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カルトに対し人権理念が有する対抗力について


はじめに

人権にはカルトに対する極めて有力な対抗手段かつ対抗するための具体的理念が示されているものです。
残念ながらこのことが、日本ではほとんどと言っていいほど知られていません。それは海外からもたらされた理念であり、翻訳やその成立の背景を知る上でのハードルがあることなどが理由として挙げられるでしょう。
現在カルトあるいは意に反する宗教組織の所属に関連する問題が非常に関心を集めています。今回はなるべく具体的かつわかりやすく人権理念が指し示しているカルトに対抗する力について説明いたします。若い方々、特に宗教二世の方々の苦難に対し有力なヒントとなることを願っています。

記事作成のきっかけとなったツイート

むごいことだと思います。

※一点前置きとしてですが、現在私に関する誹謗中傷や名誉毀損等が行われています。それによりこの主張が深刻な誤解を受ける懸念があったのですが、それに勝る今伝えるべき意義があると考え公開すべきと判断しました。


人権の本質

誤解

今現在日本では人権が誤解されているといって過言ではありません。本来の理念が全く理解されていないといってもよいでしょう。
人権という言葉がまるで「所有している権利」の類であるかのように語られる場面が多いですが、本来は社会または国家と個人との関係性を整理するものです。
人権は英語でHuman Rights(Rights of Human)ですが、そのRightsには複数の意味合いがあると考えるべきものです。これは海外の歴史の中で宗教や法律の発展していく過程などが密接に影響しあったことに由来するものです。ですので直接的にその文脈を経験していない日本人にとっては、それぞれの要点を個別に理解することが現実的だと思われます。この解説ではその点を2つの文脈に分けて解説します。

人権の2つの文脈

まず1つ目は、個人つまり自分自身が守るべき道徳的規範ともいうべき文脈です。 これをもう少し詳しく解説すると、社会を運営する権利を持つのが王様でありその権威を裏付けるのは教会(聖職者)であった時代から、社会は一人ひとりの個人を土台に運営すべきものであるという考えへと移り変わる転換点の時代に、社会運営の責任を持つ市民には遵守すべき規範があるといった文脈のことです。
これは Rightsと言う言葉自体が「道理にかなったもの」または「人として守るべき筋道」と言う意味合いを含んだ言葉であることをまず把握するとよいでしょう。皆さんにとってこの文脈を感じられるような身近な事柄として物語の例をあげてみたいと思います。物語の中でヨーロッパの王様や貴族たちの姿は、中世暗黒時代を舞台とした場合ですとただ権利を主張する横暴な姿や英雄譚あるいは王女の幸せな婚姻までのストーリーなど描かれることが多い印象ではないでしょうか。それが18世紀以降の人権理念の広まりいわゆる革命の時代以降の王侯貴族を描いたものとなると、王としての毅然とした振る舞いや庶民の文化を知らないながらも知識の吸収には貪欲な王女などといった姿が描かれる場合が多いと感じられる方も多いのではないかと思います(これは私なりの例えであり、また物語なので要素が時代的に逆転している作品ももちろんあります)。
これは王侯貴族が規範を修めその姿を市民も求めるような時代への転換点があり印象の変化が起きたという、その背景の一つとして挙げられるということです。ついこの前流行ったお嬢様言葉などは、人権理念を乗せて運んだ啓蒙思想の影響をうけた上流階級の姿が日本に伝わったことが遠因として挙げられます。ここも説明したいところではありますけれどもこの辺に留めておきたいと思います。

