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あのインタビューで洋楽に目覚めた

昨日と同じ話題。1990年代初頭に中学〜高校時代を過ごした私。中学時代はBUCK-TICKとフリッパーズ・ギターにハマり、当時の悪友もプリンセス・プリンセスが好きだったもんだからCDショップの「は行」ばっかりを行き来する日々。

ほどなくして、フリッパーズが解散したことを知った私は、彼らのベストアルバム「カラー・ミー・ポップ」ばかりを聴き続ける毎日。そして、洋楽への興味が湧いてくる時期でもあった。

最初は、わけもわからず土曜の深夜に聴いていた「TOP40」的なラジオ番組から流れてくるヒット曲を追っかけていたんだけれど、なんだかよくわからない。手当り次第に適当にCDを買ってはみたものの、愛聴盤になるほど長続きはしなかった。当時は「NOWシリーズ」も無かったし、中身のよくわからないCDを買うことは賭けだったのだ。そして失敗も数しれず。。。

そんな感じで93年頃は過ごしていた。同時期にBUCK-TICKがアルバム「darker than darkness」を発表してとりあえず購入してはみたものの、あまりピンとこなくて、それ以降彼らのアルバムを購入することは無くなってしまったのもこの時期だ。

そして94年。今話題の「ロッキンオンジャパン」のあの号が発売された。田舎の本屋でもそれなりに平積みされていたし、目立つ表紙だったから手にとって購入した。それ以前から小山田さんの露出は増えてきていたし、資生堂UNOのCMにも出ていたので再び注目をしていた頃でもあった。

購入したJAPAN誌を何回も読み込んで、私が引っかかったのは、今蒸し返されているあの部分では無く、過去に聴いてきた音楽遍歴の方だった。たぶん当時の読者のほとんどもそこらへんに引っかかったんじゃないかな?インタビューの中で、小山田さんはスミスやジザメリ、スタカンやコステロ、クランプスなんかの名前を挙げていたし、それ以前のインタビューかなんかでもジャミロクワイ(や当時のACID JAZZ系)プライマル・スクリーム、ストーンローゼズといった名前も挙がっていたと思う。

そして高校生の私は「スミスって何だ?」「コステロって誰?」「ジザメリ????」となったわけだ。当然田舎のCDショップにはスミスはもう解散していて売っていない。コステロもまだ「ブルータル・ユース」の発売前で田舎のCDショップには置いてなく、部活の遠征先のCDショップで「マイ・エイム・イズ・トゥルー」を購入した。

スミスはレンタル落ちのCDが何枚か売っていて、どれを手に入れようか迷った挙げ句ジャケ買いで「ハットフル・オブ・ホロウ」を手に入れた。当然それらのアルバムを繰り返し聴くことになるのだが、94年はロッキンオンも購入するようになって、ブラー対オアシスが勃発する年でもあった。あの号で教わった洋楽も聴きたいし、リアルタイムで発売される新譜も追わなければいけないと、結構自分的リリースラッシュの年だった。

ブラーの「パークライフ」然りプライマル・スクリームの「ギブ・アウト・バット〜」(確か小山田さんが推薦文を書いていた)然りと。次から次へとリリースされる新譜を追いかけるだけで精一杯の毎日。で、コーネリアスの「ファーストクエスチョンアワード」は結局買わずじまいの年になるのであった。

そんな中高生、当時は多かったんではないかな。


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