今井貴子

フルート奏者。17年の仏生活から日本へ。homepege:https://imaita…

今井貴子

フルート奏者。17年の仏生活から日本へ。homepege:https://imaitakako.wixsite.com/flute

マガジン

最近の記事

みのりて〈室内楽の秘境 Ⅱ〉うつろう旋律、発光する音響

6/30に東京コンサーツラボにて開催される、みのりての第二回公演を目前にして、当日配布するプログラムの解説(今井が担当した分)をこちらにも掲載してみようと思います。 トリスタン・ミュライユ (1947*) とロベルト・シューマン (1810-1856) 《子供の情景op.15》 は、シューマンによって、1838年に後の妻となるクララに宛てて書かれた。まるで自身の幼い部分をクララと共有し、愛を伝えるかのような特別な作品だったのかもしれない。ミュライユは、この作品について、表

    • ロマンス

      お久しぶりのノート。基本的に「衣食住+楽器+運動」以外は、なかなか続かないのでこうなるとは思って居ましたが、何ヶ月ぶりでしょうか。ご無沙汰です! 現在、日本に一時帰国中そして絶賛自宅待機中にて、コンサートの用意に勤しんでおります。日々練習。日々筋トレ。大の注射嫌いが頑張ってワクチン接種して帰国したのに、何処を見ても壁の毎日です。友人から「幽閉なんて早々ないから、ラピュタ&カリオストロの城ごっこをするべき!」と揶揄われておりますが、ムスカのような目で返信するのみ。 さて、7

      • 7週目と仮想音楽家レジデンス

        フランスの自宅待機も6週目がそろそろ終わります。どんな毎日かといえば、あまり通常営業と変わらず、レッスン日にSkypeやZoomを使ったレッスン、そしてビデオ会議(これは通常時はない)、フルートの練習、運動といういつも通りの感じ。 元気かと聞かれたら未だかつてないほど元気。何せ夜家にいるんですから。通常ならレッスンや演奏の仕事で、21時台に家に着いていたらいい方。「ふつう」の時間にゴハンを食べて、朝も普通の時間まで寝れて、家事もできて、練習もできて、レッスンの用意は地獄のよ

        • ongaku

          音楽とは一体何なのだろう? 芸術であり、娯楽であり、エンターテイメントであり、様々な顔を持つジャンル。それは一冊の小説が映画化され、舞台化され、またファウストのように音楽にも絵画にもなる。それは時代が変わった今も、形を変えて残っていく文化。 「娯楽とは人の心を楽しませ、慰めること」と史記には綴られているそうです。(広辞苑より)だとしたら音楽が娯楽と言われても悪い気はしない。我々音楽家が『娯楽』とカテゴライズされて眉間にシワが寄るのは、「楽しむだけじゃない!」という思いがあ

        みのりて〈室内楽の秘境 Ⅱ〉うつろう旋律、発光する音響

        マガジン

        • Creative
          7本
        • 参加プロジェクト
          1本

        記事

          音楽というスペース Ⅱ 〜レッスンの巻〜

          昨日の室内楽レッスンはピアニストに大越崇史さんをお招きしてのピアノ付きレッスン。歌科のレッスンには必ずピアニストがいるのに、なぜ管弦のレッスンはコンサートや発表会前しかピアノがいないのかと昔から不思議に思っていました。 勿論技術向上に対する奏法的な時間は必要なのですが、コードネームでいうCのドと、Fのドと、Dmのドは全く違うドなのに対して、それを識別する方法は和音を聴く事。慣れてくればスコアを読んで耳の中に音が響いてきますが、やっぱり百聞は一見(聴)にしかず。 ということ

          音楽というスペース Ⅱ 〜レッスンの巻〜

          音楽というスペースⅠ

          日本に戻って2日。北嶋愛季さん(チェロ)とリハーサル+大越崇史さん(ピアノ)との室内楽レッスンで、既に20時間フルートを吹くという好スタートを切りました。 物心つく前からピアノを触り、そこからフルートへと移行して四半世紀+α 音楽を奏でることはご飯や睡眠と同じような存在となり、この三つさえ揃っていればどこでも幸せに生活できるのでは・・・と思っています。(あと女性が働ける国であること) 2月16日の北嶋さんとのコンサートは、1部は0歳から聴けるコンサート、そして2部はフルコ

          音楽というスペースⅠ

          50歳までは新しいことを続けよう

          子供のころ、いつ、どうやったらプロになれるのだろうという不安はずっとあった。そして誰が貴方はプロですよと教えてくれるのかなと。でも結局好きな事を黙々と続けてきたら、周りの方々がチャンスをひょいっと投げてくれて、何故だかフランス在住も14年も経っていました。仕事もなかなか順調。 さて、普通のプロフィールはHPからご覧になれるので、ここではちょっとした「ノート」を綴っていきたいと思っています。 留学当初から「朝から白いご飯と納豆が食べたいから、勉強が終わったら帰って来る」と言

          50歳までは新しいことを続けよう