2つ目の文脈は国家が妨げてはならない個人の振る舞いや尊厳を示すものです。ここは少し難しいところですが、 由来としてはヨーロッパのキリスト教における神が王様の世の中を支配する権利を認めているとする王権神授説から、 社会は個々人が有する否定の不可能な権利に基づき社会を構成するという契約(いわゆる社会契約)という概念と対比して考えるとわかりくなるでしょう。
王様が神聖不可侵の権利を有するという考えに対し、人間個人は皆それぞれ神聖な権利を有している(いわゆる天賦人権説の起源)という考えを土台に社会を構成しようという発想や、一人一人が持つ暴力に抵抗する権利を社会へ預ける形で構成しようといった発想など、様々なものが生まれました。
この展開で共通しているのは、個々人つまり人間一人ひとりの存在に基づく社会運営も何らかの意思決定に基づくものでなければなりませんから、人間の判断する力、すなわち理性や決定を行う自由意志についての様々な捉え方の影響を受けての変遷であったという点です。
今ではそうした過去の変遷により生じた歴史上の混乱などを踏まえて、 確定的ともいえる人権の考え方が国際連合の発表する人権規約等に集約されているといえます。
私たち日本人に身近な事柄としては戦後の日本の新憲法の作成過程が挙げられます。アメリカのGHQが主導で作られたものと語られる節がありますが、実際のところ作成の段階で戦後日本の方針を策定するための新憲法をという方向性と、対して理想の人権理念を注ぎ込もうとするアメリカ軍人や人権研究科と日本の人権運動家(または民間人)の方向性とのせめぎ合いが発生し、その中で作られるという経緯がありました。
その結果として、後者の方向性は婚姻が両性の同意に基づくものであることや参政権などの性別に人権は左右されないという基調や、勤労者や子供の守るべき尊厳などの盛り込みなどで憲法の理念へと反映されました。
残念ながらこの辺りのエピソードもあまり知られていませんが、身近な事柄つまり憲法という存在として体感的にも実は私達が普段から接しているものであるということです。

2つの文脈の背景

これらの事柄がそれぞれ個別にかつ複雑に発展していったものと捉えると途端に全体像がおぼろげなものとなります。これらの事柄はある一つの文脈に集約されるものであり、 その源流は古代ギリシャ哲学そして重大な転換点は15,16世紀のルネサンスから宗教改革(キリスト教会の分裂)の間にあると捉えると途端に掴みやすくなります。

人権理念の発祥の地であるヨーロッパは極めて長い間、学術の面で停滞した時代を経験しました。 それは神聖ローマ帝国の時代です。
紀元前から続くローマ帝国自体はギリシャ哲学の流れを受け継ぎ、科学や哲学あるいは社会運営の面で発展を続けました。それが陰りを見せ始める原因の一つはキリスト教が国家との結びつきです。これは宗教の教義が悪いという意味ではなく、宗教と国家権力が結びつくことに多大な災いが潜んでいたといったほうが良いかもしれません。
大きなローマ帝国が東西に分裂したきっかけ自体は広大な領土を分割して統治することに由来しますが、そこから権力と結びついていたこともあり教会も同じく分裂することになりました。
東側の帝国は立地面も含め様々な幸運も重なり、科学技術の探求や聖書の文献的研究が続けられました。西側の帝国は度重なる侵略を受けるなど戦乱の時代が続くとともに、東側と研究や文献のルートが途切れたことと権力を正当化する根拠は聖書の解釈に基づくものとされたため、西側の教会の中でも聖書に対する疑問を許す余地が失われていきました。
そのような西側の帝国の中でも教会が持つ聖書の翻訳が正確であるかどうか疑問を持つ聖職者が現れましたが、異端として破門されたり処刑されたりが続きました。 しかし東ローマ帝国はさらに東側のオスマン帝国の侵攻を受け崩壊すると、そこから学者の亡命とともに様々な文献が大量に西側に持ち込まれることとなります。ちなみにまず初めの大きな受け皿となった地はイタリアです。同時に芸術品も持ち込まれましたから学術面、宗教や哲学の研究の面で急激な変化が起きました。これが再生・復活を意味するルネサンスの始まりです。
この頃になると西側の神聖ローマ帝国と結びついていたカトリック教会の中でも、聖書が古代ヘブライ語そして古代ギリシャ語からラテン語へと翻訳される過程で誤りがなかったか、また宗教教義の解釈の検証などへの関心が高まっていました。

そしてその関心は一つの集大成へと至ります。それは三位一体が後世の教会による解釈により追加されたと判明したため聖書から省いたにとどまらず、長く続いた男性の権力者に権力を集中させるべきとする風潮の中で、人間は男性も女性も等しく学問を学ぶべきであるという提唱が始まり、さらには王の選挙や王の戦争を宣言する権利の批判や子供への愛情を持った教育、聖書解釈の内面的な自由までも唱えられるようになりました。これは教会の中から生じたものを列挙しています。庶民も王侯貴族や教会の聖職者も大勢が賛同するものとなり、こうして生まれた自由な空気は航海術の伝わりによる経済の発展も後押しとなって名実共に充実の度合いを深めていきました。

