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「古き良き時代-ディストピアのカタストロフ飯」- 濃尾

「古き良き時代-ディストピアのカタストロフ飯」- 濃尾



産業革命から芽生えた科学文明は資源枯渇、環境擾乱、人口爆発等、100年以上前から警鐘を鳴らす者が居たあらゆる資本主義の矛盾をなおざりにして、次世代へ次世代へと問題を先送りした末、21世紀末、とうとう崩壊した。

より具体的に言えば、にっちもさっちも行かなくなった末の第三次世界大戦は資源争奪戦争だった。

問題だった資源枯渇も環境擾乱も人口爆発も全て解決された。
人が居なくなったのだから。

先ほど科学文明は崩壊した、と言ったがそれは誇張かもしれない。

文明の残滓は残り、人もほそぼそと生き続けてはいた。
人が生き続けるための資源と環境は科学文明全盛期と比べれば大変極端に限られたものだったが。


やがて文明の復興が行われた。
現在の「地球管理機構」がその原点である。

一世代をかけ、科学文明は復活した。

無尽蔵のエネルギー、原子還元炉による豊かな資源、環境汚染を引き起こさない産業、コントロールされた人口、全て地球管理機構が成し遂げた。

その復興前の数十年間を人々は「大崩壊後」と呼んだ。
「大崩壊後」の世界は人類にはあらゆるものが足りなかった。
とりわけ深刻だったのが食糧であった。
有機物は殆ど再生されて食糧になった。
必要最低限の栄養素とカロリーを摂取する行為、それが「食事」だった。
「大崩壊後」の世界では人は生きるために食べ、食べるために生きた。

現在、空腹を知らない無邪気な子供たちの歴史の学習において「大崩壊後」の食糧難の事情はそう語られている。
特にその画像は嘲笑の的である。
画像には「カタストロフ飯(カタスト飯)を食べる人々」とのキャプションがふられている。

豊かな文明が、文化が再度花開き、所謂、「カタスト飯」は消え去ったかに見えた。

しかし、「古き良きカタスト飯」を密やかに愛する人々が存在した。



「「おやっさん」…、いますか?」
黒縁のメガネをかけた20代前半、といった線の細い男が薄暗い入口でささやいた。
現在、メガネ使用は管理機構により禁止されている。
身体の障碍を可能な限り排除することは市民の権利であり義務であった。
この時代、メガネなどかけなくとも、視力は簡単に矯正できる。
あらゆる障碍も有機サイバネティクスで排除可能であった。
しかし、「大崩壊後」の世界を体験した老人や「大崩壊後」の世界に興味を示す若者の中には明らかな義足、義手、義眼、入れ歯などをアンダーグラウンドでわざわざ使用し、時折、管理機構から市民クラスの降格処分を受ける者がいた。

この男もその類だ。

「おう、「メガネ」か。入りな。」と言った老人は70代前半ほどに見えた。
「「アレ」、出来たんですって?聞きました。」メガネの男が言った。
「上の方の階でそんな話してるんじゃないだろうな?」老人はメガネの男をねめつけた。
「「コブシの店」で彼女から直接聞きました。「おやっさん」から今夜「アレ」を仕入れるって。」
「他の場所では話してないな?」老人は念を押した。
「ハイ。」
「…フン。まあええわい…。」老人は入り口から顔を出し、外をさっと見渡した。

此処はコロニー大深部、管理機構も管理しきれない「大崩壊後」直後の大深度地下構造体だ。
その大深度地下構造体の或る暗渠の中に老人のアジトがあった。


メガネの男が「大崩壊後」の世界に興味を持ったのは思春期だった。
その頃はメガネなんか掛けてはいなかった。
或る時、タンマツでは検索できない情報が載っている「ウラマド」と呼ばれるデータ群へのアクセス方法の噂を友人から聞いた。

それによると、「ウラマド」へのアクセス方法はしきりに変わるらしい。
管理機構が認可していない「ウラマド」は管理機構による閉鎖と「ウラマド」の「管理人」の再開設のいたちごっこなのだそうだ。
当然「ウラマド」というキーワードで検索を掛けても管理機構公式タンマツUIでは何もヒットしない。

その噂を友人から聞いてから数週間後、タンマツに発信者不明のメッセージが届いた。
123文字の記号の羅列と最後に発信者名として「ハエトリ」というワードが付いていた。
メガネの男は管理機構により禁止されている生物の秘密飼育を友人としていた。
その生き物の名が「ハエトリ」だった。

