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親を越えることと自分軸で生きることについて思うこと

古い日記を眺めていたら、こう言うタイトルを見つけたので

今の時点で思うところを書いてみます。

随想なので、お時間あればお付き合いください。

読むタイミングあると思いますので、嫌だなと思われたらここまでで。

* * *

私は今40を過ぎてますが、

親を受け入れられるようになったのは、

30代の最後の頃になるのかと思います。

以前は許せていない部分が多く、

会ってはなせば何かしらイライラしてしまっていた。

両親とは離れて暮らしていますが、

何年か前に会った時に母から

「親を越えた」とご満悦そうに

言われたことがある。


ん? とおもった訳だが、

その意味はすぐに理解できた。

無言で受け続けた条件付き承認が言語化されたもの。


父は高度経済成長期で急成長したメーカー

のエンジニアでしたが、

同じサラリーマンになった自分としても

やはりよく働いていたと思っている。


ですが、日頃の接し方、振る舞いに関して、

父に対して「そうはなるまい」

と思っていました。


それなのに、自分も同じような道をたどり、

一通り同様な歩みを経験して

ようやくわかってきたのかもしれない。

確かに、最終学歴という尺度では越えたのでしょうが、やりたいこと、目指していることは全然違うし、

比較にならないので、越えた、という感覚もなかった。


大学進学は親の希望も感じていて

志望の大学ではありませんでしたが、

行くにはいったが、なんとか卒業した。

でも在学中に計一年ほど海外へ行って、

外国人の学びに対する姿勢に

日本人にはないものを感じ、

帰ってきて奨学金を受けて院進学することにした。

そういうのはもはや自分のためだった。

(意識的にはそう思う。)



では、今まで、親が期待していた「親を越える」

というのは一体何だったのだろうとそこで考えた。

私なりに思ったのは、

そういう社会的地位だとか

収入、結婚の有無、子供の有無など

そういうことではなく、

親の価値観の呪縛から自由に生きられる

ようになることではないか という事だった。


そして、その自由とは

親の価値観への反発的なものではなく、

価値観を受け入れた上で

自分の人生は自分で決めていい

と思えるようになることなのかと。


普通に生活していてそうなれたかと言うと、分からない。


私の場合は、30代後半で受けたコーチングやNLPなどの心理的学的なアプローチに出会い、父のことについて深く理解できたことが大きいと思う。

色々聞くと、誰から受けるかで違いが大きいようなので、よきガイドに出会えたのは幸運だった。


10年、下手すると20年かかるところを3年くらいで抜けられたかなと。(笑)


ふと思ったのですが、

世の中ではさらに自由な状態がよし

とささやかれたりする。

それも同じように感じるときがある。

こういうことは言われている自由な状態になってから言わないと

単なるひがみと捉えられるだけかもしれませんが、

今の自分の環境でとにかく一生懸命やるのが

大事だなと最近は思う。

やれることはやってみて、あとは天命を待つみたいな。

今までも自分なりに一生懸命やってはいたと思うが、

以前に増して、環境が与えられていること自体が

ありがたいことだと感じる。

その上で、可能性にチャレンジしたくなれば

してみようと思う。

しばらくは、マイペースにnote書いたり、

お越し頂いた方にセッション提供していきます。


最後までお読み頂いてありがとうございました。

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