参入障壁が作り出したイチゴ栽培の甘さ
母親の実家は農家だった。戦後、福岡県南部の丘陵地にはミカン畑が作られることが多かったらしく母親の実家の場合もそうだった。ミカンというのは鈴なりにできるので剪定しなければ一つ一つの実が大きく熟さない。
そして栽培の難易度は高くないので私が物心つく1970年代には既に過当競争に陥っていた。段ボール箱一個のみかんが100円の卸値では商売にならないのは明白だ。ミカン農家は次なる収益作物を求めていた。
そこに現れたのが中国原産なのに何故かニュージーランドで作付けが拡大きたキウイフルーツだ。
和名『シナサルナシ』。『サルナシ』、別名『ベビーキウイ』は日本にも広く野生しているが、その大陸種であり、いわゆるキウイフルーツの大きさをしている。サルナシは親指の先のサイズと小降りだ。
そんなキウイフルーツの栽培は一瞬で拡大し廃れた。なにしろ、ミカンよりも栽培が簡単で大量に採れたのだ。値崩れするのも一瞬だった。
そこでミカン農家が未来を託したのがイチゴの栽培だった。
※この続きや日々更新される記事の全文は、個別購入以外にnoteにて月額864円の『堀江貴文のブログでは言えない話』への加入でも読むことができます。
★note版『堀江貴文のブログでは言えない話』
https://note.com/takapon/m/m6f25f310b0e9
ここから先は
413字
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?