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(2)大統領府、市政に大いに干渉する。


 日本の金森前首相と娘、前首相の孫で末っ子の陸、そして幸乃の4人が空港に到着すると、大勢のカラカス市民が出迎えた。前首相は今回のベネズエラ入りで、手を振っている大勢の人達を見て、目が潤んだ。一年も経たずして、これだけ変わるのか・・改めて彼の裁量、手腕に感心する。いきなり放り込まれた国で、ここまでにしたのだから。

車が大統領府に着くと、全員が出迎える。陸が4人の子達に囲まれてポカポカ叩かれている。彩乃が慌てて陸を開放した。零が「リクー!」と抱きしめて泣き出すと、この5人は一緒じゃなければ駄目なのだろうか、と新たな発見をした。

「さぁ、中で休んで下さい」鮎を大統領府へ招き入れる。
庭の芝生がサッカーのスパイク跡でグチャグチャで、その隣の平屋の小屋が謎だったが、子ども部屋でも作ったのか?と思いながら入った大統領府は見事なものだった。しかし、この執務室はモリの好みではない・・まさか・・
「ねぇ、あの庭にあった小屋、ひょっとしたらあなたが使ってるの?」

「僕だけじゃないですよ。みんなのオフィスです。ああ見えて、中は快適なんですよ」モリが言うと、ベネズエラ組が笑う。「確かに雨季でも湿度はいい感じになります」
杏が最大のメリットを伝える。それ以上、何が必要だというのだろうか。

リビングに通すと、ベネズエラスタッフが日本茶とパイナップルとイチゴ、他に様々な南国のフルーツを出して、リビングから出ていった。
子供達が争うように果物にかぶりついてゆく。志乃と翔子と里子がそれぞれの子の頭をパシッと叩く。「あなた達は何時でも食べれるでしょう!」志乃が言うと、シュンとしている。陸が得意げな顔をして果物を頬張り続けた。
そこで、フルーツの盛り合わせが3皿出てくると、モリも手を伸ばした。

「これ、全部ここで取れるの?」鮎が聞く。

「ええ、バナナ以外は国産です」

「おねえちゃん、アイスココアが飲みたいな」零が玲子に言うと、4人が「僕も」と言う。玲子が仕方ないと立ち上がると、樹里が手伝いに付いていった。なんか、みんなイキイキしてるな・・鮎はこの明るさはなんだろう?と思った。

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日本のバイクメーカー4社はモリと協議を重ねて、進出先を割り振った。
軽自動車も製造する2社は、エクアドルとコロンビアにそれぞれ分かれて、進出した。

アルゼンチンには、水素発電列車の製造工場と水素タービン工場、造船所が既にあり、関わりのある重工メーカーが、バイク工場も建設した。
ペルーには、マリンスポーツ船舶と楽器製造も手がけるメーカーが入った。ペルーは世界2位水揚げ量を誇る、漁業大国でもある。ここで漁船にAIセンサーと気象Naviを搭載し、更なる水揚げを期待したいのと、アジア、北米向けの缶詰工場など日本の水産加工会社の誘致を促している。

農業国でありながら食料自給率が50%程度で困っているエクアドルへは、ペルーの海産物、アルゼンチンとボリビアの畜産物、乳製品、コロンビアの農産物でカバーする。
ベネズエラは、エクアドル内のバナナプランテーションの利権をアメリカ企業から買い取り、AIロボットを配置して、土壌改良に取り組み始めた。
アジアのバナナが、バナナ病14-15年前に壊滅的な被害を受けた際に、エクアドル、ホンジュラス等のバナナが世界の需要を支えた。ベネズエラは今やその2大プランテーションを手中に収めている。

オートバイは北米、欧州向けの輸出が主力だが、スクーター等の安価なものが南米で売れ始めていた。車は欲しいが、そこまでは買えない。しかし、スクーターなら手が届くという層に響いている。十数年前のASEANやベトナム、ラオスと同じ光景が始まろうとしているのかもしれない。
実際、ベネズエラ内でもスクーターが多く見かけるようになった感がある。少しづつ、モータリゼーションが浸透してゆくのかもしれない。

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「自動車は北米、欧州へ輸出。軽自動車・バイクは南米諸国連合、中米等へ」

