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うつ病noterとの距離の取り方

yazu、鬱期突入のご連絡です

お前の感情は梅雨か?てな感じで、我が鬱期到来。

来ました来ました。鬱っぽい症状が。こういう感情ってなんていうんでしょうね。心がザワザワくる感じ。誰かこれを訳してほしい。

実は薬が途中で切れちゃいました。どうしても外せない用事が出来て病院の予約を先に延ばしてしまったら、薬も当然切れてしまいましたという話。薬を調整してたんだけど、最後の二、三日がノードラッグになってもうた。

いやー、これぐらいなら大丈夫だと思ったんだけどなぁ。まだ治っちゃいねえのかと改めて自分の病状を自覚しました。

無論、健常者から見れば「甘えてんじゃねえよ」って思われるでしょう。健常者だって苦しいんだぞ、毎日戦ってんねんぞと。ホンマそれ。ごめん、何も言えない。クソみたいな人間ですよ、わたしゃ。

僕は自分の病気をアピールしてまで人から憐憫を掛けられたいとは思わないです。苦しいながらも何とかそれを誤魔化しながら一般人に成りすまして(?)生きていくことを選択している状況なんで、そうならば覚悟だって必要です。だったらこういうnoteも書かないほうがいいんでしょうけど!

どうやらyazuはこんなところで叫ばないと情緒が保てない模様。弱い~



吐き出し先をnoteに求めてる僕ら

そういや、うつ病のnoterさんって心内を叫ぶ割に、他人からのコメントに反応が薄い場合があります。

「苦しい」「ツライ」「誰も分かってくれない」「誰か助けて」

そういうnoteを沢山見てきました。このnoteに対して「こうすればどうでしょう」とか「コレが効きますよ」みたいなアドバイスをしている人はいるにはいるんですが、当のnoterさんはというと上辺ばかりの「参考にします」「ありがとうございました」レベルの反応が多いです。

時には返事もせずに放置している場合も往々にしてあります。

もしかすると、こういうnoterさんはハナからアドバイスなんて求めてるわけではないのかもしれません。

noteをサンドバックにして言葉をぶつけることが目的になっているようなイメージでしょうか。こういった方々のnoteは得てして切れ味が抜群、怖いものなしの表現を魅せるので僕は好きなんですが(笑)、何分救いがありません。

中にはわざわざ「私は別に反応が欲しいからnoteを書いているわけじゃありません」と明言されている方もいらっしゃいます。ご意見無用、目障りと思うならフォローを外せというスタンスは単純明快です。

しかしながら、じゃあこういった人たちは何を目的にしてnoteに書いているんでしょう。誰かの視線をある種拒否しておきながら、自分の心の叫びを万人が見える場所に晒す行為は矛盾に満ちています。それならウチにある日記帳にでも書けばいいじゃんみたいな。

まー、究極を言っちゃえばそうなんですよ。でも叫ばずにはいられない。誰かのいる場所で書かずにはいられない。人間のある種の衝動なんでしょうね。

誰かに理解してほしい、助けてほしいという深層心理はどっかにあったとしても、その役目はお前らフォロワーではないという建前を示して、自分を守る小さなプライドというかなんというか。お前らに俺の何が分かるんだみたいな思いもあるかもしれないです。

いずれにせよ、こうしてnoteで叫ぶ人たちはどうしたら救われるのかと感じることはあります。本人が書く行為そのものでストレス解消しているなら、それはそれでいいんだけどさ。もし永遠に晴らすことのない自分の思いを綴ってるだけだと悲しいなあとも思うんです。

決して救ってあげたいとか傲慢な話ではなく、僕個人の感想です(ひろゆき風)



書き手の思いを読み取ってあげる

ここまでくると、僕が一匹オオカミnoterを否定しているように聞こえるかもしれません。

そうじゃないんです。色んな人がいて色んな思いでnoteを書いている中、この人はどういう気持ちでnoteを書いているんだろうという単純な興味本位と言いますかね。

noteを読んで、この子はきっと今体調悪いんだろうなあと思う事があれば、この人は調子が良いから新しいことでもトライできるんじゃないかとか感じます。

もちろんその対象には僕自身も含まれていて、時に自分の思いを先行させすぎて文章がごっちゃになることもママあります。そんな自分の文章をみて「あー、こりゃ体調がよくない文章だ」と反省したりします。一種のバロメーターみたいなもんですよね。

千差万別、人それぞれ。日によっても違いますから、人が書くnoteは面白いんです。それなりに大人な表現をする人が多くても感情は漏れますからね。そういうnoteは、僕は大好物です。

なんか、人間観察しているような感じでしょうかね(笑)



一歩引いたところで見るのがいいのかなと思う

話がとっ散らかってきましたね。

言いたいこととしては、noteにはいろんな人がいろんな思いで書いているという話です。そんな中でのnoter同士の付き合い方は重要だと思ってます。

例えば僕は基本痛いやつなので、珍獣をみるようなイメージで見てくれたらいいです(笑)そう、遠くから眺めてくれれば。

noteのいいところは「距離感」だと思ってます。

X(Twitter)は一触即発、近距離での言葉の殴り合いが行われるSNSですから僕らのようなうつ病人間はROMってるか、大部分をミュートにしながら細々と生活せざるをえないんですが、noteは適度な距離があるからこそ我々の生きやすさがあります。

色んな人がいて、色んな思いがありまして、それぞれが考えながらnoteを書いています。よってnoteでは自分の考え方をぶつけ合うのではなく「ああ、こんなことを考えてる人もいるんだな」という相互を理解しあう気持ちで接するのが良いと思うんです。

なんというか、草葉の陰(死んでないけど)からただただ見守るというスタンス。これが僕はとくにうつ病界隈のテーマにおけるnoteでの最善手だと考えます。

note上で仲良くなっても、そこはある種の距離感があってこそじゃないでしょうか。

…なんつーかここまで書いててなんだけど、僕自身の友達に対してのスタンスを書いているようでアレですね。めっちゃ臆病だから友達なんかできないんだみたいなんが透けて見えますな(笑)

ま、SNSなんてそんなもんだと思ったほうが長く細く付き合えるんじゃないかなーと思ってます。ことnoteに関しては。

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