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配偶者をどう呼ぶか問題。

年度末に全く関係ないお話。

「100分 de 名著」2月の回を何度も見返している。2月の名著はリチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』

恥ずかしながら、本も著者も初めて知りました。

で、番組内で問題提起されているのが本日のタイトル「配偶者をどう呼ぶか問題」。

パートナー・奥さん・妻・ツレ・嫁・家内、、、呼び方はいろいろあるけれど、表面的な意味はどれも同じ。

ただ、裏に込められた意味が全然違う。そしてどの言葉を選択するかによって会話の帰結も変わってくると言う。

例えば、家の女と書いて「嫁」。こう呼ぶことで、(使っている本人はそう思っていなくとも、)家事労働やケアワーカー的な意味合いがなんとなく含まれてしまう。

そして、使っている側としたら差別的な意味は込めていなくとも、使うことによって相手にも「モヤモヤ感」を残すような言葉はたくさん存在する。

もちろん、黒人のことをかつて「ニグロ」と呼んでいたように、時代とともに差別的な意味合いが強くなり変化していくこともありえるだろう。

モヤモヤを言語化することが哲学に残されたほとんど唯一の仕事といってもいいと言っている(らしい。)

まさに自分自身も、「どの言葉(表記)を選択するか?」問題に接することが先月あった。

「能登半島地震クラウドファンディング」のページを作っている際に、「障害者」を「障がい者」と表記したほうが良いのでは?と担当キュレーターからアドバイスを受けたのだ。

キュレーター曰く、世の中一般的には「障がい者」と「害」の字をひらがな表記にする方が市民権を得ているとのこと。

確かに、前職でも「障がい者」と表記することを推奨されていた。2000年代以降の話だと思う。

これは単純な話で、含まれている「害」に悪いイメージがあるから。障害者という言葉に「害」があると、その人自身が害があるという事に受け取られかねないという配慮。まあそれもわかる。

ただ、最近は(これは伊藤亜紗さんの本の受け売りなんだけれど)「害」があるのはその人自身ではなく、社会の方にあるんだという考え方が主流になりつつある。なので敢えて「障害者」という表記にこだわった。

話しは戻す。
モヤモヤを言語化する、これって人間社会ならではの問題。そして言葉は変わっていく、この時代の変化について行かないと「老害」と言われてしまうんだろうな、とも考えた出来事。

サラッと登場させたが、クラファンよろしくお願いいたします。

そして『100分 de 名著』の原著はものすごく気になるが、ものすごくお高いので購入することを躊躇してしまう。


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