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とうとう出版社を退職しました⑥

出版社が倒産した


大阪に向かう新幹線の中だった。facebookのメッセンジャーに「おまえの会社倒産したぞ」とライターの友人からdmが届いた。風の噂で以前僕が勤めていた出版社からの支払いが滞っているというようなことは聞いていたが、ついにこの日が来たか・・という気持ちと同時に、なんとか全ては無理でも一部だけでもいいから雑誌やスタッフを救うことができないだろうか?という思いが込み上げてきた。いや、そんなかっこいい思いばかりではなかったかもしれない。あの天然生活を自分のもとに取り戻すことができるかもしれない!そんな思いの方がもしかしたら強かったかもしれない。
 偶然にも在籍している出版社では過去に、倒産した出版社から雑誌やスタッフをまるごと引き受けた実績があった。新幹線から財務担当の役員に電話をし事情を説明すると「すぐに管財人に連絡を取ってみて」と指示がとんだ。出版不況が叫ばれて久しい時代、とくに広告収益に頼る雑誌が苦境に立たされるなか、広告収益モデルではない天然生活は根強いファンに支えられ底堅い実売数を誇っていた。僕自身は自分で産んだ雑誌だから辞めたあとも売り上げ動向を注視してだいたいの数字は把握してはいたのだけれど、電話連絡してすぐにデータをチェックし「これはいける」と踏んだ担当役員の判断はさすがだった思う。しかし、それほど成績が悪くない雑誌を抱えながらなぜ業績が悪化してしまったのか・・決して無理な出版をしているようには見えなかっただけに不思議だった。このあたりの謎は後に取り寄せた財務諸表や現場を知る人間の証言などから衝撃の事実が明らかになるのだが・・。

倒産した出版社の権利を買い取る


管財人に指定されている弁護士の連絡先を調べ、ぜひ今後について話がしたいと電話すると、じつは担当している弁護士も出版社の倒産案件を手がけるのは初めてとのことで、逆に出版界の慣例について教えてほしいと言われてちょっと驚いた。確かにほかの産業と違って出版というのは設備的なものはほとんどなく、あるものといえば、知的財産と人的財産がほぼすべて。価値を算出するにしても、商標や出版に関わる権利以外はほぼ価値はないに等しい。本や雑誌の在庫はほぼ無価値だ。書籍の版(データ)などは印刷所が権利を持つらしい。僕が知るケースだと出版社が倒産して雑誌が売りに出された場合、価格がつくのは商標だけ。あとはこれまでどおり滞りなく出版できるための最低限のスタッフの移管がセットになる程度であまり大きなお金が動くことはない。というかここに大きな価値がある場合はそもそも倒産する前にそれなりの金額で事業売却などされるのが普通であろう。
しかし、天然生活の場合は倒産前にそのような動きはなかったようだった。
その後、他社も追従するように同様の動きを見せ同雑誌の売却については複数社の入札となった。

亡き妻をペルソナに作った雑誌が戻ってきた奇跡


詳しい金額などには触れることはできないが、天然生活はしっかりとその価値を評価してもらい、なんとかもう一度復刊するチャンスを手に入れることができた。スタッフも全員再雇用が決まった。かなりこれは異例のことだろう。編集長や主要スタッフが引き抜かれることはあっても、関わる全員を救うことができるなんて。もちろんすでに僕はその雑誌から離れて、買い取った出版社の役員という立場だったのだが、なんだか自分が乗る船が助けられたような気分だった。かくして天然生活は新しい版元で再度創刊する運びとなった。僕は同じ雑誌の創刊に2度、別の版元で関わるという珍しい経験をすることになったのだ。
そこからの雑誌天然生活の復活ぶりはめざましく、業界紙などにも大きく取り上げられた。一度地獄を見たスタッフは皆前向きで勤勉。安定した経営基盤で思う存分、自分たちのやりたい雑誌を作れる環境に心から感謝していた(たぶん)。
復刊を喜んでいたのはスタッフたちだけではない。支払いが滞っていた外部の関係者たちにも全額ではないものの、負債のかなりの部分が保証された。そしてもちろん応援してくださっていた読者の皆様。またふたたび大好きな雑誌を読むことができる、喜びの声が全国から届いた。本当に幸せな雑誌だと心から思った。
自分の著書にも書いたのだけれど、天然生活を創刊するときペルソナにしたのは今は亡き自分の妻だった。その妻が天国へ旅立った直後にふたたび天然生活が自分のもとにもどってくるという奇跡のような出来事。自分でも信じられない出来事だった。これがちょうど今から5年前の話である。

