大震災後の心理的変化と「幸福を感じる力」一日本人の幸福感と地域の「集団的幸福」

●2階建ての日本人の心の在り方
 多岐にわたる心理活動が、「文化」という現象とどのように関わっているかを実証的に研究する文化心理学者の内田由紀子(京大教授)によれば、日本人の心の在り方は今、2階建ての家のようになっているという。1階は協調性で、人とのつながりや信頼関係、「仲間・家族」意識、周囲との調和を重視する。2階は独立性で、公平で公正な競争、自分で考える力、流されない意思決定、多様な価値に対応している。
 内田らの共同研究によれば、地域内での信頼関係が高い町のほうが、新しい人や多様な価値を受け入れようとする寛容な態度など、より「開かれた」意識を持つ地域となっていた。そこで1階部分の協調性を、保守的で階層的なものではなく、互いの信頼関係を構築し、維持するためのシステムとして活用すれば、2階部分の独立性とは両立する可能性があるという。
 40歳以上の中高年の引きこもりが60万人を超え、内田らの共同研究で作成された「ニート・ひきこもりリスク尺度」調査によれば、このリスクには3つの志向性、すなわち「フリーター生活志向性」「自己効能感の低さ」「将来の目標の不明確さ」があり、個人内の心の問題と社会的要因(仕事の流動性や経済的状況、「場」への復帰可能性)が相互構成的に問題を恒常化させていることが浮き彫りになった。

●大震災後の「幸福感」の変化
 今年の元旦に起きた石川県大地震の悲惨な被害状況が連日、テレビで報道されているが、こうした大災害が、人の心にもたらす影響は計り知れないほど大きい。被災地域における災害がもたらす感情経験に関する研究で注目されるのは、東日本大震災後の主観的幸福観は震災前に比べて低下し、特にこの傾向は主要被災県(岩手・宮城・福島)で強いことが判明している。
 阪神・淡路大震災後の心理的変化に関する研究では、人とのつながりの大切さや家族や友人の有難さなどが強まっていることが報告されている。また、東日本大震災発生後の慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センターの調査によれば、寄付などの援助行動が全国的に上昇し、「幸福感」が下がったと答えた人は4,5%に過ぎず、むしろ幸福感の上昇を経験している人は14%であることが示されている。

●内閣府幸福度調査によって実証された3つの仮説
 さらに内閣府の第1回幸福度調査によって、以下の3つの仮説が実証された。

⑴ 震災後には気分的に落ち込みが感じられるため、一時的なポジティブ感情は減少し、ネガティブ感情が上昇した。
⑵ しかし、一方で震災の経験は自らの価値観を変え、今まで当たり前に享受していた環境や他者の存在を再評価する気持ちが芽生え、その結果として幸福の判断基準が変わり、幸福感はむしろ上昇する傾向があった。
⑶ ただし上記の効果には個人差があり、被災地域に共感的な人のほうがより強くこのような傾向を示していた。

 第2回調査では、「今回の地震を受けて、あなたの人生や幸福についての考え方は変化しましたか」という問いが設けられていた。これに対して「大きく変化した」「やや変化した」という回答を合計すると58%に及び、「結びつき重視」の変化が最も高かった。
 これらの結果から、20代,30代の若者においては、半数以上の人たちが大震災を経て、被災地にいなくても何らかの人生観や価値観の変化を経験したこと、その内容としては社会的な関係性並びに日々の日常を大切に考えたいと思う傾向の増大が最も多かったことが明らかになった。

