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「書くこと」への感度が下がっている

どうもこんにちは。

note投稿頻度の変化

僕はかつて一年ほどnoteの毎日投稿に取り組んできました。

内容的にはエッセイに近いものだったり、日ごろ思う世の中に対する意見・感想などを綴ることが多かったと思います。

その後体調面の不調などが原因でしばらくnoteから離れていたのですが、先日10か月ぶりに復帰。
いまは週イチ投稿を目標にポツポツと記事を書いています。

こういう変遷を経ることで気づいたこととして、書くという能力は書き続けることでしか強化されないのだな、ということを最近強く感じています。

ここでいう「書く」というのは単純に文章を連ねていくという行為にとどまらず、書く題材の仕込み、構成力など「書く」という行為に最終的に繋がる一連のプロセス全体を指しています。


「書き続けること」で感度が高まる

毎日投稿をしていた頃は、やはりどうしても時間に追われて「書かなきゃ」という焦りをどこか抱えながらの活動でした。

仕事が終わり、体も頭も疲れている。
しかし、投稿の期限は迫っている。
だけど、書きたい内容は全然まとまっていない。

こうした状態で感じる何とも言えない焦燥感やプレッシャーは毎日投稿にチャレンジした方なら一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

逆に言うと、毎日投稿を続けていると心のどこかで常に「書くこと」を意識するようになります。
すると、日々の暮らしやニュースといった外部からの刺激に対して、「これは何かの題材になるのではないか」「このテーマで何か深堀りして考えられないか」という思考が働くようになるのです。

「書くこと」に対してのアンテナが立ち続けた状態になっている、というイメージです。

そして実際に毎日、アンテナでキャッチした内容をアウトプットする。
書くためには思考を具体的な表現に落とし込む必要がありますし、1000文字程度の短い文章であってもある程度の構成を考える必要もある。

結果的に、「書く」ことにまつわる一連のプロセスを非常に短いサイクルで回し続けることになり、ある種の好循環を生み出していたと思うのです。


「感度の低下」が気になっている

一方、毎週投稿に切り替えてからというもの、一番強く感じるのは上述の「アンテナ感度」の低下です。

常に締め切りに追われているわけではないため、どうしても「何かネタを探さないと」という気持ちが低くなり、深堀りできそうなテーマや気になる思考のかけらなどをスルーすることが多くなっている気がします。

もちろん、10か月近く間を空けたことによるブランクというのもあるのだと思いますが、やはり「感度が低い」状態で過ごすというのはどうも気持ちが悪い。

書くということは自分の思考や人生に対する解像度を上げることに繋がると思うのですが、その解像度が低くなり、日常に埋没しているような気持ちになってしまう。


いまの自分の生活リズム的にまた毎日投稿を行うことは今すぐには難しいのですが、少なくとも「感度」だけは高い状態を保っていたいなと思います。

毎日読書や他の方のnoteを読む。
思いついたことを簡単でいいのでスマホにメモしておく。

ちょっとした心がけで、「感度」を少しでも保っておきたい。

毎週投稿に切り替えたことによる、最近の気づきでした。


今日は以上です。
ありがとうございました。

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