南米諸国連合で乗用車に乗っていた人達も、日本の軽自動車の性能と維持費の安さに驚き、シフトする人も少なくなかった。乗用車に比べれば、一時費、維持管理コストが安いと、喜ばれる理由となった。

PB Motors社が軽自動車用の660CCのディーゼルエンジンの開発を行い、この新エンジンに1000CC用のハイブリッドモーターを付けて軽自動車への搭載を可能にした。
南米へ進出した軽自動車2社はこのPB Motors社のハイブリッドエンジンを従来車へ搭載し、販売を始めた。軽自動車でディーゼルエンジン搭載は世界初だが、ハイブリッド化により、ディーゼルエンジン特有のトルク感覚の他に加速感も増し、軽自動車の非力さは完全に払拭された。
この新開発エンジンは2社の日本工場でも製造され、日本国内のみならず、旧北朝鮮・タイ・ビルマ・インドへの輸出も始まっている。
「軽自動車」が、遂に輸出品として販売を始めた。エンジン車とEV車の小型車を脅かす存在として世に放たれた格好となる。

PB Motorsが660CCディーゼルハイブリッドエンジンを安価な設定にしたことで、従来の軽自動車価格と遜色ないものとなった。2社にとっては2034年の排ガス規制をクリアー出来る手段となっただけに、願ったり叶ったりの展開となる。
PB Motorsはこのバイク兼業の2社に限らず、軽自動車生産を行っている国内の2社に、このエンジンを提供をし、日本が生んだ偉大なる軽自動車の存続を実現した。
1次産業に携わる人々に取って「軽トラ」は必要不可欠な存在だ。通常の軽自動車以上に、軽トラックの方が中南米でブレイクしてゆく事になる。プランテーションや農場、漁港で、必須車両として活躍し始めるのだが、きっかけとなったのはベネズエラ大統領となる。
「大統領が乗ってる、変てこな車」がアチコチで動画がアップされてゆくのだが、軽トラがその使い勝手の良さから、次第に重要な輸出品目にまで成長してゆく。

今回のエクアドルとコロンビアでの軽自動車生産に関して、プルシアンブルー社も加わって生産体制の準備をしてもらっていた。
ボディとシャーシは日本から取り寄せて、それ以外のエンジンとトランスミッションを始めとする部品は南米諸国連合から提供する。早速、日本の部品情報を入手して、それぞれの工場で製造を始める。一旦ベネズエラで部品を集約して、船便で送った。部品が届きだした2社は驚いた。部品精度が極めて高いらしい。この値段でもいいのかと。南米諸国連合ではこれが標準だと、担当者が偉そうに応えたらしい。
つまり日本で組み立てるよりも、高品質な軽自動車が完成する可能性がある。

そんな内部情報を知ると、家族中で軽自動車のカタログを見て、何台か買おうという話になった。大統領府までの移動や、買い物に行くのに、大型車に乗るまでも無いという話になった。そもそも、大統領はバイク通勤をしようと企んでいた。
私邸にはジープを残して、2台のドイツ車とJaguar/は大統領府の常設車にする。普段は軽自動車に乗ることにして、母親6人で1台づつ選んで貰う。モリは4WD5速の軽トラ一択だ。雨の日用の通勤手段とする。

南米諸国連合ではネット会談を行い、軽自動車の優遇措置を取り決めていた。
車検は新車は4年後、以降は3年おきに行い、車検費用も納税額も、リッターカーの2/3と定めた。南米諸国連合からの部品納入額を日本の2/3に抑えたので、本体価格も日本の2/3程度と求めやすい価格となった。これでスクーターに続く、起爆剤になってくれればと考えていた。

日本のバイクメーカー4社の販売店が各都市に出来ると、モリは各社のバイクを1台づつ買い込んだ。どのメーカーも排気量は125 - 250ccの排気量だが、1台だけ、高校生の頃から販売を続けている400ccのバイクを手に入れた。このバイクだけ特別な1台で週末しか乗らない。
私邸に店舗と同じ木質パネル建屋を立てると4台のバイクとジープを並べ、雨季でも朝から降っていなければ、バイクで通勤するようになる。お陰でスーツは着なくなる。シャツにワークパンツにローカットの登山靴のようなワークブーツで、Aconcaguaの防風パーカーを羽織っていた。急にフットワークが良くなり、バイクに乗ってアチコチ出掛ける機会が増えてゆく。

