祖母の復讐3 おわり
(2021年春ごろの手紙、3)
私が保育園のころから、祖父母の間に直接の言葉のやりとりは、もう、ほぼ、ありませんでした。
祖父が祖母に、祖母が祖父に、何か伝達事項のある時は、どちらも、私を呼びました。
父と伯父の間も、伯父と祖父の間も、一時期は**と父の間も、そうでした。
「おい。**。おばあちゃんに、おじいちゃんがこう言ってるって、伝えろ。」
「**。おじいちゃんに、おばあちゃんがこう言ってたって、伝えな。」
保育園、小学生ころから私は、自分のことを、伝書鳩みたい、とか、ピンボールみたい、と、思うようになりました。
私の伝達する内容が、悪口というか、たとえば「おばあちゃんにバーカって言っとけ。」のような内容の時は、あまり覚えていませんが、私は、困ったような気がします。覚えていない。
伝えれば、私が伝達先にしばかれるし、伝えなくても、私が発話者側にしばかれるし、それも、覚えていない。
しばかれる、という言葉を書くと、べたっと、頰のあたりが骨の中に響いて、びりびりします。熱い。
ともあれ、私の祖母は、祖父の要介護度がじわじわ上がる中、結果としてですが、先手を打って、誰にも手を出せない場所へ行ったのではないか。と感じます。
彼女の復讐は、大成功。だろうか。
もしも祖父が、祖母の介護をあてにしていたとするなら。
祖母にできる範囲の中で、最大の、復讐になった、だろうか。
私には、わかりません。
祖母にできる範囲の中で、私の祖母が、「あの家の外」に行ける場所が、どうして、家に置いておけないお年寄りを死ぬまで入れておくための箱みたいな、あんな、狭いベッドの、柵の中しかなかったんですか。
私は、怖かったです。
この、意識の無さそうな、しかし目は開いている、この人が、もしも、声が出ない、体が動かないだけで、すべて見えていて、聞こえていて、感じていたら、どうしよう。
看護師さんも伯父も、「おばあちゃんはきっと聞こえているよ。」と言いながら、人形を握るみたいに、祖母の体を扱っているのは、いったい、どういうことなんだろう。
聞こえていると仮定したなら、そんな風には、人間の足を持たないでしょう。
どうして、彼女は、もっと他に、彼女をああいうふうにした、圧力みたいなもの全てから、離れる術を、与えられなかったんだろう。
*
私は、A(祖父の家のある地名)の山と田んぼの中から、祖父の介護が終わったあと、家で過食嘔吐を続けることの限界を迎えて専門学校を受験し、B(地名)に逃げました。
B(地名)に逃げてから、激化し続ける自傷と過食嘔吐に引っ張り上げてもらうようにして、専門学校を中退しました。
そして自助グループに繋がり、自助グループに通うために、C(地名)に逃げました。
C(地名)に逃げてから、父の死に乗り、自助グループからも逃げ、D(地名)へ逃げました。
今は、D(地名)に逃げています。ここに逃げてから、私は閉じこもり、**年目の入退院をきっかけに、自助グループに繋がり直しました。
仲間たちに教えてもらい、新しくカウンセリングにつながりました。
*
私が、祖母のようになる可能性は、十二分にありました。
今も、あると思っています。
私は、たまたま、逃げることを許されました。
時代と呼ばれるようなものと、私が得た症状の全てと、その他、いろいろな要素によって。
摂食障害がなかったら、私はずっと、あの家の中にいたと思います。
他の道など、思いつきもしませんでした。
祖父は介護が始まってからも、私に
「おまえはおじいちゃんが死んだ後も、この家を守って、お父さんと弟を待ち続ける、帰る家になるんだぞ。」
と、言い続けました。
私は、当然そうだと思いました。おじいちゃんは、いつも私に、
「はい、以外の返事はいらねえんだよ!! どうせお前の考えなんか全部初めから間違ってんだよ!! おじいちゃんの言うことだけ聞いてりゃいいんだよ!! オラその口持ってこい!!」
と、怒鳴りました。
そして、祖父は、自分が動けなくなってからも「頭を持ってこい」と言いました。
私が言われるまま祖父の手元へ持って行った私の頭を、祖父は、灰皿などで殴りました。いつものことでした。普通でした。
普通ではないのだと、私が自助グループに来てから仲間が怒って見せてくれ、何度も仲間の怒りを見て、私は初めて知りました。
当時の私は、祖父の言うことを聞きながら、なるほどそうか。私はこの先も、おじいちゃんが死んでからも、ずっと。
家つきの腐った蛇みたいに、湿った古い台所の隅にとぐろを巻いて、どろどろに溶けていかないといけないのだな。と思いました。
*
私が家から出ることを可能にした、動機や、時代や、症状が、それらに該当するものが、どうして、祖母には、なかったんですか。
「祖母の死に方は、結果として、祖父への復讐である」と、私が仮説を立てたところで、祖父による祖母の扱いは、祖母に対して、不当でした。
社会と呼ぶと、漠然として大きいですが、彼女に圧し掛かり続けた「どうせ、おなごは、生きていたって仕方がない」の重たさは、明らかに祖母に不当でした。
どうして「仕方がない」のですか。
戦争だったから仕方ない。昔は、女の人に学なんていらなかったから仕方ない。
そういう時代だったから仕方ない。おばあちゃんは弱かったから仕方ない。
おばあちゃんはもともとああいう性格だから仕方ない。
なぜ。
なくないでしょ。仕方なくない。おばあちゃんのせいでもないし、こんなのは、とてもおかしい。おばあちゃんは、何がどうであれば、彼女は。
彼女は、の先に、続く言葉が見つかりません。
私は、祖母がどうなりたいのか、知らないからです。
彼女は私を嫌いだったし、それを心底丸出しでした。
私は彼女と、お話、をしたことがない。
もしもし。あなたは、どうなりたかったんだろう。
何がどうであれば、あなたの復讐は、必要なかったんだろう。
何がどうであれば、私は、あなたや、あなたの夫や、あなたが産んだ息子たちの痛みを流し込むための、ゴミバケツに生まれなかったんだろう。
以上です。読んでくださって、ありがとうございました。