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議論が出来ない日本人。政治を語ると”ヤベー奴”認定される日本人。
前提の違いも理解できず、勝ち負けの二元論でしか思考が出来ない人が多すぎるませんか?
留学先の勉強に備えて意図的に政治の本を読んでいます。
「東大白熱ゼミ 国際政治の授業」という書籍。
以下のブログ記事でも紹介してるので、詳しくはこちらを御覧ください。
議論の刃を抜かれた日本人
コレに加えて、大学のゼミでも何度か模擬討論をすることがありました。
国際法のゼミだったので、アメリカVS中国、日本VS韓国、アメリカVSイラン等、色々やりました。
その模擬討論や今回の本を通じて感じたこと。
日本人の義務教育ってやっぱりおかしい。議論の機会がないまま社会に放り出されかねない。
詰め込み教育で育ってきたもんだから、社会の事象について正解か不正解かの尺度で解釈してしまう。
特に政治の世界においてこの弊害は顕著です。政治というのは正解か不正解かは主観による所が大きいです。というか正解なんて無いとさえ断言した方が良い。「正義」についても同じことが言えますね。
ヤベー奴で溢れるインターネット
議論する手段を与えられぬままおとなになってしまった日本人は、ネット上で特に猛威を振るいます。
議論が出来ないもんだから、相手のバックグラウンドや話の前提を理解せずにただただ感情のままに口撃を浴びせる。なんて情けない…。
そうして不毛かつ過激な言い争いが溢れるネットと共存してきた若者。
彼らは政治への関心そのものが失せたというより、より厳密に言えば
政治は自分が関わってはいけないもの
と感じているのではないでしょうか?一度政治に言及したら最後、「え?お前あっち側の人間かよ…」と仲間はずれになれる危険さえあるように思います。少なくとも僕は経験上そう思う。
議論は21世紀の教養。ベネッセの罪は大きい。
世界中の人がつながる現代では、分かりあえない人とぶつかる人の多いことでしょう。そんなときに議論するチカラが養われていない日本人は、幻想の正解を探す沼にハマってしまい抜け出せなくなる。
最近では「論理的思考力を盛り込むぞ」的な教育改革が叫ばれていますが、どうなんでしょうね。
姿勢そのものは評価されるべきだと思いますが、受験産業にとっては少子化に加えて、教える内容の大転換が迫られるはずですから、打撃は計り知れないはずです。黙ってはいないでしょう。
そしていざ蓋を開けてみれば、結局ベネッセに食い荒らされた新型センター試験。受験産業はおろか、受験生自身を大きく混乱させた彼らの罪は大きい。
自分に子供が出来たら、日本のこの現状が改善されない限りは海外かインターナショナルスクールに通わせますかね。最近は割と真剣にそう考えるようになりました。
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