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"すっきりうんち"から考える、効果的かつ効率的な知識の消化・吸収法

以前書いた通り、息子の寝る前のルーティンとして絵本の読み聞かせがある。

そんなある日、満を持してこの本の登場となった。

この本は私も小さい頃親に読み聞かせしてもらった記憶があるので、懐かしく読んでいた。

私達が日々食べたものが体の中をどう通って、どう出てくるのかが詳細に書かれている。

考えてみれば不思議な話である。

口に入れられた食べ物は、胃を通り胃液によって吸収されやすい形になる。続いて、小腸で食物、大腸で水分の消化・吸収がなされる。そしてそれでも残った残留物が便として排出される。

誰にお願いされたわけでもなかろうに、まるで綿密に計画された受注生産工程のように、産まれてから死ぬまで一連のインプットからアウトプットを身体は永遠と行っているのである。

"すっきりうんち"の中でうまく消化されない場面が登場するのであるが、"あぁこれは食べ物だけではなく知識もそうだな"とふと気付いたことがあったので、折角なのでコラムとしてまとめてみたいと思う。

不本意ながら少しばかり綺麗ではないワードを多用することになるが、食事中の方や不快に思われる方はここでリタイアして頂くことをお薦めする。
ただし、内容は至ってまともだと信じている。

■アウトプットとインプット

私達は、食べ物と同じように日々様々な情報源から知識を得ている。

勉強だとわかりやすいのであるが、知識はインプットとアウトプットという、入と出にわけて考えると活用しやすいことは広く知られている事実である。

インプットばかり比重が置かれてしまうと、手詰まり感(いわゆる便秘状態)になり、身体にとって寧ろ悪影響を及すことが想定される。
アウトプットという成果を意識しないインプットは独りよがりの趣味的行為であるとも言えよう。

かといってアウトプットばかりになってしまうと、徐々に水が足されたカルピスのように成果物の質が低下してくるという事態が起きる。

結果として、両者は入と出でつながっている一連の概念だということができる。

■消化・吸収という着眼点

"すっきりうんち"の話を読んでいて、一つあることに気が付いた。

それは、インプットとアウトプット両者を捉えることも大切なのであるが、その両者の間にある"消化・吸収"という概念を意識することの方がより重要なのではないか、ということである。

ともすれば知識を大量に得て、それを成果として多く出すことが良いと思われがちである。

しかし、変な話、その出されているの成果物がうんちのような価値を持たない排出物とになっているのであれば、それは本末転倒である。

つまり、私達が本当に意識しないといけないのは、あくまで消化・吸収を経て我々の血となり肉となるその過程部分である。

この真のゴール設定を誤ると、折角入れた知識がうまく積み上がっていかないということが引き起こされてしまう。

■知識の消化・吸収力を高めるためには

では、具体的にどうすればよいのか。

"消化・吸収"を念頭に入れた上で、食べ物に置き換えて3つ程考えてみた。

消化・吸収しやすいよう予め知識を咀嚼しておく

自分の理解が追い付いていない知識は、インプットされたものがそのまま横流しでアウトプットとなる可能性が高い。

したがって、自分にとって消化・吸収しやすいように知識を咀嚼しておくことが必要だと思われる。

具体的には、自分が今持っている知識を体系化して整理・分類した上で、新しい知識が来たときにそれを上手くカテゴライズするようにインプットしていくことが良い消化・吸収を生むと思う。

私も、本業の税務・会計では、データ上で各論点ごとにフォルダを設けた上で、気になる実例や判例があればメモとして追加するような、"お腹にやさしいインプット"を日時的に心掛けている。

消化・吸収されるに足る必要十分な時間を取る

知識をインプットしてからアウトプットするまでの期間を短くすることは、一見効率的であるが、消化・吸収される時間も短くなることを意味する。

したがって、この期間を必要な分だけ確保することで、効果的に知識を取り込むことができると考えられる。

知識は、それ単体もそうだが、ふとしたある場面で別の知識と触れ合った際に化学反応するような形で生きる場面もある。

そのためには、酵母菌のように一定程度寝かせる時間も確保した上で、忘れずにアウトプットしていくことが必要となると考えられる。

③栄養バランスも意識して知識を取りにいく

偏食は、長期的にみると自分の健康を害することにつながる。
知識も同じだとするならば、知識間のバランスもある程度意識したいところではある。

最近はテレビを全く見なくなったという人も多いが、情報をあまり特定の情報源に絞り込みし過ぎると、それはそれで弊害は出てくるだろう。
いくつかに限定していたとしても、時には意識的に違う知識を取りに行く等、定期的な換気は必要だと思う。

■おわりに

そんなことを書きながらコンビニに入って朝食を選んでいて、ふと思った。

知識も、現代では目の前に綺麗に陳列されたコンビニの商品のように、好きなものを好きな時に好きなだけ自由に選べる時代である。
twitterやyoutube、最近だとvoicy、そしてこのnoteもそうだろう。

だからこそ、その身につけ方が問われている。
重要なのは、それが本当に自分にとって消化・吸収できる知識なのかという点である。

知識の海に埋もれ、便秘や消化不良になってはいないだろうか。また、他人の正解は自分の正解になるとは限らない。

きちんと自らの血となり肉となる知識を日々インプットし、アウトプットしていきたいものである。

     ※    ※     ※     ※    ※

余談だが、ここまで書いてみて一つ気が付いた。

私自身はスキの数を気にするタイプではないが、こんな投稿をして極端に少ないとスベったみたいで少し嫌だなと思う反面、突出してこの投稿だけ多くても"うんち税理士"という印象が残ってしまう、と。

しかし、そんなことはどうでもよいのだ。

なぜならこのコラムをアウトプット出来た今の私は、タイトル通りとても"すっきり"しているのだから。


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