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郷愁感とジャック・フィニイ。そして自分の過去へ疑似タイムスリップ。

未来を見つめ、いまを精一杯生きる。
まるでスローガンのように言われ続けているけれど、
そればかりじゃ正直しんどい。

人は誰でも過去への憧れがあるのではないか。
あのときの失敗をやり直したい。
あのときのときめきに浸りたい。
あのときの……。

タイムマシンへの夢は、未来を見ることよりも過去への旅に集約されている気もする。
過去を想うのは、何も後ろ向きな気持ちとは限らないのだ。

今日は「過去と郷愁」にこだわった小説家ジャック・フィニイの短篇2冊と、私の不思議な体験を紹介しようと思う。



▼『レベル3』のような体験をしてみたい


ジャック・フィニイといえば『盗まれた街』『ふりだしに戻る』が有名だが、私は短篇集を推したいと思う。

なにしろ徹底した過去礼賛と懐古主義
古き良き時代への繋がりだけを記した物語が集められている。
そのどれもがSFでありファンタジーでありサスペンスフルな面白さに溢れていて、尚且つ詩的で美しい世界に没入できる。
洒脱にしてユーモアもある。

いや、こんな能書きなんかどうでもいい。
早い話、とりこにさせられるような魅力があるのだ。

たとえば「レベル3」という短篇はこんな話し。

時は1957年。チャーリーはニューヨーク・グランド・セントラル駅の、あるはずもない地下3階に迷い込む。そこは過ぎ去りし1894年世界の列車発着ホームだった。ここから良き時代のゲイルズバーグへ旅立ちたいが、現代の紙幣で切付は買えない。地上に戻ったチャーリーは、もう地下3階へ続く歩廊を見つけることはできなかった。だが確かに、“そこ”は存在する。なぜならば……。

ジャック・フィニイ『レベル3』タカミハルカまとめ
昭和57年改訂第4版 畑農照雄装幀の単行本。
「レベル3」を含む11篇の短篇を収録。
私の宝ものレベルの蔵書

『レベル3』に収められている短篇は、ユーモアに溢れていたりちょっと怖い物語もある。一筋縄ではいかない面白さが短篇集のいいところだ。



▼強い郷愁感と私の疑似タイムスリップ


さて過去の世界へ繋がる道には、どうすれば遭遇できるのか。「レベル3」では、強い郷愁感が形作ったものだと思われる。

似たようなことを、私は体験してしまった。

以前、自分の20歳の頃の恋について記事にした。
また同じ話しで申し訳ないけれど、ちょっとした後日談がある。
あの記事、実はロングバージョンを書いていた。記事にした後、もっと克明に記しておきたくなったのだ。noteに発表するわけでもなく、ただ自分のために書いただけのもの。


自分の過去を言語化し、文章として物語にした威力は凄まじかった。
なんと飽きるほど自分の物語を読み耽り、気持ちが当時に浮遊するのを実感した。
思い出が文章になって具体化されると、その頃の情景が鮮やかになる。書き足りていない箇所がどんどん記憶で埋め尽くされる。

瞼を閉じると、私は完全に20歳の時代に迷い込んでいた

あの頃の彼の眼差し、あの頃の会話や声が再現される。一緒に過ごした空間や音楽が、色鮮やかに形作られる。
自分の書いた物語に沿い、まるで映画のような連続した時間の流れを体験した。悲しい別れはなぜかより一層際立ち、息が詰まった。

言ってみれば、脳内で思い出が強く再現されただけなのだ。
記憶は上書きされるし、美化される。きっと現実そのものではない。

それでもこれは、甘くせつない妄想体験過去への旅
おそらく「レベル3」同様、強い郷愁感が引き起こしたと思っている。

過去へのいざないのトリガーは、文章でなくてもいいかもしれない。
たとえば当時の写真とか、思い出の何かがあれば、それをきっかけに過去に没入できるのではないか。
その郷愁感が強ければ強いほど、心にタイムマシンが現れるのではないか。

noteには自分を題材にエッセイや過去物語を書いている方も多い。
同じような体験をされているのか、ぜひ聞いてみたい。

私は擬似タイムスリップを求めて、新たな過去物語を書いてみた。
でも途切れたシーンがいくつか思い浮かんだだけ。
二度と強烈なドラマとして再現されることはなかった。
トリガーは、無意識の中の郷愁感だろうか。

いやいや何を言っているのかと笑われそう。
これはほんの戯れごとだ。
本気でタイムスリップしようと妄想しているわけではない……。



▼『ゲイルズバーグの春を愛す』は憧憬の一冊


短篇集『レベル3』よりもっとノスタルジックでロマンチックな短篇集が『ゲイルズバーグの春を愛す』だ。

収録作品の中でも人気の「愛の手紙」は、過去に生きる少女と手紙を通して愛を確かめ合うせつない物語。

ブルックリンに住む若者が、古道具屋で買った壁付け机の隠し抽斗ひきだしの中から、80年前の少女の手紙を見つけた。不思議な気持ちに駆られてその手紙に返信するのだが……。

だが、ただひとり、開きかけた窓からしのびこむ夜更けのさわやかな夜気が、室内の静けさをかすかに動かすなかに坐っていると──この手紙を書いた娘が、いまは老婆か、あるいはもう、とうの昔に死んでしまった人間とは、とうてい考えられなくなる。その文章を読むうちに、ぼくには、彼女が現実の人間、生きた若い娘として感じられてきた。

ハヤカワ文庫『ゲイルズバーグの春を愛す』収録「愛の手紙」より引用


表紙絵は内田善美さん。
「愛の手紙」を含む10篇の短篇が収録されている。



▼過去を美化する物語の“居場所”


ジャック・フィニイを心の清涼剤のように読んでしまうのはなぜだろう。
きっとそこに失われてしまう何かを感じるからだ。

自分の周りでは、古いものがどんどん取り壊されていく。
町並みや家屋、商店などは新しい姿に変貌している。
都市開発は姿形が刷新されるだけでなく、安全なインフラも整うのだから歓迎すべきことだろう。

なのに寂しさが隠せない。
ごちゃついた町は、自分が過ごした時間や歴史も内包してきた。それらがすべて消えるのだ。店の奥の油だらけの換気扇を苦々しく見ることもない。

学校の校舎も建て替えられ、懐かしさを辿るものがどこにもない。古い映画は配信で観られるけれど、かつてその映画を観た映画館はもうない。思い出は、建物や情景とセットで生きているのだ
思い出フィールドの消失である。

人を想う心も、こんなふうに変容するのだろうか。

こんな寂寥せきりょうの想いに駆られたとき、決まって読むのがジャック・フィニイなのだ。
ふと読みたくなる、失われた良き時代の物語。そこに夢を見たいときもある。

最後に、『ゲイルズバーグの春を愛す』の「訳者あとがき」から、福島正実氏の言葉を引用したい。

つまり、いま生きている殆どの人々にとって〈良き時代〉はすでに去った──彼はこう認識するのです。  ─中略─
 そう考えるからこその現実拒否であり、未来拒絶なのです。だからこそフィニイは、所詮は逃避であることを十二分に承知しながら、嘘つき、ファンタジイだといわれることを熟知しながら、あえて過去を美化しさえするのです。

ハヤカワ文庫『ゲイルズバーグの春を愛す』 福島正実「訳者あとがき」より引用


ここで紹介した短編集は、残念ながら電子書籍化されていない。
だが心暖まるこれらの短篇は、断捨離せずに手持ちで保存しておきたい一冊だ。
電子書籍派の方も、ぜひ。