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瀬戸内をかける

私は今年の4月から、岡山県南端の町に住んでいる。ただただ仕事がそこにあったから越してきたに過ぎない。有体に言って、残念ながら寂れた町と表現せざるを得ない。辛うじて市街地には大型スーパーや飲食店がある程度の田舎町だ。 この町は、かつて四国への連絡航路の発着地として栄えた港町だった。東京や大阪から四国へ向かう人々、あるいは荷物がこの港に集まり、高松までの海路に向かっていった。あるいは四国の人々が、海を渡って訪れる出窓であった。そんな栄光が失われたのは、少し西に、大きな橋―一般的に「瀬戸大橋」と呼ばれる橋がかけられたからだ。

船で1時間かかっていた本州と四国の間も、車や列車で橋を渡れば、2-30分とかからない。人々はこの立派な橋を渡るようになった。私の町からでも、少し見晴らしのいい場所に行けば、海に横たわるこの巨大な建造物を眺めることができる。 私はこの橋が好きだった。列車は陸を走る乗り物である。その列車に乗って海の向こうに行ける。これは列車に乗るのが大好きな私にとって、夢のある話に違いなかった。ここに越してくる以前から、四国に訪れては、この橋を渡っていた。その度に、類稀な興奮を覚えていた。

私はこの町に越してくるとき、ここに住めば瀬戸大橋を何度も渡るものだと思っていた。こんなに近くに、こんなに楽しいものがあるのだから、行かないはずはないと、そう思っていた。

けれど私の町には、また別の楽しいものがあった。
「船」、である。
四国へは離島航路を乗り継いで向かったほうが安上がりだったし、「気が向いたときに船に乗る」という、港町に住まなければできない体験に価値を感じていた。こんなところに住んでいたら、何をしていようが船のことが頭によぎる。私は段々と乗船にのめり込んでいった。

船旅というのはコスパがいい。小型船の航路はたいてい安価だし、大型船であれば展望浴室・レストランなど、庶民には夢かと見紛う設備が整っている。それらすべてを、移動費と滞在費を合わせたと思えば高くない額で利用できる。「移動オタク」のレッテルを自身に貼っている異常な生物でなくとも、楽しむことができるだろう。

11月4日、私ははじめて大阪から海に出た。大阪は私の生まれ育った場所である。私は移動オタクであるから、旅立ちなど数え切れないほど経験しているけれども、大阪から船に乗るということに、なにか特別な思いを抱いていた。船での出航が持つコンテクストは、いつもと少し違うのだと思う。それは船という乗り物が持つ伝統からだろうか。太古の昔から、島国に住む日本人が遠出する手段は船だったはずだ。

そうして黄昏れる私を載せた、北九州・新門司港行き、"CITY LINE"名門大洋フェリー「フェリーきたきゅうしゅうⅡ」は、夕暮れの海に向かって行った。離れてゆく大阪の明かりは、間違いなく私の愛した大阪そのものだった。


秋の夜は早い。真っ赤に染まっていた水平線は、いつの間にやら暗く落ちていた。 私もデッキを離れ、客室に戻っていて、レストランのバイキングや入浴を楽しんでいた。明日の朝も早いから、早めに眠りに就こうか。ベッドに向かおうとしたとき、放送が聞こえる。この船はもうすぐ瀬戸大橋の下を通過すると。

風の吹き晒す寒いデッキにもう一度上がると、携帯端末の位置情報は、私の住む町の沖合を差していた。北に小さく並ぶ明かりは、きっとあの町なのだろう。旅に出たはずなのに、近くに来てしまったものだ。

明かりを眺めながら、私は船が橋を潜るのを待っていた。速度は20ノットといったところだろう。遠くには瀬戸大橋が見えているが、近づくのが待ち遠しい。けれど重厚なコンクリートの橋脚が目の前に現れてからは、一瞬の時間だった。

瀬戸大橋の光は、確かに海を照らしていた。列車に乗って突き抜ける瀬戸大橋も壮大だが、海から瀬戸大橋を眺める趣も、また素晴らしかった。この僅かな時間で、私はもう、海の民なのだと思った。海を見て働き、海に旅するのだ。東西を征く船と、南北に架かる橋は、どちらも瀬戸内の人々の繋がりを意味するものに違いないのだ。瀬戸大橋は、こんなにも美しいのだと、感謝した。

赤く塗られた大型船の煙突は、大橋の下を確かに潜った。小さな私には、この大きな構造物が擦れ合うのではないかのように思えたが、勿論杞憂である。間もなく橋も過ぎて、やがて遠ざかってゆくのだろう。客室に戻ろうとしたとき、明かりの連なりが橋を、南から移動していくのが見えた。

あの明かりがなんたるかまでは、この暗さでは分からない……否、あの3両編成は、高知からの特急「南風」に違いない。すぐに時刻表を開き確認した。 険しい四国山地を越えてやってきた列車は、海を超えて岡山に向かうのだ。四国の誇る新型気動車が、3時間に満たない旅で文字通り山を超え海を超える、私の特に愛してやまない列車の一つである。

橋は瀬戸内を架け、船は瀬戸内を駆ける。たくさんの人々が毎日、海をかけている。そんな海が身近になってしまったおかげで、私はまた海に出るのが好きになってしまった。

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