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現存する唯一の関帝廟
函館山のふもとには
明治のころに建てられた
煉瓦造りの建物がある
金森赤レンガ倉庫、旧ロシア領事館
これらは洋式であるが
函館中華会館(現在・閉館)は
赤レンガでぐるりと囲まれ中を
うかがうことができない
![](https://assets.st-note.com/img/1721506887647-Fwzh2aXtjC.jpg?width=1200)
国内にただひとつのこる
清朝様式の建築物
明治43年、函館在住の華僑により
三国志の英雄・関羽をまつる関帝廟
同郷の集会所として建てられた
釘一本使わない清朝様式の建築で
大工、彫刻師、漆工を中国からまねき
祭壇、什器なども本国からとりよせ
工期に3年かけた
![](https://assets.st-note.com/img/1721506923127-kXAImP76Mb.jpg?width=1200)
内部は華麗で爛熟した
清朝末期の雰囲気がある
これらの資金は、中華料理で重宝される
昆布、貝柱、鮑などを中国に輸出する
華僑の海産商によってもたらされた
僕の友人で
不動産業をいとなむ陳有崎さんは
華僑の二代目
父・陳恩竹(ちん・おんちく)は
明治40年、中国は福建省に生れ
18才の時に日本にわたり
大阪で呉服商のもとで行商を始めた
やがて兄がいる函館に来て
衣料の行商をして
故郷の家族をむかえた
![](https://assets.st-note.com/img/1721506979534-wi0WmKURAg.jpg?width=1200)
日中戦争のときは
特高の監視もあり
窮屈な日々であったが
戦後は
自由な生活を送れるようになった
華麗な関帝廟にたたずみ
華僑の歴史にも
光と影があると思った
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