それでも出版社を辞めた本当の理由


しかし、これほどまでに愛してやまない雑誌、そして信頼すべきスタッフたちとともに仕事をしながら、結局僕はそれらを置いて出版社を去る決断をした。もちろん理由はひとつではない。いろんなタイミングが重なって、そうせざるを得なくなったというのが正直なところである。しかし、そのなかでも強いていうならやはり現在の出版社を取り巻く状況といえるかもしれない。
出版不況といいながらも売れている本は確実に存在するし、キャラクターなどIPを持っている出版社は過去最高の利益を叩き出したりしている。
ここから先の話は僕の個人的な感覚でしかなくて、なにか裏付けるデータがあるわけではないのだが、今売れている本を連続して出していたり、話題の本を出してるイケてる出版社って非常に小規模なところが多いのだ。決して年間の発行点数は多くはないが確実にいいものだけを出している。一方で、IPや不動産など安定した経営基盤をもつ大手は自由な出版活動を変わらず続けることができているため、メガヒット作こそ減ったとはいえ(コミックをのぞくと)その中からときどきユニークなヒット作を生まれたりしている。
一番苦しいのは中堅とよばれる規模の版元だ。それなりの規模を維持するために一定の売り上げが必要になるが、過去に比べて全体量として本が売れない(書店も減少している)なかで、少ない初版で売り上げ規模を支えていくには重版しない限りはどんどん新刊を重ねていくしかなくなってしまう(そしてそれらどんどん返品されてくる)。
僕自身に置き換えて考えてみても、たぶん年間3冊くらいならきちんと重版できる本をつくることができるだろうけど、じゃあ年間15冊つくって、それらすべてをヒットさせられるか?と言われたら無理です!と自信を持って言える。でも、現実はそれをしなければ事業がまわっていかなくなっているのだ。安定収入の頼みの綱だった雑誌が衰退している現在、書籍でそれを埋め合わせていくのは至難の業だ。大きな管理部門を支える余力などない。でもそれは出版社が悪いわけじゃないんだよね。それだけ世の中の人が本を買わなくなっちゃったんだんから。年間15冊本や雑誌を買ってた人がきっと3冊、もしかしたら1冊くらい、いや0かも?そんな時代なんです。だけどそんな時代でも0の人に1を買わせる方法というのは存在するし、その企画を思いつく編集者こそが優秀なのだろう。僕は自分の本を初めて著者として作ってみてものすごく大きな気づきがあった。たぶん編集者として30年以上やってきた以上に、一冊の自分の本で学べてしまった。ああ!!!そうなのかと。

身も蓋も無い話だが、売れる本を作れる人は作れる。でもそうじゃない人は作れない。やっぱり再現性ってあるのだ。だから売れる本を作れる精鋭編集者をずらりと並べてヒットを量産する、そんなやり方で成功を収めている版元もある。でも、別に小規模な出版社であればずらりと並べる必要もない。優秀な編集者が少人数で出版事業をスタートすれば良いだけの話だ。過去と違って大手出版社といえども用紙代も印刷代もあがり、初版部数も絞られているから、さほどスケールメリットがない。となれば個人でも小規模でも企画次第で立ち向かうことはできる(理屈ではね、取次さんの条件とかもあるしね)のである。
そのような出版をとりまく環境にあって、自分がこれから先なにをしていくべきか?を考えたときにやるべきこと、やりたいことが見つかったというのが理由なのだ。

僕よりずっと年下だけど尊敬するスーパー優秀な編集者がいる。その彼からあるときこう言われた「小林さん、ぼくら人生であと何冊本作れるとおもいますか?無駄な本を作ってる時間なんてないんですよ」と。ハッとした。ずっと若い彼がこんな気持ちで本を作っているのに、ぼくはこのままでいいのか?と。一冊、一冊の本にむきあうことなく全体の数字だけで見ていないか?と。青臭いかもしれないけれど、この青臭い気持ちこそがきっと出版には大事なんだろう。どこを向いて本をつくってる? 上司? ステークホルダー? 著者? 読者?? 正解はきっと言わずもながな。

というわけで僕は2024年3月31日をもって出版社を卒業したのでした。








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