メガネの男はタンマツに123文字の記号を挿入した。

それが始まりだった。



「ウラマド」の扉にはある種の「宣言」の様なものが書いてあった。

『管理機構により管理されている諸君に告ぐ。我々は管理機構に管理されなくとも生きていける。その生き方は「自由」と呼ばれる。管理機構の軛を取り払う第一歩を踏み出さん者は此処から中に入り給え。それをおじる者は此処から立ち去るが良い。』

メガネの男にはその意味は良く分からなかったが、好奇心がまさった。

「ウラマド」内部のUIは管理機構公式のタンマツUIに慣れたメガネの男にはまるで破れた網の目の様で支離滅裂、と行って良いものだった。これはUIでは無い、と言えるほどに。

しかし、コツコツと探索の範囲を広げて行き、やがて「道の歩き方」を自然に覚えた。

「大崩壊前」の世界、「大崩壊後」の世界についての情報も管理機構の提供する情報より詳細で具体的であった。
時には不道徳極まりない、とメガネの男には思われる情報にも行き当たった。

しかし、その情報の中で息づいている過去の人々は、メガネの男が持っていない「何か」を持っていた。
それが何かはメガネの男には判らなかった。

メガネの男が特別魯鈍であった訳ではない。
しかし、特別鋭敏であった訳でもない。
それは管理機構の管理下でそれまでの人生を過ごしてきた思春期の人間に簡単に判るべくもない事であった。

「ウラマド」の歩き方を知ったメガネの男は「ウラマド」のマップを自分で作り始めた。
それにより探索のペースは一段高まった。
メガネの男はあらゆる場所をマッピングしていった。

「ウラマド」にフォーラムが存在するのを知ったのはそんな時だった。
メガネの男は後に知る事になるのだが、皆最初は孤独に探索を続けて此処へたどり着いた者が殆どだった。

あの友人も見つけた。
やはりあれは彼からのメッセージであった。

フォーラム内の見解を大まかに統合すると「ウラマド」の「管理人」は「ウラマド」内のユーザーを自ら何処かに導く事を良しとせず、情報だけ提供して、後は各々の判断に任せるべく、この様なUIをデザインした、という事であった。

そして管理機構が「ウラマド」の存在を発見し、閉鎖したとしても、各ユーザーの身元が暴かれた事はないそうだ。

もし、「ウラマド」が閉鎖されても数週間で、一度でも「ウラマド」のフォーラムまでたどり着いた事のあるユーザーには再び123文字の記号がタンマツに送られてきて、再開設した「ウラマド」内に入ることが出来るらしい。

「ウラマド」ユーザーの中に管理機構に「ウラマド」ユーザー達の情報を売る者も出そうなものだが、「ウラマド」ユーザーが管理機構に摘発された、という情報は無い事から「ウラマド」の「管理人」は管理機構上層の内情に相当詳しい者なのでは、と噂されているそうだ。

「ウラマド」フォーラムにはユーザーが約1万人居た。
地球全人口の0.1%である。
ユーザーは微増傾向にあるが、人口の0.1%の枠内に留まっているそうだ。

特別なリーダーは存在しないが、古株として特別視されている者達はいるそうだ。
「おやっさん」や「コブシ」達がそうなのだ。
「おやっさん」の話では「ウラマド」の存在を「おやっさん」が知ってから25年が経つそうだ。

地球管理機構が全人類の管理を宣言してから25年が経つ。

これは偶然だろうか?



初めて「コブシの店」に「おやっさん」に連れられて行って食した「カタスト飯」の事はメガネの男は忘れられない。

フォーラムにたどり着いてから既に1か月が経っていた。
フォーラム全体の各論旨も概ね理解した。

管理機構の管理は「人権」なるものの侵害であり、管理機構そのものの存在を否定して直接対決すべきだ、と主張する復古派。

管理機構の管理は行き過ぎだが、恩恵もある。裏では「ウラマド」の提供してくれた情報を享受しながら、表の私生活も捨てなければ良いのでは?という懐古派。

大体において懐古派が全体の8割、復古派が1割、態度不鮮明が1割を占めていた。

メガネの男は懐古派だった。
「おやっさん」も「コブシ」も懐古派であった。
「大崩壊後」を体験している世代は、今の世が如何に生き易く出来ているのかは痛感していたが、管理局の禁止事項の多さに対しては辟易していた。

