【143】哲学の先生と幸せについてお話する
こんばんは、
夕方から大雨がざーーーーっと降って、フィリピンの雨季、つらいな〜〜と感じつつ、外に出られないので、やらなければいけないことに向き合うしかなく仕事が捗ります!笑
今日も学校へ行っていて、また違う先生が声をかけてくださり、哲学の授業を参観させていただきました!
日本で、哲学の授業って公民や倫理の時間に哲学者のことを学ぶ以外には大学に入らないと授業がないような気がするのだけれど、フィリピンでは、基礎科目として哲学の授業があるのです。
What is the freedom?など、先生が答えのない問いをバンバン投げかけていくわけですが、問いとそれに対する生徒たちの答えが色々と面白かったです。
また、そのあと哲学の先生とお昼ご飯を食べたりしていて、なるほどなぁと思ったのが、「学校で勉強したり教えてもらったことが、日頃の態度の変化に現れない限りそれは学んだとは言えない。態度や姿勢の変化があってようやく学んだと言えるんだよ。」とおっしゃっていたことです。
いくらテストや提出物でいいスコアを取っていても、その人の生活のなかで態度や行動、姿勢に反映されていなければ、本当に学んだとは言えないんだなぁと。当たり前のことかもしれないけれど、改めて言語化して話をしてもらうと深いなぁと思わずにはいられなかったです。
ちょっと話は変わりますが、フィリピン人って幸せになる方法をよく知っているなぁと思うんです。物事の捉え方だったり、貧しくても心の幸せを自分たちでつくれる人だなぁと思います。
そうしていつもそんなに楽しそうにいられるの?とか、幸せになるなり方ってみんなどこで身につけているの?という話をたくさんしました。
その先生曰く、物事の捉え方は全て”選択”したものから成り立っていると教えてくださいました。ちょっとのご飯しかなくても、それをこれだけだと思うのか、食べれるだけ幸せ!今日もありがとう!と捉えるのか。その選択の連続なのよ!と。なるほど、幸せに捉える選択を重ねた方が幸せになるに決まっている!と思い、私も幸せに物事を捉えられるように選択していきたい!そう思いました。
今日はここまで!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?