記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

原節子、笑顔の裏側。『東京物語』をさらに深く─。

小津安二郎監督『東京物語』は、海外でも高い評価を得ている名作です。

2022年、英国映画協会発行の「サイト&サウンド」誌で、世界の映画監督が選ぶ最も優れた映画に『東京物語』が3位に選ばれ、批評家による投票では4位を獲得しました。2012年には世界の映画監督が選ぶ映画では第1位。1953年(昭和28年)の古い映画が、いまだ色褪せずに世界中で息づいているのです。

『東京物語』は家族の喪失や崩壊を描いていますが、どこにでもある日常のホームドラマです。大事件など起こりません。
国境や時代を超えて、何がそれほど私たちの心を揺さぶるのでしょう。

前回は、づくりの凄さ、画面が感情を代弁していることなどをお話ししました。

今回は、ヒロイン・紀子の「笑顔」に注目したいと思います。

原節子演じる紀子の笑顔、抜群の美貌で画面がパッと華やかに。
でもこの笑顔、紀子の本当の顔ではなく能面」なんですよ。
感情を隠したお面です。
彼女はなぜ微笑みの能面を見せていたのか、能面をはずすのはどんなときか。

それを意識すると、この作品がもっと深く味わえるでしょう。
今日はそんな観点から『東京物語』をお話ししたいと思います。


『東京物語』概要

尾道に住む老夫婦・平山周吉とみが、東京の息子や娘たちの家を訪れる。最初は歓迎されるものの、みな自分たちの生活が忙しくて相手ができない。老夫婦は一抹の寂しさを抱えて尾道に帰るが、その直後にとみが亡くなった。
尾道での葬儀を終えると早々に引き上げる息子たち。周吉を思いやり、しばらく尾道に滞在したのは、戦死した次男の嫁・紀子だけだった。

監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:原節子、笠智衆、山村聰、東山千栄子、杉村春子、香川京子、大坂志郎
1953年(昭和28年)公開 松竹

*『東京物語』はパブリックドメイン(著作権切れ)の為、画面写真を掲載しています。

*『東京物語』はU-NEXTでデジアルリマスター版の視聴が可能です。Amazon Prime Videoでも視聴できますが、デジタル修復されていないヴァージョンになります。

*個人的には、U-NEXTのデジタルリマスターでの視聴をお勧めします。Amazon Prime Videoのデジタル修復されていない画質に比べて断然きれい。ストレスなく視聴できます。U-NEXTに加入していなくても、31日間無料見放題で利用することができます(いつでも解約自由)。


********************

▼紀子の立場と時代背景

尾道に住む老夫婦の周吉ととみが、東京下町にある長男・平山幸一の家を訪れます。長女の志げ、次男嫁の紀子(原節子)も揃い、老夫婦を迎えます。紀子は嫁といえど、夫の昌二は8年前に戦死。いまは未亡人です。

老夫婦、上京初日の紀子の笑顔

▲紀子(原節子)、出迎えのご挨拶で笑顔
▲短い会話の間も笑顔は崩れない
▲夕食後の歓談でも笑顔がまぶしい


この映画公開年は昭和28年。まだまだ封建的な雰囲気が残っている時代です。長男・幸一の妻の文子も、老夫婦を迎える準備にひとり忙しく立ち回っていました。紀子も料理の準備や後片付けを手伝います。
同じ女性でも長女の志げは遠慮の無い物言いで、この家族の明確なポジショニングがわかります。

紀子はいわば、この集合体の中では一番下のポジションです。皆を気遣い、笑顔で接するのは当然でしょう。

小津安二郎は日本人特有の「建前たてまえ」も美意識として描きました。成熟した大人は、皆が集まる場では感情を剥き出しにしない。こんな美徳が日本にはありました。時代が変わり、今では異を唱える人の方が多いかもしれません。

本音は出せる人の前でこっそり出す時代。たとえばこんなシーン。物語の終盤、母の葬儀を終えた後の尾道で、末っ子の京子が実姉に対する不満を口にします。その本音に対し、義姉の紀子は建前たてまえの笑顔で通す。でも本音の一言くらいは漏らします。


本音の京子と、建前たてまえの紀子
「子どもはいずれ親から離れる」

▲平山家の末っ子・京子は、
母の葬儀が終わって兄や姉たちがすぐに帰京したことを
自分勝手だと紀子に漏らす。

紀子「お姉さまぐらいになると、
もうお父さまやお母さまとは別な、
お姉さまだけの生活ってものがあるのよ」

▲義姉たちを気遣うように笑顔で話す紀子。

紀子「誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」
▲紀子の話に納得いかない京子。

「いやァねぇ、世の中って……」
▲義姉の立場を通し、世知辛いことも笑顔で話す。

「そう。いやなことばっかり……」


これが現代ドラマなら、紀子は最後、笑顔を見せないでしょうね。
少し真剣な面持ちで「そう。いやなことばっかり……」と呟いたり、あるいは溜息をつくような演技を入れたりするのでしょう。