健康を害すると管理局に判断された行為全体が禁止であった。

『所謂、「カタストロフ飯」を製造、又は摂取する事は是を固く禁じる』

「カタスト飯」は「大崩壊後」の混乱の中で致しかたなく食べられていたものであり、その貧栄養性、不衛生さ、多様性の貧弱さは言語道断の非文化的な食生活であり、これを現在において積極的に食する事は文化的退廃であり健康を害する行為である、というのが管理局側の禁止理由であった。

しかし、「コブシの店」で「カタスト飯」を食べる、という行為は「ウラマド」フォーラムのユーザーなら通過儀礼と行って良い。

大深度地下構造体の或る場所を指定されて、初めてオフラインで「おやっさん」とコンタクトした時、「おやっさん」はメガネの男が想像していたより随分年寄りに見えた。
フォーラムの中のアバターはリアルの「おやっさん」よりずっと若かった。
しかし、「おやっさん」はフォーラムのアバターと同じく黒いアイパッチをした禿げ頭の男であった。

「初めまして。…本当に頭に毛が無いのですね。」メガネの男は初対面の老人の頭を無遠慮に眺めた。
「昔は男が歳をとって老人になれば、少なくない数の男が頭に毛が生えてこないものだったんじゃ。上にいる時はカツラを付けている。…カツラって分るか…?ん?…まあそれはええ。今日はお前のアバターと同じようなホンモノのメガネを持ってきた。ほれ、お前にやる。」
「おやっさん」は不愛想だが親切な人だ、とフォーラムで感じていたメガネの男は自分の勘が当たっていたような気がした。

「次会う時は「カタスト飯を」喰うぞ。「カタスト飯」を初めて喰う時には「見届け人」の立ち合いが要る。そうして「カタスト飯」を喰う。それで初めて一人前の「ウラマド」の住人じゃ。」
「ハイ。お願いします。」メガネをまさぐりながも「おやっさん」から視線を外すことなく話を聞いていたメガネの男はそこで初めてホンモノのメガネを掛けた。



或る日、メガネの男は「おやっさん」と「見届け人」の3人で大深度地下構造体奥深くの「コブシの店」に降りて行った。

「おやっさん」と「見届け人」がいなくとも、大深度地下構造体のマップは「ウラマド」から読み込んでタンマツ中に隠し持っている。
「コブシの店」にも独りで行けそうであったが、初めて「カタスト飯」を食す時は皆こうする。

「着いたぞ。」「おやっさん」は静かに言った。
「おやっさん」の視線の先、200メートルぐらい横抗を入ったところに何か赤い照明が点いていた。
そこまで行くと戸口の横に赤い色の薄膜を円筒形にして中に照明が入っているサイネージであることが分かった。
黒々とした太い文字で「コブシ」と書いてある。
「コレは「アカチョウチン」じゃ。」「おやっさん」は戸を開けて中を覗き込みながら言った。
「おう、「コブシ」さん、連れてきたよ。さあ、「メガネ」、中に入んな。」
言われるまま中に入ると、予想していたより狭い室内だった。
人が6人入れば良いだろう。
薄暗い油を使うランプが一つ。
部屋を広い側と狭い側に間仕切る形に設置された長いテーブル。
狭い側に「コブシ」が立っていた。

「いらっしゃい。「コブシの店」にようこそ。」「コブシ」が言った。
「コブシ」さんは「コブシ」さんのアバターと変わらない。若いときはかなり美人だったであろう、いや、今でも美しいか。
メガネの男はそんな事を思いながら、短く挨拶を返した。
「初めまして「メガネ」です。今日は宜しくお願いします。」
「まあ、ふふっ、「メガネ」さん、こちらこそ宜しく。」「コブシ」は華やいだ声をあげた。
「オイオイ?姐さん、俺たちとは随分待遇が違わねえか?」「見届け人」が面白そうに冷やかした。
「そう言う質問は鏡にすると良いと聞いた事があるわよ?「タケ」さん。」「コブシ」は一段と声に艶を出してやり返した。
「二人ともその位でもうよせ。今日は「カタスト飯」初喰いのユーザーが来てるんだぞ?」「おやっさん」が軽くたしなめた。
「そうね、ごめんなさいね。」「コブシ」はメガネに向けて微笑んだ。
「いえ。」メガネの男は少し緊張していた。
「じゃ、早速。」「コブシ」は厨房と思われる奥へ消えた。
「まあ、座ろうか。」「おやっさん」は四つしかないスツールの右端に座りながら言った。
メガネの男はその隣、「見届け人」はまたその隣に座った。

