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唯一無二の心地良さとは? 小津安二郎監督『東京物語』の魅力

私は映画の再視聴、本の再読が大好きです。観たり読んだりする時期によって解釈が深まり、ひとつの作品から見える景色が変わってくるからです。

30年ぶりに小津安二郎監督の『東京物語』を観ました。
日本だけでなく世界中で高い評価を得ている名作です。
薄れ行く親子の絆に見る、人生の悲哀と儚さの物語──。

今、人との繋がりや辛い別れも経験した年齢としで観て、若い頃とは違った思いが込み上げました。そして映画の世界観から小津の美意識をあらためて感じ取り、深みに嵌まって抜けられなくなりました。

小津映画というのは、郷愁や喪失感、人生や人情の機微に訴えかける装置だったんですよ。
『東京物語』は昭和28年の映画ですが、そこに生きる人たちはいまと変わりがありません。子どもは年老いた親を疎ましく思い、好き勝手を言う。
人々が感じることは、いまも昔も同じです

では何に郷愁を感じるのか。何に心を動かされるのか。
それはストーリーやドラマの部分だけじゃなかったんです。
もっと深い、総合芸術としての世界観が用意されていたんです。

今日はそんなことを話してみたいと思います。

*『東京物語』はパブリックドメイン(著作権切れ)の為、画面写真を掲載しています。

*『東京物語』はU-NEXTでデジアルリマスター版の視聴が可能です。Amazon Prime Videoでも視聴できますが、デジタル修復されていないヴァージョンになります。


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『東京物語』概要

尾道に住む老夫婦・平山周吉とみが、東京の息子や娘たちの家を訪れる。最初は歓迎されるものの、みな自分たちの生活が忙しくて相手ができない。老夫婦は一抹の寂しさを抱えて尾道に帰るが、その直後にとみが亡くなった。
尾道での葬儀を終えると早々に引き上げる息子たち。周吉を思いやり、しばらく尾道に滞在したのは、戦死した次男の嫁・紀子だけだった。

監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:原節子、笠智衆、山村聰、東山千栄子、杉村春子、香川京子、大坂志郎
1953年(昭和28年)公開 松竹


▼日常の中の悲劇を淡々と


『東京物語』について小津安二郎監督は、「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ」と語っています。
それは人間の老いと死、崩れていく親子関係のような日常の避けがたい喪失感のことです。

俳優の過剰な演技やセリフでの説明を嫌った小津は、日常の変化を画面で淡々と見せて「どうしようもない無常」を表現しています。

ひとつの例を見てみましょう。
「1-老妻が亡くなる前の尾道での楽しげな場面」と、「2-亡くなった後の空虚な寂しさを感じる場面」の変化に注目です。

1と2は「同じ位置から同じ構図で撮影した場所」のショットで構成されているため、違いが歴然です。

〈1-旅行前の楽しげな希望のショット〉
尾道の風景から老夫婦の部屋への流れ

▲尾道の道路の風景。子どもたちが学校ヘ向かう明るい朝の様子
▲小高い丘から見下ろす海の風景。
線路には列車が走り、力強い風景の印象
▲老夫婦が部屋で旅行支度をしていると、
近所のおばさんが窓から挨拶。
「立派な息子さんや娘さんがいなさって結構ですなァ。ほんとうにお幸せでさァ」


〈2-老妻が亡くなった喪失感を表したショット〉
尾道の風景から老夫婦の部屋への流れ

▲尾道の道路の風景。
旅行直前では子どもたちが登校する生き生きとした姿があった。
同じ場所でも人の姿がなく、うら寂しい
▲小高い丘から見下ろす海の風景。
列車が走っていないだけで時間がとまったような寂しさがある
▲老妻がいなくなった部屋に1人佇む周吉。
窓越しに挨拶する近所のおばさんと短い会話。
周吉「1人になると急に日がなごうなりますわい……」
おばさん「まったくなァ……。お寂しいこってすなァ……」


