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神の声をきいた

アアー、アアァーアアアァー 
厳かな声が
天から降りそそいでくる

これはなんだ、神の声ではないか……

じつは僕の声が
高い円天井にこだましているのだった
その間およそ8秒

赤茶けた荒地にオリーブの樹がひろがる丘を
幾度となく登ったり下ったり
グラナダから車で60分のモンテフリオに着いた

右寄りの丸屋根の建物  ラ・エンカルナシオ教会 18~19C ここで神の声を聴いた             1993

白壁の家が 丘の斜面に連なる住民2000人だが
スペインでもっとも美しい村といわれる

道ばたの八百屋から出てきた老人に誘われるまま
教会裏手の扉からドームへ通じる狭くて暗い
すりへった石のらせん階段を登っていった

最上階で老人が手を打つと
音が弱くなったり強くなったり複雑にひびきあう

あっ、と声を出してみた
そして〝神の声〞を聴いた

教会は
イエス・キリスト
すなわち神と世俗人をつなぐところ

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂は
イエス・キリストの地上の代理人たる
ローマ法王のカトリック総本山だけに
荘厳で華麗 
世俗人を畏怖させる仕掛けに満ちている

街中    いよ!             1993

イスラム教や仏教の寺院も
人の心を厳粛にする

イエスにしろマホメットにしろ
釈迦にしても
迫害のなかで悟りをひらき
教えそのもので開祖となった

仕掛け
たとえば寺院の荘厳さに権威を求むるのは
後の世の伝道者であろう

代理人の限界かもしれない

神や仏に救いを求める人に
時をこえ、祝福を与えるには
目に訴え耳に感じさせる舞台装置は
やはり布教のうえで
不可欠なことだろう

フラメンコ              マドリード 1993

昼食時間を割いてまで
教会を案内してくれた老人は
おそらく聖堂の神々しい響きを
見知らぬ異邦人に誇りたかったに違いない

1930年代の悲惨なスペイン内戦のとき
この教会のキリスト像は
戦火をさけ山の中に避難したと別れ際に
ポツリと語った老人

この国の人は、内戦のことなど
滅多に外の人に漏らさないのに……

寺男の老人の顔に深い皺が刻まれていた

もう一度行ってみたい モンテフリオ











 













 

 



 



 

 

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