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モッチー編集長の高松日記28〜屋島のたぬき〜

こんにちは。モッチー編集長こと望岡季世彦(もちおか・きよひこ)です。
このアカウントでは高松の好きなところ、高松経済新聞の取材などを通して感じた高松の魅力をお伝えしていきます。

今回ご紹介するのは「屋島の太三郎狸」。屋島寺にも石像があり、祀られています。

屋島寺の太三郎狸像

佐渡島の「佐渡団三郎狸(だんざぶろうだぬき)」
淡路島の「淡路芝右衛門狸(しばえもんたぬき)」と並び、日本三名狸と称される太三郎狸
(昔屋島も島でした。全て島を根城にしているのも面白いですね)
ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」にも登場します。
いろいろな言い伝えが紹介されていますがそれぞれざっと見ていきましょう。

言い伝え 1:源平合戦
あるタヌキが矢傷で死にかけたところを平家の武将・平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓い、その子孫が太三郎狸とのこと。
平家の滅亡後、太三郎狸は屋島に住みつき、屋島に戦乱や凶事が起きそうなときはいち早く屋島寺住職に知らせたことから屋島寺の守護神として祀られるように。その変化妙技は日本一と称され、ついには四国の狸の総大将の位にまで上り詰めます。大寒になると300匹の眷族が屋島に集まり、かつて自分が見た源義経の八艘飛びや弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたと言い伝えが残っています。他に屋島寺の住職が代替わりする際にも、寺内の庭園「雪の庭」を舞台とし、合戦の模様を住職の夢枕で再現してきたそうです。

言い伝え 2:鑑真
時代は遡って天平の世。屋島寺は754年、唐の僧である鑑真により開創したと伝えられていますが、屋島を訪れた際、盲目のために難儀する鑑真を、太三郎狸が案内したという伝説も残っています。

言い伝え 2:空海
空海(弘法大師)が四国八十八箇所の霊場を開創した頃、霧の深い山中で道に迷った空海を、老人に化けた太三郎狸が案内したという話も残っています。度の過ぎるいたずらを繰り返すキツネを弘法大師が追放したという話も。

後半二つのパターンでは鑑真や空海に感銘を受けた太三郎狸は狸の徳を高めるべく、屋島に教育の場を設け、全国から集まった若いタヌキたちに勉学を施していたとか。
ちなみに高松中央公園にある狸の像は「はげさん」と言って太三郎狸の弟分とのこと。

はげさん像
画像は https://www.a-living.jp/kagawa/konyamachi/blog/index.php?id=31688 より

屋島ドライブウエーが開通する1961年ごろまで、屋島でもタヌキが見られたそう。近年ではすっかり姿を見なくなりましたが2014年に野生のたぬきが現れたと話題になりました。

また屋島のタヌキが姿を現す日は来るのでしょうか?ぜひまた源平合戦を我々にも見せてほしいものです。

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