小津映画には、1と2のような「同じ位置から同じ構図で撮影した場所」の「繰り返し」が多く出てきます。
反復されることで印象は強くなり、観客はそれを「日常」の風景として捉えます。そこに変化が起こると、私たちは違和感を覚える

上の例でもわかるとおり、部屋のショットで老妻がいなくなった寂しさは如実です。近所のおばさんが窓からのぞいて挨拶をするというのも、「繰り返し」の演出。このような日常の変化だからこそ、いるべき人がいなくなった空虚さがリアルなのです。

だからダイレクトに響く。ぱっと見ただけで胸を突き刺すような思いに駆られる。静かにゆったり流れる映像だからこそ、観客は溢れ出る感情を寄り添わすことができるのです。

映画において感情は、セリフや俳優の演技だけで語るものではありません
小津の映画では、映像の世界観そのものが感情を代弁しています。
映画とは、映像を構成する要素すべてを融合した総合芸術だからです。

今回は映画の技術を語る記事ではありませんが、『東京物語』の面白さの中でその特徴にも触れたいと思います。



▼日常儀礼を丹念に描くことの効果


では物語の最初に戻りましょう。老夫婦が東京の下町で開業医を営む長男・平山幸一の家にやってきます。
このシーンでは普通の映画では省略される、おじぎや挨拶などの日本の儀礼的動作何気ない会話が丁寧に描かれています。

このリアルさに私は胸が熱くなりました。
子どもの頃、親戚や祖父母が集まって賑やかになった風景がサッと蘇ったからです。映画の中で慣習的な所作(おじぎや挨拶)が繰り返されることで、自分の思い出が呼び起こされたのです。日常儀礼の動作は日本人ならではの共通点ですから。


老夫婦が長男の家に来たときのリアルな流れ

▲玄関で老夫婦を迎え、荷物を運ぶ長男の嫁・文子
▲両親に座布団に勧めたあと、文子が正座をしてご挨拶
▲周吉も「厄介になります」と挨拶。
人物が喋るときは正面向き。
視線はややカメラからずらす。
これも小津映画の特徴である。
観客は物語の中にいるような臨場感が味わえる
▲一同が立ち上がったところで平山家の子どもたちがご挨拶
▲戦死した次男の嫁・紀子が遅れて登場。
玄関先で軽い挨拶。
この後、老夫婦に挨拶しに行くと2階へ上がる
▲老夫婦が2階で寛いでいるところへ
紀子が正座しておじぎ。きちんと挨拶をする
▲言葉遣いも美しい。
「でも、お父さまもお母さまも、
ちっともお変わりンなりませんわ」

*シナリオにはセリフの発音が忠実に書かれている。
そのため「お変わり」ではなく「お変わりなりませんわ」

おじぎと挨拶だけのシーンですが、全然まどろっこしくありません。
映像はゆったりですが、セリフが短くテンポがいいリズム感のある切り替えで、最初はぎこちない挨拶から徐々に打ち解け合うのがわかります。
笑顔の出迎えが嬉しくなり、観ている方も気持ちがほぐれます。
そして言葉遣いや絵画的な画面構図が美しく、飽きません。

こう感じる裏には、小津スタイルという厳格な演出の特徴が隠されています。
緻密な画面構図を作るための据え置きカメラ標準レンズのみ使用のローアングル(ローポジション)撮影、完全にコントロールされた俳優の位置と動き短いセリフ等々。
小津映画の独特にして厳格な文法については別記事にて触れていこうと思います。


▼老夫婦の孤独に、紀子が交わる膨らみ

最初は暖かく迎えられる老夫婦ですが、息子や娘たちは日々の生活を優先します。観客は邪険にされる老夫婦にせつない気持ちを抱くでしょう。
その一方、息子や娘の気持ちも理解できるのです。日常を犠牲にしてまで両親に合わせられない。それは誰もが思う本音でしょう。

そして老夫婦が尾道に帰るや否や、老妻とみが亡くなります。息子たちは葬式を終えた後、すぐ形見分けの話しをして帰ってしまう。あんなに泣いていたのにと思いながらも、現実はこんなものだなと胸が痛みます。
これが日常における悲哀です。希薄化する親子の関係です。

