見出し画像

恋しい日々 / カネコアヤノ


4月7日に緊急事態宣言が出されて、1か月ほどが過ぎた。

既に5月いっぱいまでの延長が発表されてからも時間が経っていて、友達と遊んだり、学校で講義を聴いていたのがもう遠い昔のようだ。



地面を走る 自転車とぬるい風 日々は淡々と過ぎてゆく


4月の頭の頃は、一日中家にいて、買い物は最低限、友達とも会わず、コミュニケーションはSNSやzoomで行う、そんな新たなライフスタイルに果たして自分は適応していけるかとても不安だった。

でも人間は、やはりここまで図太く生き抜いてきただけあって、自分も世間の人の多くも、何とかこの新しい生き方に適応してきている。よく考えると今までもそうだったが、何かしていてもしなくても、生きていれば、気づけば日々は過ぎてゆく



短い夜に 私たち遊びたい 光って消える 花火みたい


この自粛期間はひとりひとりの命を守るために絶対に必要だと思うし、それを犠牲にしてまで遊びに行きたいとは全く思わない。

だが、ふとした時にどうしても、友達と遊び、バイトをして、学校に行く、そんな今までは当たり前だった普通の日が、どうしようもなく恋しくなる


学生であるこの時間はすごく貴重だ、きっと。「学生時代が人生のピーク」なんて言う大人にはなりたくないが、恐らくこの”貴重だ”って感覚は、学生の今よりもっと年を取った時に強く感じるのだろう。

「何かするのに遅いことなんてない、年齢なんて関係ない」とはたまに聞くが、学生時代にしかできないこともあるし、それは同時に40代、60代が相応しいタイミングってものもあるだろう。

何にせよ、安い居酒屋で夢や好きな人についてぐだぐだ語るという若者の特権を行使できないのはどうにも、もどかしい。



何かしようと思ったけど 忘れた 忘れたら 思い出した 
今日は 雨が降るから


元々一人で暮らしていたが、バイトも何もできないので3月頃から実家(といっても同じ県内だが)で生活している。やはり一人での暮らしに比べると、野菜の多い食事や洗濯物のふんわり具合など、QOL(Quality of Life)が全然違う。今までいかに親に甘えてきたのかと反省し、帰ってきてからは、必ず何かしら家事を手伝うようになった。

何より、同じ家に家族がいて、いつでもコミュニケーションが取れるということが大きい。ただでさえ、精神的な負担を強いられる自粛生活の辛さを、分かち合える相手がいることが、本当に救いに感じる。地方から出てきて都会で一人暮らししている方は本当に大変だろうと思う。


その反面、贅沢なことを言うようだが、早くひとり暮らしに戻りたいなとも思う。もちろん、こんなボンクラ息子を置いてくれる家族への感謝は表しきれないし、今戻るのは不安だ。

だけど、いつ起きてもいつ風呂に入っても、何を食べても文句を言われない、自分で生きている!と感じるあの生活がふと恋しくなる

まあ当面厳しいだろうが。



洗濯物を入れなくちゃ 未読の漫画を読まなくちゃ


新型コロナのせいで(”おかげ”という言葉は使いたくない)、今まで当たり前だと思っていた日々の生活が、いかに愛おしいものだったか気づくことができた。”不幸中の幸い”と言えばいいのだろうか。


「どうか世界の人々が、特に僕にとって大切な人々が、無事でいますように。」

数少ない楽しみである散歩の途中、いつものコースにある観音様の前を通る時、僕は決まってそうお祈りをする。

元の生活に戻れたら、まず何をしようか、どんな日々を過ごそうか。


恋しい日々を抱きしめて 花瓶に花を刺さなくちゃ



※原曲が気になった方は上の動画からどうぞ。1曲目です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?