すぐ、「コブシ」が奥から出てきた。
「「大崩壊後」の味そのままよ。」「コブシ」はメガネの男の前に一椀の容器と匙を置いてそれだけ言って奥にまた消えた。

メガネの男はリアルで初めて見る「カタスト飯」を見つめた。
いや、見つめる前にその匂いが鼻腔を衝いた。
コレは…腐っている。メガネの男はそう思った。
しかし、どういう作用かメガネの男の口中には唾液が溢れ始めた。
薄く緑がかった灰色のペースト。
見た目にはそれ以上の情報は無い。
とてもじゃないが食欲をそそられる色ではなかった。
「…この匂い…。」メガネの男はそう呟いた。
「うん、ええ香りじゃろう?」「おやっさん」は満足そうに頷いた。
「人造醤油の香りじゃよ。各種アミノ酸、ビタミン類がたっぷりだ。ワシらの親たちは「カタスト飯」を「オカユサン」とも呼んでおった。」
「…食べてもいいですか?」メガネの男は「おやっさん」と「見届け人」に聞いた。
二人は黙って頷いた。
匙でペーストをすくい、口に運ぶ。
塩味。そしてこの匂い。
この匂いは何かこう、…そう、複雑だ。コレは、…もしかして「美味い」のか?
メガネの男は自分の脳に聞いてみる様にしてひと匙ずつ、ゆっくりと食した。

そしてすぐに完食した。
「どうじゃ?」「おやっさん」が聞いた。
「…何て言うのか、…初めて食べる味がします。…美味しい、と思います。」
「これでお前さんはもう「ウラマド」の住人じゃ。」「おやっさん」が少し微笑んだようにメガネの男には見えた。

いつの間にか「コブシ」が奥から出てきてメガネの男の言葉を聞いていた。
「じゃあ、「アレ」を出すわね?」「コブシ」が「おやっさん」に尋ねた。
「ああ、三人分頼む。おっと、四人分だな。「コブシ」さん、お前さんもやってくれないかい?」
「ええ、喜んで。」「コブシ」は奥に下がりすぐに盆で四つの小ぶりな透明容器に入った液体を運んできた。
液体は無色透明であった。
全員の前に容器が行き渡った。

「さて、「メガネ」が「ウラマド」住人になった事を寿ぎ、「カンパイ」。「メガネ」。飲め。」「おやっさん」が言った。
メガネの男は容器を手に取り少しだけ液体の匂いを嗅いだ。
病院の匂いがした。
「「おやっさん」…コレは?…」
「飲むんじゃ。一気にな。」
メガネの男はそれ以上何も言わず容器の中身を全て飲み込んだ。
途端にむせ返った。口の中が燃えるようだ。
その様子を三人が笑いながら自らも一斉に容器の中身を干した。

「コレは「カタスト飯」からワシが造った「カタスト酒」じゃ。」
「「カタスト酒」?」
「「サケ」ともいう。エチルアルコールの入った水溶液じゃ。」
「「サケ」ってあの「サケ」ですか?」
「そうじゃ、祝いの時に飲む。貴重な「カタスト飯」を材料に大変な手間をかけて「サケ」を造る。」
「そんな貴重で手間のかかる「サケ」なんて何の為に造るっ…オッ!…?」
「そうなるためじゃ。…ハハハ…。」「おやっさん」はメガネの男が今迄見てきた中で一番楽しそうであった。
他の二人も笑った。
メガネの男も自分が笑われた事が何か楽しいような気がしてつられて笑った。


これが退廃的なのか非文化的なのかメガネの男には判らない。


しかし、「カタスト飯」を食べて「サケ」を飲んで皆で笑っている自分は紛れもなく今までの人生で一番幸福な気がした。


「ウラマド」が存在する本当の理由などはメガネの男には判らない。

しかし案外、こんな事の為に存在しているのかもな、とメガネの男はよく回転しなくなったアタマでそう思ったのであった。


             
              完

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