●感情の文化的基盤
 エクマンらの「基本情動理論」の知見によれば、人間には喜び、恐れ、怒り、軽蔑、驚き、悲しみ、嫌悪などの基本情動があり、それらが喚起されたときには特有の表情が表出され、感情経験には文化差がある。内田らが2009年に発表した共同研究論文「感情は個人の中にあるのか、人と人の間にあるのか」は、日米における感情の構造の違いを明示し、文化の違いに応じて幸福ばかりか負の感情でも受容形態が異なることを明らかにしている。
 同論文は、感情がどこからやってくるのかということを理論化したもので、日本のように相互協調的自己観が優勢な文化においては、相手との関係性が調和した状態であることを示す「親しみ」や「尊敬」などの対人関与的感情が重要な感情経験であり、アメリカ人は個人の「誇り」や「自尊心」をより強く感じるという顕著な違いが見られる点が興味深い。
 別の実験(Chentosova-Dutton&Tsai,2010)ではヨーロッパ系アメリカ人の文化においては、自分自身に焦点が当たっている時に感情的になりやすいのに対して、アジア系の文化においては、他者の存在や、自分と他者との関係に焦点が当たっている時に感情的になりやすいことも判明している。

●日本人の幸福感は「バランス志向」「関係志向」
 内田によれば、幸福感の規定要因は歴史的に構築された様々な文化的・社会的要因によって大きく異なる。特に、社会的承認や地位・対人関係など、社会的な文脈で得られる幸福感には多くの文化的変動が存在する。
 内田らの日米比較調査によれば、幸せの意味について5つ記述したもらったところ、アメリカではポジティブな記述が97,4%に対して、日本では68%にとどまり、3割近くは「幸せになると人からねたまれる」などネガティブが記述が見られ、日本では「不幸せには美しさがある」「不幸せは、自己向上のきっかけとなる」など、肯定的要素を見出している物が3割を占めた。
 物事には良い面と悪い面の両面が同時に存在するという「陰陽思想」の影響があり、「良いことと悪いことが同数存在するのが真の人生である」という「バランス志向的幸福感」が共有されている。個人主義的な主観的幸福感を最大化することは必ずしも至上の幸福とはならず、関係内要素の平衡化が重視される。
 日本人の幸福感を特徴づける傾向としては「関係性の重要性」が挙げられ、特に人との結びつきが大切であり、親しい人から情緒的支援を得られるかどうかが、日本では特に幸福と関連することが分かっている。欧米の「個人達成志向」に対して、「関係志向」であり、他者と調和した関係にある時に得られる快感情(親しみ等)が幸福感と直結している。

●地域の「集団的幸福」と「個人の幸福」のバランス
 「個人の幸福モデル(一人ひとりの幸福の実現を目指す社会)」だけではなく、地域全体の「集合的幸福」と「個人の幸福」とバランスを図ることが求められる。平成27年度から令和元年度まで、国立研究開発法人科学技術振興機構社会技術研究開発センターが実施した「持続可能な多世代共創社会のデザイン」研究開発領域プロジェクトとして推進した「地域の幸福の多面的測定」研究によって、以下のことが分かったという。
 つながりは地域内部だけではなく、外の人とも広がっているほうがより良い。「閉鎖的」と思われがちな日本の地域内のつながりは、意外にも逆に「開放性」につながっていた。地域内の信頼関係があれば、移住者についても受け入れる気持ちが強く、世代が異なる人など、多様な人の意見を聴こうとする雰囲気が醸成されていることなどが分かったのである。
 地域内の信頼関係は、地域を排他的にするのではなく、むしろ地域外からやってくる人への寛容さや、地域固有の伝統や自然を守ろうという意識を高め、地域の持続可能性につながっているのである、
 
●ブータンの国民総幸福調査と「幸福を感じる力」
 「幸福の国」として注目されているブータンで最も重視されていることは「感謝の気持ち」と「足るを知る」精神である。ブータンの国民総幸福(GNH)調査の4本柱は、自然環境の保全、公平で持続可能な社会経済開発、良い政治、伝統文化の保護と振興、であり、GNH指標としては、時間の消費の仕方。身体的健康、心理的健康と幸福、地域活動、伝統文化、良い政治、生活水準、環境、教育の9つの領域が設定されている。そのうち6つ以上が満たされている状態を「幸福」と定義している。
 ブータンでは祈りや瞑想の時間を設けることが日常的に行われており、「幸福を感じる力」を育てることに力を入れている。「協調的幸福」「集団的幸福」を「感じる力」をいかに育てるか、が日本的ウェルビーイング教育の本質的課題と言えよう。

 

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