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つまり、家族のしたこと。 ~映画「息子のしたこと」で、父親はそれを母親と娘に伝えるか?~

 ちょっと前の記事で「ラテンの母ちゃんがすごい映画を観た」といったようなことをちらっと書いた。
 その後に観た別の映画で「ラテンの父ちゃんも相当すげえ!」となった。
 Netflix映画の「息子のしたこと」である。

エステルさん、この美しさで女子校生の制服を着るんだからたまらんよ。
あ、父親役はホセ・コロナドさんです。


 既に記憶があやふやだけどスペインかポルトガルが舞台かな。血はラテン。真っ赤なラテンブラッド。
 この映画には数人の父親が出てくる。
 それぞれに息子がいる。
 「あんただって息子のこと考えりゃわかるだろ?」
 みたいなセリフも幾度かそこここで繰り返される。父親同士の間で。

 改めて気づいたんだけど、「母ちゃんがすごい」「父ちゃんもすごい」と衝撃を受ける時、そこには息子や娘がいないとその情動は起こりようがない。
 息子や娘が何かをして、その反応の仕方を見てはじめて、「母ちゃんやべえ」「父ちゃんえぐい」って言えるわけだから。
 私たちは誰でもかたちはどうあれ、母親の子であり、父親の子なんだよなあともしみじみ感じたり。

 母親にも父親にもならない人もいるけど誰かの子では絶対にある、この事実は結構おもしろい。
 誰だって子ども時代はあったのに全員が大人になるとは限らないのに通じるところがある。気がする。

 そして「息子のしたこと」に関して言うと、このタイトルからしてちょっと背筋がひんやりする。
 それは私が息子ではなく娘だが、母親にはなっていないこととの関連もあるだろう。
 「息子のしたこと」というタイトルから、恐らく親が子を探る話で、きっと子には親の知らない面があるとか、そういう話だろうと想像した。
 怖いね。ホラーよりよほど怖いなあと、タイトルだけで本能的に戦慄した。
 (原題はスペイン語で「tu ~」と動詞らしきものがついているから邦訳は正確ではないだろうけど、これはたぶん良い邦題)

 
 母親にとって、父親にとって、息子や娘のしたことが怖い。というのも、少なからずあるのではないだろうか。
 もちろん素晴らしいことや喜ばしいこともたくさんあるだろうけれど、そればかりではなかろう。
 これを「母親のしたこと」「父親のしたこと」にすれば心当たりの一つや二つ、あるんじゃないかな。
 仮に生まれてから一度も父親に母親にも会ったことがない人だって、その不在こそが「母親のしたこと」「父親のしたこと」だろう。
 そう表現せざるを得ないときの感情は果たしてどんなものだろう。

 「息子のしたこと」を通して父親が自分の父親っぷりを語る映画だった。
 息子の目線で「父親のしたこと」を語り得る映画になれるかというと、そうでもないなと思うのがまた面白かった。
 そうなれるチャンスを父親はあえて残しているが、「父親としてしたこと」を父親が洗いざらい伝えないと「父親のしたこと」は誰も正確に紡げない。
 主人公である父親には娘もいるのだが(息子から見て妹)、この娘が「父親のしたこと」を公開したら警察沙汰は確実。
 でもそれさえ氷山の一角でしかない。
 ラスト数分、息子の元恋人の名演技も手伝って「父ちゃん……すげえよ」と涙があふれた。私自身が妹なのでその立場になると「しょせん兄貴って奴らは守られるんだよなあ、かなりのクソでもさ、ハッ」とちょっとやさぐれもしつつ。


 「ラテンの母ちゃんすごい」に続いて「ラテンの父ちゃんもすごい」と来たものだから、いっそ「ラテンの息子もすごい」「ラテンの娘もすごい」みたいな映画を探してみるのも楽しいかも、と思ったけど既にそういう映画は観ている気がする。
 でも、たまたま観た映画が「いやー、今回もラテンがすごかったわ」ならただの感想だから良しとできるものの「ラテンのすごさ(すさまじさ)」をはなから求めていくのは偏るなあと、現時点では実行していない。
 ラテンにこだわらず「息子がやばかった」「娘がうわあ……だった」ってなる映画だったらちょっと考えるだけで数本は浮かぶ。
 そしてこれは私のものの見方の問題でもある。映画が始まってから数分でどこに、あるいは誰に焦点を置くかによって鑑賞後の「誰が」「どうだった」は、だいぶ異なるはず。
 映画を観る時にいちいちフォーカスを調整できないし、あまりしたいとも思えないので、こちらも今のところいじらぬまま。
 (プライベートでは。遙か昔に映画レビューの仕事をちょっとだけやっていたので、仕事ならやる。仕事だから)


 たとえば家族映画を、父親、母親、息子、娘、四人そろって観たらどうなるか。
 そういうシミュレーションは想像するだけでも楽しいね。
 家族映画のチョイスが最大の難関。ぱっと思いついたのが「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」なんだけど母親と息子が出てこなかったから没。「ファーザー」はかろうじて息子に相当する人物がいなくはないがとりあえずアンソニー・ホプキンスから少し離れなさい。「我々の父親」はあまりにズバリすぎるしドキュメンタリーだしちょっとなあ。「パラサイト 半地下の家族」は四人そろってるけどどうしても「いや家族どうのの前に韓国すげえ」ってなっちゃうよね。
 「ヘレディタリー/継承」ならいける。開始早々、四人のうち一人が欠けるけど最初からいないわけではないしいなくなっても存在感はすごいし、兄貴はアレだし、父ちゃんは名前がグラハムだし、母ちゃんは「Because I'm your mother!!!!」のシーンが圧巻だしいける。ホラーだけどいける。
 ここは一つ「エスター」あたりで手を打っておきましょうか。「ヘレディタリー」だと鑑賞者が逃げる可能性があるので。
 それも怖いやつじゃん!と言われそうだからオーソドックスなところで「奇跡の人」が最適解かなあ。

今はじめて原題を知った。「奇跡の人」って素晴らしい邦題だな。

 「奇跡の人」。アニー・サリバンとヘレン・ケラーのあの「ウォーター」までの話。
 ヘレンは「娘」。その「母」は何か涙ぐましいし、「父」は過保護で偏屈だけどあの時代(南北戦争時代)ならあれが標準だろうし、「息子」ジェームズは嫌な奴かと思いきやサリバン先生の最大の理解者だし(ヘレンにとっては異母兄というスパイスつき)、家族ものとして観てもかなり面白いはず。
 初見は「サリバン先生……!」「ヘレン!」の筆舌に尽くしがたい感情がなす術も無くすべてをかっさらっていくものの、二回目なら「ジェームズおまえ……」「ああ母よ……」「父親ああああ!!!」から「ヘレンが三重苦じゃなかったらこの四人どうだったんだろう」へのコンボが組める。たぶん。

 どこかの家族でやってみてくれないかな、これ。ちょっと我が家では不可能なので。残念!
 (そもそも家族仲がそこそこじゃないとそろって映画を観ることもわりと難しいんじゃないかなあ。どうなの?そうでもないの?はあー。ため息でちゃう)


ガンダムシリーズも家族ものとして面白いと思うのよね。
「閃光のハサウェイ」とか「ブライトさん……」ってなるし。
初代とZは特に家族関係の回が胸にぐっと来る。
(正直ガルマは被害者だろって言いたくなる。まさに生まれの不幸)
と言いつつ初代はテレビ版を完走してないから(劇場版三部作のみ)
「ククルス・ドアン」の公開前にいっちょ駆け抜けたい。



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