ですがひとつの希望として紀子が残されています。
紀子は平山家次男・昌二の嫁ですが、昌二が戦死してから8年、「孤独の時間」を過ごしています。

▲紀子のアパートを訪れ、
戦死した息子・昌二の写真を懐かしそうに見入る2人。
両親と紀子は、家族を失った悲しみを共有している
▲鎌倉で昌二の写真を撮ったと話す紀子。
亡くなった昌二を介し、3人は心を通わせる


紀子の孤独は、息子を失った周吉・とみ夫婦のものと同じです。心を開いて親切にするのも、停滞した時間を感じる者同士だからなのでしょう。
物語のラストで、周吉はとみの懐中時計のネジを巻き、紀子に渡します。動き出した時計を手にした紀子。それは止まっていた時間が動き出したことを暗示しています。
その時間を与えた周吉にも、きっと何かが動き出すことでしょう。

血を分けた家族には叶わなかった愛情の橋渡しが、同じ思いを共有する同志で成されました。小さな希望ですが、人生には哀しみと同じだけ喜びもある。それはどんな形で訪れるかわかりません。

私はこんな風に感じました。
人生はそれほど素晴らしくない。
されどそれほど捨てたものでもないと。


▲葬式の後、紀子だけは周吉を思いやって
尾道に数日滞在した。
その優しさに、
周吉は亡くなった息子のことを忘れて、
結婚して幸せになってほしいと話す。
▲周吉の思いやりに胸を打たれ、心のうちを話す紀子。
紀子が坐る場所には、生前、とみが坐っていた。
この場所のこの位置で周吉と話す人物は、
周吉と心を通わせていると思わせる構図。
(文中上から3番目のショットと同じ部屋)
▲周吉はとみの懐中時計を紀子に渡す。
周吉の心を知り、涙する紀子。
小津は俳優たちに、
大袈裟でない抑えた演技を指導した。
だが紀子役の原節子にだけは
ややアクセントの強い演技を許可。
これはヒロインとしての印象づけである。
▲物語のラスト、汽車の中で
動き出した懐中時計を見る紀子。
止まっていた紀子の時間が動き出したことを暗示させる。



▼人物が同じポーズを取る構図の多用


小津はしばしば人物に同じポーズをとらせています

画面の中で同じ方向を向いて綺麗な図形を思わせる形になるよう、厳密に配置します。時には2人が同じ動作を反復することもあります。

▲部屋で帰り支度をする老夫婦。
2人の前屈角度、手の位置・高さも揃っている。
この見事な相似形を実現するため、
小津は俳優を厳密に配置し、
動きもいちいち細かに指定した。
▲飲み屋のカウンターでの並びの配置。
頭の高さから見事な角度の形に揃っている。
小津は俳優の演技よりも、
美しい構図を優先した。

並んだ人物たちは同じ思惑同志であるという意味や、構図としての安定と調和が表されています。この形を繰り返すことで安心感が生まれ、崩れたときには画面を見ただけで不安を感じるという効果にも繋がるのです。

▲紀子が義母とみを泊めた夜、
とみは紀子の将来についての思いを告げる。
2人の配置は綺麗な三角形を思わせる。
2人は昌二を失った孤独と哀しみを共有。
▲亡くなった母の周りに集まった息子と娘。
右端の敬三が母の顔に被せられた手ぬぐいをとり、
死を受け入れたところで3人の兄妹と気持ちが同化。
頭を右にかかげた角度により、
皆が同じ形をとって一体感が生まれた。


小津は表現したいことを効果的に美しく伝えるために、余計な情報はバッサリそぎ落としています。

小津映画とはすなわち、究極の“引き算映画”なのです。
無駄なものを極力省き、必要不可欠な情報だけで整然と美しく形作る。

余計な小物は置かない。
余計な動きはさせない。
余計なセリフは喋らせない。
余計な間を取らせない。
そぎ落とせるものを徹底的にそぎ落とした、“ミニマムな美”なのです。

