西野鷹志

東京生まれ 函館育ち  ライカM6を相棒にモノクロ写真を始めて30年  若いころは イ…

西野鷹志

東京生まれ 函館育ち  ライカM6を相棒にモノクロ写真を始めて30年  若いころは イタリア スペイン ニューヨークの裏小路を歩きまわり  このところは 地元函館を徘徊している  フォトライターを自称   手許には LeicaMP、α7c2、GRⅢⅹ

マガジン

  • 港町・函館 今と昔

    天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年ほど、カメラ片手に港町の移り変わりをみつめていく。

  • わび寂びライカ EU

    わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。

  • 枯れ寂びライカ Hokkaido

    突風で駅舎がぐらっと揺れ、それまでのぽかぽか陽気が一転、気温が急降下した。ぶるっと体が犬みたいに震えた。根室ちかくの花咲駅。最果ての無人駅であった。

  • 枯れ寂びライカ Japan

    ネットで遊んでいたら、ロマネ・コンティ1億2千万で売り出されていた。その高額に腰を抜かした。さらに、1945年生れでなんと71年もの。これで腰がくだけた。

  • 函館で死にたい 石川啄木

    大森浜の浜辺を散策して『一握の砂』を詠んだ     東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

最近の記事

  • 固定された記事

函館で死にたい 啄木

風も狂ひ火も狂ひ 「明治40年6月11日 石川一、 函館區彌生尋常小学校代用教員拝命  月俸拾貮圓」 明治15年の開校当初から綴られ古びた 「彌生小学校沿革誌」の一ページに記された 石川啄木の足跡である。 いまも校長室の耐火金庫に大切に保管されている。 天才詩人と名が出始めた啄木をあたたかく迎えいれた 文学仲間のツテで、薄給の弥生小学校代用教員となる。 が、「烈しい山背の風で一本のマッチから起った火を煽りに煽って……雲も狂ひ風も狂ひ火も狂ひ人も狂ひ巡査も狂ひ犬も狂ひ

    • 島崎藤村の函館

      1904年(明治37) 島崎藤村は、日本とロシアが開戦した 日露戦争のさなか ロシアの軍艦が出没する そうぜんたる津軽海峡をわたり 函館の旧桟橋にたどり着いた 港ちかくの妻・冬子の実家をたずね 小説『破戒』の自費出版費用を願った 「要るといふ時に電報を一つ打ってよこせ 金は直ぐ送ろう」 (島崎藤村『突貫』) 網の問屋を切りまわしていた義父・秦慶治は 二つ返事で金四百円を用立てたのだ ちなみに今では300万円ほどの大金を手にして 妻の実家で1週間ほどすごしている こう

      • 毎朝、夫婦でそばを打つ 「蕎麦蔵」 会津でそば打ち修業 その会津産のそば粉を使った 手打十割蕎麦 十割なのに なめらかな艶とこしがあって 美味い 函館のそば屋で一番人気 30枚限定 直ぐ売り切れる 僕のお気に入りは、 野菜天蕎麦 つきたて餅のあんころ これで大満足!

        • ラストサムライ 中島三郎助

          幕末、黒船が浦賀沖に突如現われて右往左往する 幕府と江戸の町を皮肉った有名な狂歌がある 「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」 上喜撰(じょうきせん)とは 宇治の銘茶で蒸気船(黒船)にひっかけ 四杯とは 黒船四隻でお茶を飲みすぎると夜も眠れない、と この黒船に日本人として真っ先に乗りこんだのが 浦賀奉行の役人 中島三郎助 米に幕府高官としか面会しないといわれ とっさに「浦賀の副奉行」と偽った 応接をかさね艦内の大砲などの装備にも 目をこらし米から警戒さ

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        函館で死にたい 啄木

        • 島崎藤村の函館

        • 毎朝、夫婦でそばを打つ 「蕎麦蔵」 会津でそば打ち修業 その会津産のそば粉を使った 手打十割蕎麦 十割なのに なめらかな艶とこしがあって 美味い 函館のそば屋で一番人気 30枚限定 直ぐ売り切れる 僕のお気に入りは、 野菜天蕎麦 つきたて餅のあんころ これで大満足!