しかしこの希望に満ちた空気も破綻を迎えることとなります。それはドイツのカトリック教会の門に質問状が掲げられたことがきっかけでした。有名なのは免罪符批判です。
これは文献を大事にする空気の中で教会の中でも贖宥状いわゆる免罪符の販売への批判はあったのですが、神聖ローマ帝国の中では、教会の支部が行う免罪符の販売により領地内の資産が帝国や教会へ吸い上げられているのをよく思わない諸侯の反感が高まっていたのでした。その反感を表沙汰にしていく際の隠れ蓑として教会批判が利用されてしまったのです。

始めは自由闊達な空気の中で生じた教会批判の1つに過ぎないと捉えられていました。しかし上記の通り権力闘争が結びついたため、民衆には教会に対し具体的な抵抗を起こせと言う煽りとともに批判は執拗に広められていきました。
教会の中から生じていた自由の空気と現代の文献学そして科学的検証に通じた考え方を肯定していた側は、教会の分裂を防ぐために懸命に訴えました。
その最終的な論戦は「人間には自由意志がある」と「人間の意思は罪を引き起こすものに過ぎない」に集約していきます。しかしその段階に至った時には誰ももうその論戦を参考にしようとはしていませんでした。なぜなら、どちらの側に付くか、あるいはどちらの側に付くかが前提の「どちらの勢力が正しいか」という論争に人々は夢中になっていたからです。

分裂は決定的となりカソリック教会とプロテスタント教会の2つに分かれました。 そして各王国はそれぞれの教会を権威的な後ろ盾とし権力と武力の争いを激化させていきます。
この過程で三位一体の文言は再度聖書に追加され、現代の人権理念に通じる学問の自由や選挙そして王の戦争を批判していた書物などは発禁と焚書の処分を受けました。
しかし自由と科学的検証を支える学問を重視する理念は、弾圧の激化する中でも細々と受け継がれやがてニュートンやライプニッツなどの科学者による成果によって理性の力を証明するに至り、その理性と意志に基づく社会運営の理論がジョン・ロックによって唱えられたことを期に、「閉ざされていた目が啓かれた」という意味の啓蒙思想の波に乗って世界中に人権思想が広まっていきました。

余談:日本とのつながり

先程の航海術は教会の信徒を増やすと言う名目の国力拡大競争と結びつき、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸そしてアジアに植民地支配と奴隷貿易を広げていきました。この頃日本はキリスト教禁教令や鎖国政策を行っています。
これは奴隷貿易と宗教の信徒拡大と結びついたヨーロッパの勢力争いが日本に広がるのを防ぐためのものでした。この点で以降の現代に至るまでの世界の歴史とつながっていたのが見て取れます。

余談Ⅱ:2つの文脈を今へとつないだ人々

教会の分裂以降、悲惨な奴隷貿易や各地の貴族が治める領地内で発生した魔女裁判の活発化を批判するなど、具体的な抵抗を行ったのは上記の自由の空気と人に平等に備わる能力や尊厳を擁護する人々でした。新大陸の原住民の人権をスペインのフランシスコ・ビトリアが唱え、自然法の基礎をドイツのプーフェンドルフ、戦争を防ぐための国際法の成立にオランダのグロティウスが寄与しました。これらの法の概念は現代に通じるものです。
魔女裁判で裁判に乗り込み女性を助けたエピソードではコルネリウス・アグリッパとヨハン・ヴァイアー師弟が有名ですが、後者は魔術や悪魔由来とされてきた精神病を内因性という捉え方を見出した人物としても有名です。

この流れはシェイクスピアやセルバンテスなどの文学や、モンテーニュ、パスカル、スピノザ、パスカル等の哲学、そして女性参政権運動やアメリカ独立宣言など、受け継がれたものは枚挙にいとまがありません。
これらの流れは15,16世紀頃から行われたものに由来することに注目する必要があります。

人権理念が有するカルトへの対抗力とは

カルトという言葉の定義もまた難しいものがあります。ある宗教を信じる人が他の宗教をカルトと呼ぶこともあります。特に信教を決めていない人が胡散臭い集団をカルトと呼ぶこともあります。厳密な定義付けをもとに私達全員がその言葉を使っているわけではないのが実情でしょう。 私個人としてはオカルトという言葉の「隠された叡智」という意味から説明したいものなのですが、しかしそれは今どうでも良いことです。
いかなる優れた宗教の教義であれ、そこに人が解釈や言葉を載せれば時に誤りが起きるのも当然です。 それどころか宗教の名の下に人の判断力を損ねたり資産を集めるような姿があったとしたら、疑問を持ち検証をして批判を行うのは人が持つ健全な力の発揮です。

