自由にきままに響いたことを綴っていくよ

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最近の記事

無形の位

友よ 無形の位とは、武の構えの一つだ。 型を求め、型を求めず。 武道の学び方で「守破離」とある。 守とは、流派の教えを徹底的に踏襲し、 型を学ぶことだ。 破とは、型を学んできた流派以外の型や流派も 取り入れ、すでに己が持っている型に手を加えることだ。 離とは、これまで学んだ型の一切を手放し、 己を型とすること、型をつくりあげることだ。 これはどんな物事でも言えるのではないだろうか。 学びたいものをまずはマニュアルや教え通りに学び、様々なジャンルの 学び

    • 間違えないの?

      親や先生、大人は子どもたちに正しいことや常識というものを教えたがるよね。 でも、それは 出来るだけ失敗しないように… 出来るだけ間違えないように… って愛情の裏返しでもあるように思うんだ。         だって、我が子が苦しんだり悩んだりしているところをじっと見守ることが出来る親ばかりじゃないからね。 ボクだってそうさ。 自分のなかの常識に                                             当てはめようと教えてしまう。 自

      • 奮い立つ

        なぜ愚痴がでるのか? なぜ不満がでるのか? それは現状に満足していない証拠。 「オレはまだやれる!本当はもっとできるんだ!」 「わたしはまだまだこんなもんじゃない!わたしだってやれるんだ!」 って証拠。 だけど、愚痴は何かが、誰かが自分の描いている世界を創って連れてきてくれている他への勝手な期待が含まれているんだ。 愚痴を言う前に、現実を見よう。 自分に何ができて、自分が何をしていないからこういう現実が起こっているのか? その現実を変えるための力が"いまの自

        • 弱さもいつも隣にあるもの

          あれがしたい。 こうなりたい。 あそこへ行きたい。 …でも、うまくいかない。 いったいなぜだろう? 楽しそうにやりたいことをやれているのに 自分はなんでできないんだろう? そして、 次第に自分は本当はなにがしたかったのかが だんだんとわからなくなっていく…。 氣がついたら自分の口から出てくるのは いつも愚痴や文句ばかり。 どんどんと負の迷宮に入り込んでいき、 自分がわからなくなっていく。 そんなときに いつもどこかで意識していること… それは「

        無形の位

          何度も何度も耳をすませば

          そこに聞こえる声がある。 「もういいでしょ。 自分を責めるのは…。 いままでもう十分やってきたでしょ。 そろそろ耳をすまして、 この声を届けてよ。 あなたの声を。」 誰の内にもふとしたときに、 聞こえる声がある。 見えてくる情景がある。 なんとなく感じることがある。 それは自分の渇きと叫びだ。 自分を自分で 傷つけ、蔑み、責め続けていたところからの 内なる悲鳴。 もういいでしょ、自分を騙すのは。 もういいでしょ、自分を我慢するのは。 辛いとき

          何度も何度も耳をすませば

          憧れた時の絶望感とその先にあるもの

          人に憧れを抱く時って あるよね? ひとは憧れると 憧れた人に近づこうと行動し出すよね? 考え方を真似る(学ぶ)… 外見を真似る(学ぶ)… 同じ仕事に就く… でも、 どんなに頑張ってもそこに近づけなかった時に、ひとは絶望と挫折するよね? かく言うボクもそんな絶望しまくった1人。 でもね、こうも考えられないかい? 憧れる人に近づこうとすればするほど、 その人の才能や積み上げたものの多さを肌で感じ、 相手にあるものと自分にないものとを「差」や「違い」として

          憧れた時の絶望感とその先にあるもの

          救われたい想い

          自分に救われたい 自分が放った言葉に時々、 いろんな人が反応することが ある。 自分自身の内から通って出た言葉が まわりにも響いたってこと。 その言葉により一石が投じられた ことで響くものがあるのだろう。 その言葉で「自分はこれでいいんだ」 と 感じられたこともあっただろう。 だけどね、 自分は自分自身に救われたい と思ってる。 ある段階からは誰かが放った言葉が 響いてその人のなかでなにかが揺れ るのだろう。 でもね、 ボクが救われたい と思っているのは

          救われたい想い

          ずーっとさまよってきて、やっぱり何度もここへ戻ってくる。 「答えは自分のなかにしかない」って

          ずーっとさまよってきて、やっぱり何度もここへ戻ってくる。 「答えは自分のなかにしかない」って

          唄うように書く

          唄ってさ、詩に音をのせて伝えるよね。 唄っているといろんな感情にを感じることができる。 そして、 不思議なことに唄うたびに 詩を聴くごとに 受取り方が変わってきたりするよね。 本やステキな文章でもそう。 一度読んだときに感じたことと、 時が経ってまた読んだときに 受取ることは違う。 それはあなたが成長したからにほかならないんだよね。 伝えるって響くことなんだ。 表現するって、 自分を唄うってことなんだ。

          唄うように書く