郷愁感とジャック・フィニイ。そして自分の過去へ疑似タイムスリップ。
未来を見つめ、いまを精一杯生きる。
まるでスローガンのように言われ続けているけれど、
そればかりじゃ正直しんどい。
人は誰でも過去への憧れがあるのではないか。
あのときの失敗をやり直したい。
あのときのときめきに浸りたい。
あのときの……。
タイムマシンへの夢は、未来を見ることよりも過去への旅に集約されている気もする。
過去を想うのは、何も後ろ向きな気持ちとは限らないのだ。
今日は「過去と郷愁」にこだわった小説家ジャック・フィニイの短篇2冊と、私の不思議な体験を紹介しようと思う。
▼『レベル3』のような体験をしてみたい
ジャック・フィニイといえば『盗まれた街』『ふりだしに戻る』が有名だが、私は短篇集を推したいと思う。
なにしろ徹底した過去礼賛と懐古主義。
古き良き時代への繋がりだけを記した物語が集められている。
そのどれもがSFでありファンタジーでありサスペンスフルな面白さに溢れていて、尚且つ詩的で美しい世界に没入できる。
洒脱にしてユーモアもある。
いや、こんな能書きなんかどうでもいい。
早い話、虜にさせられるような魅力があるのだ。
たとえば「レベル3」という短篇はこんな話し。
『レベル3』に収められている短篇は、ユーモアに溢れていたりちょっと怖い物語もある。一筋縄ではいかない面白さが短篇集のいいところだ。
▼強い郷愁感と私の疑似タイムスリップ
さて過去の世界へ繋がる道には、どうすれば遭遇できるのか。「レベル3」では、強い郷愁感が形作ったものだと思われる。
似たようなことを、私は体験してしまった。
以前、自分の20歳の頃の恋について記事にした。
また同じ話しで申し訳ないけれど、ちょっとした後日談がある。
あの記事、実はロングバージョンを書いていた。記事にした後、もっと克明に記しておきたくなったのだ。noteに発表するわけでもなく、ただ自分のために書いただけのもの。
自分の過去を言語化し、文章として物語にした威力は凄まじかった。
なんと飽きるほど自分の物語を読み耽り、気持ちが当時に浮遊するのを実感した。
思い出が文章になって具体化されると、その頃の情景が鮮やかになる。書き足りていない箇所がどんどん記憶で埋め尽くされる。
瞼を閉じると、私は完全に20歳の時代に迷い込んでいた。
あの頃の彼の眼差し、あの頃の会話や声が再現される。一緒に過ごした空間や音楽が、色鮮やかに形作られる。
自分の書いた物語に沿い、まるで映画のような連続した時間の流れを体験した。悲しい別れはなぜかより一層際立ち、息が詰まった。
言ってみれば、脳内で思い出が強く再現されただけなのだ。
記憶は上書きされるし、美化される。きっと現実そのものではない。
それでもこれは、甘くせつない妄想体験、過去への旅。
おそらく「レベル3」同様、強い郷愁感が引き起こしたと思っている。
過去への誘いのトリガーは、文章でなくてもいいかもしれない。
たとえば当時の写真とか、思い出の何かがあれば、それをきっかけに過去に没入できるのではないか。
その郷愁感が強ければ強いほど、心にタイムマシンが現れるのではないか。
noteには自分を題材にエッセイや過去物語を書いている方も多い。
同じような体験をされているのか、ぜひ聞いてみたい。
私は擬似タイムスリップを求めて、新たな過去物語を書いてみた。
でも途切れたシーンがいくつか思い浮かんだだけ。
二度と強烈なドラマとして再現されることはなかった。
トリガーは、無意識の中の郷愁感だろうか。
いやいや何を言っているのかと笑われそう。
これはほんの戯れごとだ。
本気でタイムスリップしようと妄想しているわけではない……。
▼『ゲイルズバーグの春を愛す』は憧憬の一冊
短篇集『レベル3』よりもっとノスタルジックでロマンチックな短篇集が『ゲイルズバーグの春を愛す』だ。
収録作品の中でも人気の「愛の手紙」は、過去に生きる少女と手紙を通して愛を確かめ合うせつない物語。
ブルックリンに住む若者が、古道具屋で買った壁付け机の隠し抽斗の中から、80年前の少女の手紙を見つけた。不思議な気持ちに駆られてその手紙に返信するのだが……。
▼過去を美化する物語の“居場所”
ジャック・フィニイを心の清涼剤のように読んでしまうのはなぜだろう。
きっとそこに失われてしまう何かを感じるからだ。
自分の周りでは、古いものがどんどん取り壊されていく。
町並みや家屋、商店などは新しい姿に変貌している。
都市開発は姿形が刷新されるだけでなく、安全なインフラも整うのだから歓迎すべきことだろう。
なのに寂しさが隠せない。
ごちゃついた町は、自分が過ごした時間や歴史も内包してきた。それらがすべて消えるのだ。店の奥の油だらけの換気扇を苦々しく見ることもない。
学校の校舎も建て替えられ、懐かしさを辿るものがどこにもない。古い映画は配信で観られるけれど、かつてその映画を観た映画館はもうない。思い出は、建物や情景とセットで生きているのだ。
思い出フィールドの消失である。
人を想う心も、こんなふうに変容するのだろうか。
こんな寂寥の想いに駆られたとき、決まって読むのがジャック・フィニイなのだ。
ふと読みたくなる、失われた良き時代の物語。そこに夢を見たいときもある。
最後に、『ゲイルズバーグの春を愛す』の「訳者あとがき」から、福島正実氏の言葉を引用したい。
ここで紹介した短編集は、残念ながら電子書籍化されていない。
だが心暖まるこれらの短篇は、断捨離せずに手持ちで保存しておきたい一冊だ。
電子書籍派の方も、ぜひ。