人権理念の持つカルトに対する対抗力とは、
決定論や運命論を人が作った解釈であると見抜くことです。

ここで言う決定論とは「必ず◯◯になる」という未来を決めつける理屈の事です。
運命論とは「人は神が創ったものであるため自由意志などなく全ては運命的に定まっている」という理屈のことです。

古来より、この決定論と運命論を信じた人間は言い尽くせないほどの悲劇を歴史の中で引き起こしてきました。
その理屈では人間の多様な可能性や人間そのものの多面性を説明することはできません。あくまでその理屈の下に人間を置くものです。理屈と人を逆転させているため、例えば内蔵の位置や病気の治し方などは一切示しません。理屈を信じた人は正しいとするだけであり、病気そのものは結局のところ理屈では語られることのないどこかの病院と医学頼りになります。

またこのような理屈を信じた時は、そうした解釈しているのは信じているその人自身であることにも注目しなければなりません。
この時何が起きているかというと、理屈に従わない人や信じない人を信じるべきものを信じない人とする解釈が心の中に生まれる同時に、その解釈がどのように正しいのかは「理屈に基づいているから正しいのだ」という循環した理屈が発生します。
この循環した理屈に囚われてしまった人は現実の出来事の検証が困難になります。心の中にある解釈が優先されてしまい、目の前に起きたことを記録して正確に他人に伝えることや「私の知らない事が起きているかもしれない」という疑問の余地を持つことができなくなるからです。
 「病気になった=きちんとこの理屈を信じていないからだ
具体的にはこのような発想になってしまうということです。

これは人間の認識する力を説明する哲学の言葉を借りれば、演繹的な認識の力の暴走ということができます。平たくいうなら、言葉の組み合わせを真理と信じ込んでしまうということです。
例えば「あの人の心は丸い、丸いものは転がる、ではあの人は転がるだろう」と思って、坂道から円滑に転がり落ちるかどうかで内心を確かめようとしたら大変なことです。これを読んでいる方はそんなことするわけがないと思う方がほとんどかと思いますが、実際に魔女裁判では人を水に死ぬまで沈めていますし火にもかけました。罪が赦されるとして財産の寄進を勧め富を得る行為がカトリック教会の中でも批判されていたのは前述の通りです。神が世界を創ったとして、その世界の欠片を人が加工したのを寄進すれば罪が赦されるとはどういう理屈なのか私にもわかりません。ちなみに免罪符の始まりは十字軍の遠征費を集める名目としてであったとされています。

該当する人権

それぞれ平たく説明しますが、まず内面の自由が挙げられます。 これは他人や権威すなわち学者や宗教家や政治家の人の心を決めつけたりする事はできないと言う考え方です。この発想の源は、一つは個々人が自分の心を持ち、自由に判断する力が備わっているという考えに由来します。

次に信教の自由が挙げられます。 これもまた内面の自由に大きく関連しますが、これも平たく説明すると、例えば歴史的な宗教であっても時代によっては個人の特殊な解釈が交えられ伝えられる場合があります。そうした場合はたとえ文化的あるいは慣習的にその宗教に所属することが決められていても、個人の判断によって回避したり他の宗教を確かめて信じることができるということです。
シンプルに考えてみても、同じ本を読んだとして同じ発想を必ず全ての人が持つとは限らないことからも当たり前の事のように思えます。しかし人間関係となると所属から抜け出すのは難しい場合がありますね。
これは人権を基礎とする国では、法律でその判断を保障するのがルールとなっています。つまり判断をした人が宗教団体や政治家や学者などから何か強制されたり圧力を受ける事はあってはならないとしているということです。
国家と宗教の関連性においては人を介することで政治と深い関係ともなることから、「政治は個人の信教の自由を守らなければならない」といった規範の形で政治と宗教を切り分けるための理念ともなっています。