        • ラストサムライ 中島三郎助

        マガジン

        • 港町・函館 今と昔
          45本
        • わび寂びライカ EU
          21本
        • 枯れ寂びライカ Hokkaido
          9本
        • 枯れ寂びライカ Japan
          17本
        • 函館で死にたい 石川啄木
          2本
        • わび寂びライカ USA
          5本

        記事

          1995 プラハは塔が多く 「百塔の街」と呼ばれる ロマネスクやバロックの 建築が連なり 旧市街には 中世の風情がただよう 街の角々にビヤホール その数600 プラハは「泡の街」 『聖トマス修道院』 『牛小屋』 『金の虎』 店名も個性的 カフカを生んだ この街は奥深い

          1995 プラハは塔が多く 「百塔の街」と呼ばれる ロマネスクやバロックの 建築が連なり 旧市街には 中世の風情がただよう 街の角々にビヤホール その数600 プラハは「泡の街」 『聖トマス修道院』 『牛小屋』 『金の虎』 店名も個性的 カフカを生んだ この街は奥深い

          みやびな平安王朝 一皮むけば権力欲と色好みの世界 そのなかを名門貴族の五男坊の 藤原道長は 幾度も失意と喜びを味わうが 政敵が疫病などで次々と消え 王朝の頂点たる摂政となり 「この世をばわが世とぞ思ふ・・・」と詠った 平安王朝絵巻の渾身の長編小説 今の世の政治世界に通じる

          みやびな平安王朝 一皮むけば権力欲と色好みの世界 そのなかを名門貴族の五男坊の 藤原道長は 幾度も失意と喜びを味わうが 政敵が疫病などで次々と消え 王朝の頂点たる摂政となり 「この世をばわが世とぞ思ふ・・・」と詠った 平安王朝絵巻の渾身の長編小説 今の世の政治世界に通じる

          海の向こう隣りはニューヨーク  

          横なぐりの雨風が荒れ狂う 帽子のうえにフードをかぶる パンツまでぬれはじめた ヨーロッパの西の端アイルランド本島の ゴールウエイから さらに西の孤島アラン 夫と5人の息子をつぎつぎ荒海にうばわれ 最後にのこった息子も風浪にのまれ 「みんなこの世を去ってしまった。 だから海はこれ以上、 私にどうすることも出来やしない……」 と年老いた母は十字を切った シングの戯曲『海へ騎りゆく人々』の 忘れがたい科白だ 石ころと岩だけの不毛の島は 海に生活の糧をもとめた 木組みに布をはり

          海の向こう隣りはニューヨーク  

          もう一度だけ海外へ行くとしたら いの一番にニューヨーク 80年代、指折りの犯罪都市といわれ 検事出身の市長が強い取り締まり 安全は高まった 時代の先端をゆく経済 アートや流行の発信地 人種のサラダボウルのごとき 大都会 街を歩くだけで心がたかぶる この店のベーグルは美味!!

          もう一度だけ海外へ行くとしたら いの一番にニューヨーク 80年代、指折りの犯罪都市といわれ 検事出身の市長が強い取り締まり 安全は高まった 時代の先端をゆく経済 アートや流行の発信地 人種のサラダボウルのごとき 大都会 街を歩くだけで心がたかぶる この店のベーグルは美味!!

          現存する唯一の関帝廟

          函館山のふもとには 明治のころに建てられた 煉瓦造りの建物がある 金森赤レンガ倉庫、旧ロシア領事館 これらは洋式であるが 函館中華会館(現在・閉館)は 赤レンガでぐるりと囲まれ中を うかがうことができない 国内にただひとつのこる 清朝様式の建築物 明治43年、函館在住の華僑により 三国志の英雄・関羽をまつる関帝廟 同郷の集会所として建てられた 釘一本使わない清朝様式の建築で 大工、彫刻師、漆工を中国からまねき 祭壇、什器なども本国からとりよせ 工期に3年かけた 内部は

          現存する唯一の関帝廟

          一口食べると 西瓜の香りと甘さが広がるアイスバー  冷たくて美味い!!!  暑い夏にはぴったし もともと北海道・当麻町自慢の 「でんすけ西瓜」は シャリッとした食感に 贅沢な甘みが特徴 昭和のころの人気喜劇俳優『デン助』に あやかって名付けられた

          一口食べると 西瓜の香りと甘さが広がるアイスバー  冷たくて美味い!!!  暑い夏にはぴったし もともと北海道・当麻町自慢の 「でんすけ西瓜」は シャリッとした食感に 贅沢な甘みが特徴 昭和のころの人気喜劇俳優『デン助』に あやかって名付けられた