でもこの映画の紀子は、義妹の前では毅然とした態度をとり続けます。それが義姉の立場だからです。言葉の裏にはもっと違う思いが隠されている。でも言いません。この笑顔は能面です。
この後、玄関で2人は手を取り合い、慈しみながら別れを告げます。京子にはきっと、紀子の言えない気持ちが伝わったのでしょう。



▼笑顔が消えるとき。交錯する思いへの逡巡


いつも笑顔を絶やさない紀子ですが、笑顔が消失する場面が2度あります。
(義母の臨終や葬儀の場面は別)
そこに、この物語の深みの一端が隠れています。

一度目は、東京で義母とみが長女志げの家を追い出され、紀子のアパートに泊まった夜。

紀子を思い、再婚して幸せになってほしいと話す義母とみ

▲やさしく接してくれる紀子に、とみは
再婚して幸せになってほしいと話す。
笑顔でとみを安心させる紀子。

「いいえ、いいんですの。あたし、このほうが気楽なんですの」
紀子の言葉にとみはすすり泣く。
紀子から笑顔が消える。
とみが泣き顔を隠すようにうつむいた瞬間、
紀子の顔にも寂しさが漂う。
▲隣で寝るとみのすすり泣きの声を聞き、
じっと宙を見つめる紀子。


ここでは義母とみに対して本心を隠す紀子が窺えます。
亡くなった昌二を思う気持ちは本当でしょう。でも果たしてそれだけなのか。笑顔の仮面をはずした紀子の寂しい表情は何なのでしょう。


二度目の笑顔消失は、義父の周吉と話すシーン。
とみの葬儀後、紀子はしばらく尾道の家に留まります。紀子が東京へ帰る日、周吉は亡くなったとみのことを話しました。
とみが東京で一番嬉しかったのは、紀子のアパートに泊めてもらった晩だったと。そしてとみと同様、周吉も紀子の今後を案じます。


笑顔の能面を外し、心を吐き出す紀子

▲周吉は紀子の将来を考え、
お嫁にいっておくれと静かに話す。
「もう昌二のこたァ忘れてもろうてええんじゃ」

「あんたみたいなええ人」
という周吉の言葉を、否定する紀子。
謙遜とは違った本音が徐々に引き出される。
▲まだ笑顔。
「わたくし、ずるいんです。
お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、
そういつもいつも昌二さんのことばかり
考えてるわけじゃありません」
▲紀子の笑顔が消える。
この頃は思い出さない日さえある、
このままひとりでいることに
不安を感じると、初めて本心を口にした。

「夜中にふと考えたりすることがあるんです。
1日1日が何事もなく過ぎゆくのが
とっても寂しいんです。
どこか心の片隅で、何かを待ってるんです」

自分をずるいと責める紀子に、
周吉が「いやァ、ずるうはない」
やさしく返す。
「いいえ、ずるいんです。
そういうこと、
お母さまには申し上げられなかった」
▲周吉は紀子にとみの懐中時計を渡す。

「いやァ、あんたに使うてもらやァ、
お母さんもきっとよろこぶ。
なあ……もろうてやっておくれ」
「いやァ……。お父さん、
ほんとにあんたが気兼ねのう、
さきざき幸せになってくれることを
祈っとるよ──、ほんとじゃよ」
▲紀子はことばを失い、涙する。


紀子は周吉にだけ、笑顔の能面をはずしました。
「そういうこと、お母さまには申し上げられなかった」というセリフは秀逸です。女同士だからこそ言えないことがある。息子を想う母親の気持ちを気遣ったのもあるでしょう。
男性である周吉は、紀子にとってちょうどいい距離感だったのでしょう。淡々とやさしく話す周吉に、紀子は「笑わなくていい」暖かさを感じ取ります。

「良い嫁」だった紀子の心は、寂しさと不安に巣くわれるようになりました。きっと本音と建前の挾間で揺れ動いていたでしょう。
ここでは、そんな気持ちを吐き出しただけ。それ以上のものはありません。でも紀子にとっては大きな出来事だったと思います。この先、自分がどう生きていくかの岐路に立ったのですから。