次に学問の自由が挙げられます。これもまたシンプルなことですが、人の認識する力は、実際にしっかりと確認する経験的な認識と経験的に認識したことを頭の中で組み合わせて推論を作り上げる演繹的な認識の2つに大別することができます。 重要なのはその2つを理解し、正確に扱えるよう認識力を磨くことです。その上で「本当にこの本に書かれているのは正しいことなのか」「この解釈が正確なものなのか」などを疑問を大切にし確かめる力を身に付けることとみんなで検証することを、国や宗教や政治家あるいは何らかの組織等が妨げてはならないとするものです。

また冒頭に引用しましたツイートと関連するものとして婚姻の自由が挙げられます。 これは権力者や宗教が婚姻を強制したり妨げたりした時代から脱却して、 個人である双方の意思に基づいて婚姻を成立させることができるという考えのことです。
それが認められなかった時代に起きていたこととしては、結婚は家の中のリーダー、いわゆる家父長が決めていたりまた権力者や宗教家が決めていたりという事なのですが、これは決める人は最善の判断ができたとする証明をどのように行っていたのかわかりませんし、その人がまだ見たり会ったりしていない人同士の婚姻全てに反感を抱いていたのかなどを疑問に思えるものといえるでしょう。
つまり婚姻の自由の理念に反する「他者が決める婚姻」がいかに正しいのかはどうやってわかるというのか、誰が確かめられるのかということです。また人と人との結びつきを取り決めたとしても、それ以降の二人の共に生きる人生の責任は持ちようが無いのではないか、それでは責任の持ちようのない判断をどのようにすれば行えるのか、などが純粋な疑問として生じるものではないでしょうか。

その他にも関連する人権理念はありますがこの辺りにとどめたいと思います。

おわりに

疑問とは非常に大切なもので、人権はその疑問の余地を守るものという見方もできなくはありません。 なぜなら、例えばある宗教が「人とは教義の説明に基づき存在し行動する(すべき)もの」と定めていたとしても、その理屈が命ずる行動を疑問に思い寸前で立ち止まる力を人が有していることを、教義はまず説明するものではありません。しかし権威的にあるいは疑問を持つのは恐ろしいことと教えるなどで人に信じさせることは可能です。それが様々な悲惨なことを引き起こしました。
その原因となる「人と理屈の逆転を起こしてはならないよ」「人が先で理屈が後だよ」と伝えているのが人権です。

古代ギリシャではこの人の認識の正確さを追求である哲学が盛んでしたが、その哲学的な言葉を操って人に間違った理屈を信じ込ませる詭弁家が発言力を持っていくことが問題視されました。詭弁とは論理の循環などの一見して正しいように見える間違った理屈のことです。
そうした意味で、心の中の詭弁を取り除ける哲学を収めた人間が政治を行うべきという発想が生まれましたが、あくまでそれは理想論となってしまいました。
イスラム圏では宗教と科学や哲学の探求は相反しないという発想が生まれ、探求は大きく進展しました。それは今現在の科学の発展に極めて大きく寄与しています。
キリスト教圏の中にもその精華はつながり、学問や人間性の尊重そして信教や他の民族の文化を否定しないなどの提唱にも至りましたが、宗教と政治の結びつきは人間を悲惨な歴史に踏み込ませる一因ともなっていきました。
その歴史的な反省から政治と宗教を切り離すべきとし、個人には判断をする理性と尊厳を有しかつ市民はその判断力を磨くべきとしたものの、未だに私達は混乱から抜け出せないでいます。 非常に馬鹿げたことと言っていいでしょう。この期に及んでも私達は短絡的に他者を敵味方や正邪に分類する論争に明け暮れて、実際に苦しんでいる人をお互いに助け合えずにいるわけです。

ここまで理解できたならば、たとえ循環論法的な教義を持つ宗教の宗教二世であっても、婚姻や婚姻後の生活を妨げるような宗教的影響を取り除くヒントとなるのではないでしょうか。 これはあくまでも私個人の説明が正しいというのではなく、古来より受け継がれてきた多くの苦しむ人と救おうとした人々の結実した願いとして人権を伝えています。その内容は様々な詭弁または政治や風潮による個人への理不尽な圧力をはねのける具体的な対応方法です。ここまでの説明でその意味合いがお分かりいただけたかと思います。

