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PlayStation


我が家には、初代PlayStationがある。もはや骨董品だろう。

驚くべきことに、発売から25年以上たった今でも現役で、こいつのおかげで、メタルギアソリッドやクラッシュバンディクー3、俺の屍を越えてゆけなどの名作を遊び尽くすことができた。

このゲーム機は元々父が買ったもので、父の実家にあった。だが僕がゲームにハマりすぎたので、いつしか我が家に籍を移すことになった。


このPlayStationの他にも、スーパーファミコンも未だに遊ぶことができる。スーパードンキーコングや星のカービィDXなど、言わずと知れた名タイトルを、怒られるまでやり続けた日々が懐かしい。


それと、博物館かなんかと勘違いしないでほしいのだが、令和になった今でも、父の実家には黒電話があり、普段使いしている。

別に山奥の限界集落に家があるわけでもなく、なんならキッチンのコンロはIHで、祖母は携帯電話も持っている。だが、固定電話だけは、黒電話がいいという強いこだわりがあり、今でもあの穴の小さな文字盤を器用に回して、電話をかけている。

小学校の時、古い脱穀の機械や、大山ゴマなんかがあるような資料室で黒電話を見つけた。その際、「ボタンが無いのにどうやって電話かけるの?」と言った同級生には衝撃を覚えた。後に、自分の方が圧倒的な少数派であると知った。



人との接触を避けるようお達しが飛ぶ昨今、「新たな生活様式の確立を」「これを機に価値観をアップデート」なんて、なんだか頭が良さそうな人たちが声高に叫んでいる。

言いたいことは分かる。というか、それを否定する知識も思考力もあいにく私は持ち合わせていないので、「了解です、何となくわかったんで、そんな感じでいきましょう」と、適当に流すことくらいしかできない。


ただ、例えどんなに時代が進んでも、自分の望む生き方はさせてくれよって思う。

どんなにオンライン上での生活スタイルが浸透したって、僕は大好きな喫茶店でコーヒーを飲みたいし、大好きな友達と行きつけの居酒屋で安い酒を飲みたいのだ。

時代が変わっても、譲れないものを譲らない強さを持ち続けたいと思う。



まあ、今はダメだけどね、人に迷惑かけない程度に。






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