観客はそれだと意識しなくても、心地よい見た目とリズムで映像の流れを楽しめます。調和のとれた映像に自然と安心し、それが崩れたときの違和感さえ汲み取れる作りがされているのです。


おまけ 私の好きな絵画的に美しいロングショット(遠景)2選

▲土手の上で遊ぶ老妻と孫の勇。
周吉が長男の家の2階から見た風景。
最高に美しい絵画的構図の


▲熱海の海に思いを馳せる老夫婦。
そろそろ尾道へ帰ろうかと呟く。
光り輝く海原を辿ると、安住の家があると思わせる



▼海外から絶賛されている小津安二郎


小津安二郎は、このような淡々としたホームドラマを撮り続けた監督です。
当時は「変化と抑揚がない。退屈だ」という批判もありました。
ですが『東京物語』が1958年にロンドン映画祭に出品され、最も独創的で創造性に富んだ映画監督に贈られるサザーランド賞を受賞。いよいよ世界が認める日本人映画監督として認知されることになります。

2012年、英国映画協会発行の「サイト&サウンド」誌で栄えある賞にも輝きました。世界の映画監督358人が決める最も優れた映画に『東京物語』が1位に選ばれたのです。批評家846人による投票では3位です。
同誌では「その技術を完璧の域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画をつくり上げた」との評価を受けています。

●世界の監督が選ぶ名作(1〜5位)
1位 東京物語(小津安二郎)
2位 2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
3位 市民ケーン(オーソン・ウェルズ)
4位 8 1/2(フェデリコ・フェリーニ)
5位 タクシードライバー(マーティン・スコセッシ)

●世界の批評家が選ぶ名作(1〜5位)
1位 めまい(アルフレッド・ヒッチコック)
2位 市民ケーン(オーソン・ウェルズ)
3位 東京物語(小津安二郎)
4位 ゲームの規則(ジャン・ルノワール)
5位 サンライズ(F・W・ムルナウ)


ちなみに2022年の世界の監督が選ぶ名作に『東京物語』は3位評論家が選ぶ名作に4位にランクインと、いまだ高い評価を得ています。10位までにランクインしている日本映画は『東京物語』だけです。


小津の影響を受けた映画監督として有名なのは『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダースでしょう。ヴェンダースは『東京画』で1983年の東京を描き、『東京物語』主演の笠智衆や撮影の厚田雄春へのインタビューも行っています。

ヴェンダースは『天使のまなざし─ヴィム・ヴェンダース映画を語る』の中でも、小津が自分にとって唯一の影響を与えた映画監督であり、自分の師だと語っています。


他にもフランソワ・トリュフォーなど仏ヌーヴェルバーグの映画監督たちにも大きな影響を与えました。 

海外で評価される理由として考えられるのは、家族の問題という普遍的テーマを扱っていること。
また小津スタイルという、世界の映画監督たちと一線を画した非常に個性の強い演出上のルールがあること。それは徹底した構図主義、小津の美意識を実現するための独自の厳格な撮影方式であること。
こういった視覚的なアプローチが際立っていることも原因でしょう。

特に各国の映画監督たちは『東京物語』のドラマそのものよりも、小津の視覚効果や演出技法を実現した独自の方法論に着目したと想像しています。映画監督というのはその方法論を模索している人たちですから。

小津は画面構図の美しさを最優先すると自ら言っています。
先にも触れましたが、それを実現するため、
・標準レンズしか使用しない。
・カメラは据え置く。移動させない。
・ローポジションで撮影する。
・俳優の大きな動き、熱演、禁止
・正面を向いて喋る
・ショットを繰り返し使用
・テンポの統一

などが代表例としてあげられます。
小津は自分が目指す映像を実現するため、これらのルールを徹底しました。シナリオ、対話にも一定のルールがあります。
小津映画を真似ることはおそらく誰にもできません。唯一無二です。
目指す映画を実現するための総合方法論なので、表面上真似しても意味がないのです。
カラー作品になってからはより絵画的な美しさが楽しめます。
これらについては、また別の機会で触れたいと思います。



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