▼新しい時を刻み始める紀子

東京へ帰る列車の中で、紀子はとみの懐中時計を眺めます。
とみの時間をずっと見つめてきた時計を握りしめ、何を思ったのでしょうか。両手のひらで包み込まれた時計に、とみの時間を感じたのか。
そして自分のこれからの時間を重ね合わせていくのか。
紀子の時間は動き出しました。それだけは確かです。



小津は俳優に意味の無い動き、無駄な演技をいっさいさせません。
表現は最小限に抑えさせます。

ですから紀子の笑顔にも意味があった。良い嫁として精一杯生きる紀子、その裏に寂しさと不安を抱えている紀子。

原節子は笑顔の見え隠れという使い分けで、心情の変化を見事に表しました。とみを泊めたときの不安で憂いのある表情、寝床で宙を見つめる逡巡めいた眼差し。その思いが、周吉の前で一気に弾けてしまう静かな勢い。

『東京物語』は紀子を演じる原節子の美貌と笑顔が、淡々とした日常に華を添える作品です。つい、原節子の笑顔ばかりを追いかけてしまう。ですが、笑顔が消えたときにこそ意味がある。

映画が公開された昭和28年当時は、紀子と同じような感覚の人がほとんどです。いわずもがなで紀子の心情や気持ちが汲み取れたでしょう。

ですが今は時代が違う本音と建前の使い分けこそ美徳であるという意識は壊れています。今はそれがもっといびつな形で膨れ上がり、家族感や人間同士の問題はもっと多様化しています。

だからといって、紀子にも周吉にも共感できないでしょうか。
相手を思いやるというお互いの気持ちだけは、時代感覚も何もありません。その一点のみは、時代も国境も関係なく生き続ける心だと思います。

ここまで言ってしまうと、『東京物語』の本当の残酷さを無視するわけにいかなくなりました。暖かいエピソードだけじゃないんですよ。

周吉と紀子の心温まる関わりが描かれることでより一層、寂しさの象徴としての周吉が際立つのです。仕方ない。それが日常の無常だから。小津はこの現実から目を逸らしませんでした。

このことを最後にお話しして、締めくくりたいと思います。


▼周吉の孤独を暗示しているシーン

東京についた翌日、長男の都合で東京見物の予定がなくなりました。老夫婦はすることもなく時間を持て余してしまいます。 

長男宅の二階の窓から土手を見る周吉

▲幸一に急患が入り、東京見物は取りやめに。
手持ち無沙汰な周吉。
二階からじっと外を見ている。
「ああ、あんなとこで遊んどるよ」

向こうの土手に、とみと孫の勇の姿が見える。
▲周吉の目線で見た、土手の上のとみと勇
▲土手の上で孫に話しかけるとみ

「あんたがのう、お医者さんになるころァ、
お祖母ちゃんおるかのう……」

自分の命が尽きることを暗示しているようなセリフ。
▲孫は何も答えず、草むしりに夢中。
その姿をとみがじっと追っている。
▲とみと勇の様子を窓からじっと見ている周吉。

ひとり所在なく佇む姿は、
周吉の近い未来を暗示しているかのようである。


映画ラスト。尾道の家で外を見つめる周吉

▲紀子が東京へ帰ったあとの周吉。
上のショット(東京・長男宅の二階)と同じ哀愁が漂う。


長男宅の二階でひとり外を見る周吉のショットと、ラストに出てくる尾道の家での周吉ひとりのショットは、場所は違えど非常に似ています。
うちわをあおぎ、抜け殻のように背中を丸めて外を見つめる。
2つのショットで、周吉は同じ姿で佇んでいます。

東京・長男宅の二階のショットは、近い未来を暗示しているかのようです。
抗うことのできない日常。それ故に残酷。
これもまた、誰もが経験するであろう現実であり日常なのです。

巣立つ者、去りゆく者、心通わせる者、送り出す者。
人生の中で人とふれ合い、傷つき、愛し合う。喜びや悲しみ、寂しさがある。私たちは皆、「日常」というドラマの中を生きている。

これが『東京物語』の日常です。淡々とゆったりとした、暖かく、されど残酷なドラマです。
ですが観る人の感情によって、何も語られないシーンの余韻に希望を投影することもできるのです。
紀子の幸せを願う、深い愛情を伝えた周吉。寂しさと一緒に、きっと暖かな思いも寄り添っていると私は信じています。


*前回の記事では、『東京物語』の画面作りを中心にお話ししています。
構図の面白さや美しい一枚絵のようなショットも紹介しています。
ぜひこちらもご覧下さい。↓


この記事が参加している募集

映画感想文