嫌われる勇気はいるのか

僕がいつも米国株でよくみているじっちゃま(広瀬隆雄)のツイッターでのコメントが非常に考えさせられるなあと。

どうしてじっちゃまはすごく偉そうなんですか?

というツイートに対して(すごいツイートですね)

他人から嫌われることに価値を見出しているからです。(これ、マジレス)ほとんどの日本人は”他人から好かれたい”とか”部下から慕われたい”と思いながら仕事をしています。これが間違い。そうではなくて”これは成果につながるか?”という視点から全てをとらえる必要がある。

愛されるより憎まれたほうが「あいつは仕事ができる」と思われやすいです。親しみを持たれるより恐れられたほうがお給料は上がります。自分の仕事にい横車入れようとする奴も減ります。

現代を除けば過去欧州大陸がいちばん平和だったのはドイツの宰相がビスマルクだった時代。ビスマルクは好戦的なリーダーというオーラを出し「鋼鉄宰相」のあだ名をつけられました。八方美人のリーダーです。戦争おっぱじめるのは。ようするに僕が現役時代一貫して目指してきたのは「舐められない相手」になること。畏怖され、相手が自分の名前聞いただけで震え上がるようになればしめたもの。


リーダー論ですね。愛されるより憎まれたほうが「あいつは仕事ができる」と思われる。これは本当にそうだと思います。課長以上はどうしても憎まれる仕事が多くなるのでそれができる人なのかで上も見ている気がします。みんな仲良くじゃ改革はできないからですね。だから給料上げるならって観点なら100%そうだと思います。

で、これがまた悲劇を生んでいるところもあると。みんな仕事が無駄に大変になるのはこれだからですね。

個人的に学生までは受け身が求められて、社会人になるといきなり自主性が求められるなと同じくらいに、課長以上になるととたんに求められるものが変わるなと。新卒で”コミュニケーション力”を重視するのって周りとうまくコミュニケーションをとって進められる協調性の高い人を取るし、メンバーのうちはそれが重視されます。畏怖されそうな後輩とか正直結構反発くらうから、けっこうめんどくさいところありますよね。

で、課長以上になるととたんに嫌われてでも前に進める人が求められると。課長以上って「仕事はできるけど人としてどうなの?」って人結構います。でもやっぱり「嫌われることを厭わない」メンタルは課長部長と上がっていくなら必須だと思います。嫌われるんじゃとか考えてたら何もできないし、自分のメンタル持ちません。

一方で、メンバー総スカンで目標だけは達成したけど、って状況自分がリーダーだったらそれ喜べるのかなって素直に思います。あと他人から嫌われないとなにかとラクなんですよね。基本反発くらうと無駄にパワー使う場面が多い。

嫌われたくないは自信のなさの表れではあると思います。嫌われてもいいって自信は必要。

なんかでもリア充、キョロ充論な気もする。リア充は自分に自信があるから嫌われることを気にしないけど、キョロ充は空気読んで生きてるから嫌われるか気にする。男女差もある気がする。女性のほうがムラ意識というか、仲間内ではずされないようにする意識が高いとか。

特に女性が職場で多くなる今で言うと、嫌われることを厭わない人はモテるけど、嫌われる人は嫌われる笑笑。なかなか難しいラインですね。

まぁじっちゃまはアメリカの投資銀行勤めだったからその考えで100%正解だと思いますが日本だと用法用量をお守りくださいって感じかなと。

ここはやっぱりある程度”その人の性格”によるところが大きいと個人的には思います。嫌われることを厭わないで行ける性格の人はそのままいけばいいし、でも嫌われてまですることにどんな意味があるんだい?って人は、反発されないで人を動かすように考えていけばいいのかなと。そんなに嫌われるかってところには敏感にならなくてもいいけど、無理に嫌われなくてもやり方はあるんじゃないと思います。まあ難しいんですけどね。



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