今現在日本で、このような意味合いで人権を説明している人はほぼ見受けられないのが実情です。 人権を守ると言う人も守れと言う政治家もこの理念を理解しているとは到底思えないものがあります。これは私自身の実体験に基づく正直な感想であり、できる限り確認を行ってこの結論に至ったものです。ですので、もし後からこの理念で人権を理解していたと後付けの正当化を図ろうとする人が現れたら十分に注意してください。
人権を守りますと言う理屈で票や耳目を集めるために、多くの人の人権の曲解へとつながっている例は多々あります。そしてそれを具体的に指摘できないのが日本の社会であるのが現状ということです。

政治と宗教がつながっているといいながら、政治は利害関係の調整であり政治家に政治の責任があると言い続ける有権者にいかなる説得力があるのでしょうか。
宗教という名の何かで苦しむ若い方々が量産され続けている現状を打破できるほどの、正確な認識の手法がどうしてこれほどまで社会は共有できないでいるのでしょうか。これまでの大人は一体何をしてきたのでしょうか。

正直なところ政治や宗教に対して交わされている様々な批判の文言は、その実、自己正当化に酔いしれながらの「どうして騒ぎを起こしたんだ」と言う文句に過ぎないと思えてなりません。 政教分離がなぜ必要なのかではなく、政教がつながっているという指摘に終始するのは政教分離を理解しているとは到底思えないものです。
言葉そのものを権威的に扱い政治闘争に用いる風潮が続くほど、正確な意味合いでその言葉を用いた危機の訴えに誰も耳を貸さなくなるのです。 16世紀の時点でインドをヨーロッパの王が支配するようなことになりかねないという支配の暴走を指摘する声がありました。正確な言葉を用いれば高い正確さの予測も難しいものではなくなります。しかし聞く耳を持つべき者が一切持たなかったがために悲惨な結果が繰り返されてきました。

政教分離を訴える人が溢れている現在、具体的に誰を救えているのでしょうか。社会運営の根本は個人とされているのが今の社会ですが、誰一人として救えている人はいないではないですか。なぜ政教分離が必要なのか、それは結びつきによって政治と宗教組織の下に奴隷のような人々を生み出すからです。
個人の分析力に基づかなくてはならない選挙権が宗教の教義に沿って行使され、 教義を発信する人間に都合の良い政治のその責任と損害は教義を信じる人々とその子々孫々が被ります。その点は組織の命令による投票も同じですが、宗教の場合は権力闘争という目的も教義がそれを覆い隠すため、信じる人々は目的も知らないまま権力闘争の尖兵となっていきます。
こうした状況に潜む危機を説明するための言葉が、人を敵味方や正邪に分けるためにばかりに使われる風潮となれば、人権であろうと政教分離であろうと全く意味をなさなくなってしまいます。相手を批判するための循環論法に用いられてしまうからです。
そしてさらに権力者と宗教組織の上位の人間の思惑に基づく権力闘争は歯止めの効かないものへとなっていきます。他の組織や団体の力を使った動きも入り交じることになるからです。こうした中で人々は「選挙は勝負だ」「負ければただの人だ」などという理屈を真実と思いこむようになっていきます。あらゆる言葉も語っているようで語っていないのです。このように実質的に上下の階級のある社会を人々が作り上げていくことになるため、言葉や概念は正確に理解し扱わないといけないわけです。

昔と違って今はきちんと社会そして政治の責任を個々人が持てるようになりました。学問の自由も保障されるようになりました。歴史を確認し政治に対する言論の自由も保障されるようになりました。その上で、歴史上の過ちを再度繰り返すのは愚かしさの見本となっても仕方がないことでしょう。それは自覚を持ちながらなるものではなく、将来の若い方々さらにその子供たちが、大切なものを理解できる環境にいながら間逆の行為を行っていた世代として認識をされるということです。
どうかこの理解そして認識の方法を、特に若い方々にご理解いただきたく思います。政治家の人々は人権を守ると言いながら、実質的には票を集めるための方便に語るばかりでこうした根本的なことを理解していないのがほとんどなのが実情です。これらの内容を分かっていた知っていたという風に後から詭弁による取り繕いが始まっても、騙されないよう重々注意なさってください。

あんまり長くなってしまいましたのでこの辺に留めておきたいと思います。
いつの時代も、問題を指し示す言葉が生まれそれは勝手な解釈で扱われだし、その解釈が次の世代に伝えられていきます。 被害者となるのは若い方々です。勝手な解釈で語られているものと本当に正確な意味は何かを慎重に探ろうとする心とを分類できるようになってください。

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