然のこと」として考えるのだ。
そうすれば、依存しそうになった時の苦しさは軽減できる。苦しさから焦点をズラし、「今、自分は何がつらいんだろう?」「どうしたら楽になれるんだろう?」と考える余裕を生み出すことができる。

中村さんは、"みんな誰かに依存している"と言う。

例えば赤ん坊は、誰かに育ててもらわないと生きられない。それはつまり、誰かに依存しているということだ。
そういう「依存しないと生きていけない時期」は、誰にでもあるものなのだ。

しかし、やはり一人の人に依存するのは良くない状況だと思う。相手がそれを受け止め、依存が治まるまで付き合えるのならひとつの選択肢かもしれないが、そんな余裕を持てる人はなかなかいない。

だから、「複数の依存先を持つ」ことが大切だ。

振り返ってみたら、留学する前にも彼女にはたくさん依存していました。でも、それと同時に、ぼくにはたくさんの依存先がありました。家族、大学の友達、気仙沼の仲間。

留学によってそれらとの繋がりが切断されて、依存先が一つになってしまったことが、お互いに苦しくなっていった原因でした。

中村さんのnoteより

依存先が複数あれば、仮にどこかに頼れなくなったとしても、すぐに窮地には立たされない。誰かと喧嘩しちゃっても、それを別の誰かに相談できる。誰かに理解されていないと感じても、別の誰かに理解してもらう過程で自分の偏った見方に気付けるかもしれない。

依存先をなくすのではなく、依存先を増やす。
そういう考え方をしたほうが、きっと生きやすい。

わたしの、「依存先を増やす」作戦

こんな経験があったからこそ、今は依存先を増やすことを意識しているぼくですが、また何かのきっかけで依存先が失われ、苦しくなる可能性はあると思っています。

その時のためにも、読んでくださったみなさんの中に「こんな風に依存先増やしました!」みたいな知見があったら、ぜひ教えてほしいなあと思います。

中村さんのnoteより

ということで、わたしの「依存先を増やすために行ったこと」を最後に紹介したい。

①「これ系で悩んだらこの人」と思える人を見つける。
わたしには、「将来・キャリアに悩んだらBさん」「メンタルの落ち込みに悩んだらCさん」というように、「これ系で悩んだらこの人」という人が何人かいる。一つの分野に対して複数人の候補がいることもある。
依存のハードルが高いのは、相手にとって負担になる、と感じるからだ。しかし、相手の得意分野や専門性の高い部分、好みの話題などであれば、負担を減らすことができると思う。
相談内容をある程度定めることで、「ある程度バッググラウンドを知ってくれているから本題に入りやすい」「相手側も相談内容を推測してから話ができる」という側面もある。

②専門機関の情報を仕入れる。
プライベートで頼れる友人・知人も大切な存在なのだが、やはり重たすぎる相談は任せるのが申し訳なくなってしまう。その点、例えば病院や相談所、カウンセリングルームのような専門的な機関であれば、「重たすぎるだろうか……」という不安は軽減できるはずだ。
情報だけでも仕入れておくと、「いざという時はここに頼れば大丈夫」という安心感にも繋がる。

③「相談できる人/できない人」の二極化しない。
一言で「相談」と言っても、人生を左右するようなものから、ちょっとした心の引っかかりまで様々だ。「相談できる人/できない人」と二極化すると、相談できる相手がなかなか見つからず、もしもの時に頼れなくなってしまう可能性もある。
「ちょっとした相談を気軽にできる人」「自分の根幹にあるものも含めて話せる人」など、人間関係をグラデーションに考えられると、相談のハードルはぐっと下がる

④日常的に連絡を取る人を増やす。
ちょっと相談したいことが生まれた時、相談できるのはどんな人だろうか。一年前から連絡を取っていない人と、昨日もLINEした人では、後者のほうが相談しやすいだろう。
それは、単なる仲の良さもあるかもしれないが、「頻繁に連絡を取っている人ほど、相談しやすい」部分もあると思う。「久しぶり!」の後にいきなり相談ごとを書くのはだいぶ勇気が必要だ。
日常的に連絡を取る人が何人かいると、「ちょっといい?」と気軽に相談しやすくなる。気軽に相談できるうちにパパっと聞いてもらうことが、依存しすぎない鉄則だと思う。。

⑤相談を習慣にする。
相談できない人は、相談することを特別視しているのだと思う。④と重なるのだが、相談をもっと日常化・習慣化したほうがいい。
相談というのは「足りない部分を補ってもらう」意味合いが強いが、「足りている部分をより足らせる」意味合いもある。
相談できない人の悩みの一つに「断られるのが怖い」がある。それは、できない部分を頼もうとするからだ。できない部分を断られたら、成す術がなくなる。だから怖い。
でも、できる部分を頼んで断られても、「しょうがない。自分でやるか」と切り替えるだけだ。怖くないから、気軽に頼める。
まずはできることを誰かに頼むことから、相談する練習を始めてみよう。

takaren advent note 24日目。

cotree advent note のnoteを、ひとつずつ紹介していく。


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