          波乱万丈 唐牛健太郎

          坊主頭のまま大学に入った1960年 安保闘争のまっただ中であった 大学構内は安保反対の立てカンバンが林立 連日デモ隊が国会をとりまき、岸を倒せ!  このときの全学連委員長は 函館生まれの唐牛健太郎であった シュプレヒコールうずまくなかに僕もいた 時はうつり 函館・大門の酒場で赤銅色に日焼けした彼と カウンターに連なったことがある そのころオホーツクの紋別で鮭漁師となり 母親のすむ函館にいっとき里帰りして 高校時代の友人と会っていたのだ 「安保の遺産で食っているのさ

          波乱万丈 唐牛健太郎

          函館郊外のトラピスト修道院  舟越桂が手がけた渾身の彫刻がある カトリック信者にとり修道院は重たい存在 しかも祭壇の真上にたつ幼子キリストを抱くマリアさま 悩みに悩んで、2年がかり ノミを入れたのは 「悩み」はマリアさまにもあると 今春、詩的な人物像の舟越桂が天に召された

          函館郊外のトラピスト修道院  舟越桂が手がけた渾身の彫刻がある カトリック信者にとり修道院は重たい存在 しかも祭壇の真上にたつ幼子キリストを抱くマリアさま 悩みに悩んで、2年がかり ノミを入れたのは 「悩み」はマリアさまにもあると 今春、詩的な人物像の舟越桂が天に召された

          井伏鱒二の媒酌で 太宰の妻となった 東京女高師出の美知子 戦中戦後の10年間 ともに暮らした日々 亀井勝一郎など 友人知人との交流 疎開した津軽・金木 乳母たけの事など 数々のエピソードを 明晰に描く 人間太宰の知らぜざる素顔 が浮かびあがる 回想記 太宰ファン必読

          井伏鱒二の媒酌で 太宰の妻となった 東京女高師出の美知子 戦中戦後の10年間 ともに暮らした日々 亀井勝一郎など 友人知人との交流 疎開した津軽・金木 乳母たけの事など 数々のエピソードを 明晰に描く 人間太宰の知らぜざる素顔 が浮かびあがる 回想記 太宰ファン必読

          バーテンダーの神様 

          封書が一通とどいた 差出人はクール古川緑郎 毛筆で西野鷹志様と書かれている いつものとおりの端正な字だ 予感がはしった やはり閉店のあいさつ状であった 上京のたびに 銀座コリドー街の バー・クールに足をむけて15年 そのカウンターに連なるために東京へ行く これが本音 バーテンダーの神様が銀座にいると聞き 意を決し酔った勢いで扉を押した まずはビールと頼んだが 洋酒のみとていねいに断られた クールの常連はテーブル席より 古川さんとカウンターをはさんで 立ち飲みと会話を楽

          バーテンダーの神様 

          1970年11月25日 日本が震えた日  三島由紀夫が市谷の自衛隊の総監室バルコニーで演説  自衛隊の決起を促すも失敗と知るや割腹自殺 こい願うノーベル文学賞 を 取りそこねた才能のかたまり三島 芥川賞候補にもならぬとは「芥川賞七不思議」の一つ 『金閣寺』『豊饒の海』……

          1970年11月25日 日本が震えた日  三島由紀夫が市谷の自衛隊の総監室バルコニーで演説  自衛隊の決起を促すも失敗と知るや割腹自殺 こい願うノーベル文学賞 を 取りそこねた才能のかたまり三島 芥川賞候補にもならぬとは「芥川賞七不思議」の一つ 『金閣寺』『豊饒の海』……

          光源氏は男前?

          昔々 琵琶湖のそばの石山寺を 訪れたことがある この寺には 紫式部が『源氏物語』を書いた と伝わる「源氏の間」がある   今をさる千年まえ 紫式部はこの部屋に七日間参籠し 昇った中秋の名月が湖面に 映える美しい光景に 人の世の栄華を思い さらに無常を 感じたのだろう おもむくままに筆をとり 「今宵は十五夜なりけり」 と源氏物語を書きだした   さてさて、物語のヒーロー 光源氏はどれほどのセレブで 美男であったか 「掃木」の巻の「雨野の品定め」で 「女にてみたてまつらま

          光源氏は男前?