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7章 ザワザワ病院⑶


イチョウは、入院を経て11月初め、左膝の人工関節の手術を受けた。
当日は、スイデンと娘の英子、孫が揃って、浅澤三郎医師から手術の説明を聞いた。手術は1時間ちょっとで終了した。
手術の間、スイデンは、手術室と待合室を何度も往復した。
その都度、ナースから、
「終わりましたら、お呼びしますので、待合室でお待ちください」
と声をかけられた。
英子と孫は、イチョウが麻酔から覚めるのを見届けて、東京へと帰って行った。スイデンは、夕方までベッドサイドでイチョウを見守った。

手術の翌日、午前10時過ぎにヨシキタPTがイチョウの病室を訪れた。
「おはよう」の挨拶に続いて、ヨシキタPTは、大きな声でイチョウを誘った。
「ハイ、起きましょう」
「エエー!」と驚くイチョウ。
彼は、掛け物などをよけると、左側の背中に手を差し込んで、ゆっくりベッド上に起こした。
上体を回し、両脚を床に下ろした。
イチョウの右手の甲には点滴の針が固定されている。
点滴スタンドの位置を調整して、ヨシキタPTは、両手を差し伸べ、
「ハイ」と促した。
イチョウが、空いている左手でその腕を掴むと、彼はイチョウの右肘を軽く掴んで、スッと引いた。
(ウウ、痛い!    アッ!    立っている! )
イチョウは魂消たまげた。
(ヨシキタPTに支えられているが、ともかく、立っているではないか)
「左足を出しましょう」
言われるままに、左足を気持ちばかり動かした。
「ハイ、今度は、右」
ヨシキタPTの左手が動く。と、イチョウの右足が少し前に出た。
ソロソロと進む。点滴スタンドと尿の袋も一緒に付いて来る。
いつのまにか、イチョウは部屋のドアまで到達していた。
「では、廊下を右へ行きましょう」
「ウワー」
イチョウは、介助を受けて必死になって歩いた。
翌日も同じ時刻に、ヨシキタPTと違うPTが、同様のリハビリを実施した。


歩ける喜びと反対に
イチョウは、術後10日間、眠れない夜を過ごした。
エコノミークラス症候群を予防するため、脚に装置が付けられていた。
その音が、パカンパカンと昼夜を問わず鳴るせいだ。昼間は何とか過ごしたが、夜になると音が大きく響く。眠りに落ちる瞬間にパカンと来る。
ウトウトするとパカンと来て熟睡出来ず苦しい夜が続いた。
睡眠不足のせいか、術前は落ち着いていた血圧が上昇した。
おまけに術前、正常値になった血糖値までが上昇した。
朝、昼、夕の血糖値測定が開始された。
回転性のめまいが出現した。体を動かすと病室の天井が激しく回って、イチョウを苦しめた。
さらに不整脈まで出た。
そんな状態のため食欲がまるっきり出ない。毎食、薄いお茶だけしか飲めない。
「召し上がれ」とナースが促すがお膳を見ただけで「ウッ!」となった。
点滴が継続され右の手の甲に点滴の針が固定されている。排尿の管がベッドの下の袋に繋がっているため、終日、ベッド上に仰向けの状態でいるしかない。
ナースは、時々、体位変換に来て背中にクッションを当てたり、外したりした。その時だけ、イチョウは、しばし、ホッと出来た。

手術した左膝は、氷で冷やし固定されている。
朝8時30分に、ヨシキタPTが、出勤時のスタイルのまま、氷を交換に来ることにイチョウは気付いた。
私服で大きなリュックを背負っている。
イチョウの記憶に残ったのは、ヨシキタPTであるが
実際は、毎回、違うPTやナースが来て、膝の氷を交換した。


ようやくイチョウが、ヨシキタPTに付き添われて、1階のリハビリのフロアまで下りることが出来たのは、術後11日目であった。
そこで見かける術後の患者は殆ど、イチョウと同じリハビリのコースをたどっていた。
「ハイ、起きましょう」
から始まったあのリハビリは、術後の定番のコースであるとイチョウはこの時知った。

痛みがしだいに軽くなってくると、イチョウは、リハビリ施術中に、ヨシキタPTとようやく会話が出来るまでに少し余裕が出て来た。
すると、
「アレ?」と、ヨシキタPTがクビを傾げた。
「大阪の出身かと思っていたけど、違うね」
「大阪暮らしが長かったけど、ふるさとは、九州です」
とイチョウ。
「九州のどこ?」
「長崎」と言うと、ヨシキタPTは驚きの声を上げた。
「大学2年の時、長崎に行ったことがある」
何と、PTコースの同級生の家に泊って、父親と酒を飲んだと言う。
「同級生って、男性?」
「イヤ、女性。ちょっとした仲良し」
ヨシキタPTはアッケラカンと、言ってのけた。
(ちょっとした仲良しの女性の家に泊る? 父親と酒を飲む?)
イチョウは、不思議な思いで、ヨシキタPTの顔を眺めた。
「オレ、20歳で学生。結婚は考えてなかった」
(長崎の父娘は、それを待っていたのではないか……この野郎!)


次章、イチョウは、もう片方の右膝の手術を受けないと固く決めたのだった。

事の顛末は次章にて。

→(小説)笈の花かご #25
8章 イチョウの決断⑴ へ続く




(小説)笈の花かご #24 7章 ザワザワ病院⑶
をお読みいただきましてありがとうございました
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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