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遅刻と人生とケセラセラ

うわわわ、5分遅刻(汗)と、ある朝

大慌てでメトロ階段を駆け降りていた

その時

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「マダム!」と呼びとめられ

何か落とし物でもしたかと振り向くと

見知らぬパリマダムが微笑みながら降りて来て


「そんなに慌てて駆けおりて!

 転んで落ちたらどうするの?」

-「約束に5分遅刻しそうで(大汗)」

「5分の遅刻が何よ

 転んで怪我したら6ヶ月間を無駄にするわよ」

-「確かにそうですね

  わたしも10分早く自宅を出るべきでした」

「わたしは不注意で怪我をして

 半年以上、不便な生活を強いられたわ

 慌てるなんて本当にダメよ

 遅刻ぐらいどうってことない

 人生が終わるわけでもなし」

…..

なるほどご自身の人生体験から出たご忠告だった


こんなやり取りでパリマダムの勝ち

彼女のペースに巻き込まれ

数駅先で

-「素敵なアドヴァイスをありがとう!

  今日も良い一日を‼︎」

と伝え手を振り合い別れました


日常のささやかなやり取り




日本ではいつも時間に追われていました

家内工業の我が家では家長最優先

幼い子供達の世話を優先しようものなら

「子どものことなど、後でよろしいよっ‼︎(怒)

 早くしろ‼︎(爆)」(体育会系)

との言葉が飛んできたりして急かされる毎日

「はいはいはいはい」なんて返事をしながら

それが当たり前、日常でした

(※今は歳を重ねだいぶ丸くなりました

  夫本人の名誉のため追記しておきます)


ところがパリへ移り住んでみましたら

遅刻は当たり前

ちょっとしたマナーである場合も…

「5分遅れます」とメーセージを入れると

「流石日本人だよね」と云われる

どうやら5分は遅刻のうちに入らないらしい


5分、10分前行動、

相手を待たせない

時間通りに開始、進行

その時間に対する観念が

日本人の信頼される点であるようだけれど


人生急いだってしょうがない

なるようにしかならない

それが人生、ケセラセラ


多分多くのフランス人がこんな感じ?


そういえば、ハイカラだった祖母がよく

「悩んだって仕方ない〜

 ケセラセラってなもんだわよ」

と云っていたっけ 

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今一度“ケセラセラ”の意を調べるべく

ググってみました

“ケ・セラ・セラ〜♪なるようになるゥ〜🎶”

の歌を思い浮かべながら

(↑雪村いづみさんヴァージョン

  よく聴くと“なるようになる”が無い⁈)

(↑ペギー葉山さんヴァージョン

 “なるようになるわ”あったわ!)


検索の結果“なるようになる”

以外の意味合いもありまして

“物事は勝手にうまい具合に進むもの”

“だからあれこれと気を揉んでも仕方がない”

“成り行きに任せてしまうのがよい” 


...なんて素敵な言葉なんでしょう‼︎


一難去ってはまた一難

(実はパリ暮らしは毎日がこんな感じ)

なんでわたしだけ? ぼくだけ?!

と、思い悩む日もあることでしょう


でもそんな時こそ

“Que Será, Será ケセラセラ!”

なるようになる!

すべてのわざには時がある!

(↑わたしの好きな言葉)

今は苦悩の時だけれど

それはそれできっと意味あるもの

物事は勝手にうまくいってしまうようですよ

わたしも成り行きに任せようと思います


ではでは今日はこの辺で


Très bonne journée !

本日も良い一日を!!!












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