自衛隊の司令が、大統領府の護衛から「突然、バイクで出掛けるので心配です」と申告を受けて、モリの単独行動が露呈する。
誰も止められないと、護身用の小銃とナイフ、小型トランシーバー、GPS一式を持たせ、これで大統領の現在地を偵察衛星で常に追いますからね、と大統領に認めさせた。

カラカス市から半径200Km内であればバイクで移動し、アチコチで大統領目撃情報が報告されるようになる。「突然、ランチを食べて帰った」「コーヒーを2杯飲んだ」「ケーキを美味しそうに食べていた」等々・・。
居場所が分かるので、娘達が統計を取っていくとマメにアチコチの街に顔を出して、視察をしている事が分かった。安全なベネズエラだから出来ることだが、バイクの機動性をフルに活かして、出来る限り、その街全体を把握しようとしているのが分かった。

「自分の目で見て判断したいのよ、市役所はちゃんと仕事をしているか、足りないものはないかってね。日本の議員も本来やるべきなんだろうけど、相手が構えちゃうから、仰々しいものになる。だけど、大統領が普段着でバイクに乗って一人で来るなんて誰も思っていないから、人々の素の姿が見れる。これはいい事かもしれない・・」
鮎首相がつぶやくと、閣僚の皆さんが頷く。

「夕飯にはちゃんと帰ってきますし、取り敢えずはいいのではないでしょうか」幸乃が言うと、蛍が苦虫を噛み潰したような顔をして両手を上げて首を振るので、周りが笑った。

鮎首相の指摘は尤もなのだが、現実は少々厄介なものだった。
モリがそれぞれの街を訪れる理由は、各市からの補修や改修といった件数が極めて少なく、疑問に感じていたからだ。修復必要な教会、遊具の交換が必要な公園、道路の補修と言うよりも全舗装をし直しする必要がある道路・・等と、街を走れば直ぐに分かる。

市役所が怠慢なのではなく、大統領府が緊縮財政を取っていて、金を極力使っていない。故に「無駄使いは行けない」と思わせてしまっているか、もしくは「まだ使える、あれこれ申請すれば、大統領の負担となるかもしれない。我慢しよう」と、おそらく何れかの理由で、どちらもありえそうな話なので困っていた。後で事故が起きても困る。そもそも、国庫自体には余裕がある。それで写真を自分で撮り「市民から修繕してほしいという依頼が来たので、調査して欲しい」と大統領府から市長に依頼する形を取る。まどろっこしいが、これでようやく動く。とにかく即時に取り掛からないとマズそうなものから選んで、一つづつ潰して行こうと考えた。
今年は、鮎が来てくれたので内政面は任せられる。愚直に自分が動きながら、一つづつ対応できればと考えていた。これも引いては街の産業活性化、雇用に繋がるかもしれない。
とにかく、中南米で一番の経済力を身に付けた国なのだから、それなりに還元していかなければならない。自発的に市や街が動いてくれるまで、こちらから率先して動くしかなかった。
他国にかまけてばかりも居られない。基本はベネズエラから全てが始まる。この国が他の国よりもしっかりする事が、南米諸国連合にとって重要だと考えていた。

そうは言っても、その町までのバイクでの移動時間は極めて楽しいものだった。決して飛ばしている訳でもなく、ゆっくりと周囲を確認しながら走る。
「ベネズエラという国土を、隈なく見るべきだ」そう思った。そうすると、色々なものが見えてくる。「この街とあの街を繋ぐバスが無い。理由はなんだろう?」「この街まで鉄道を伸ばした方がいいのではないか?」「この区間の道路は再工事が必要だ」と移動して、走って見て初めて分かる。バイクなので、いつでも止まって確認が出来る。バスのターミナルや鉄道駅でも大統領を目撃したという報告が寄せられるようになる。そして、大統領府へ帰ると各市と協議だ。このようにして、国内インフラを見直しながら、ベネズエラという国自体を把握していた。
日本のバイクはもの凄く良くなった。海外メーカーのバイクまでは分からないが、125CCや250CCでこれだけ楽しめるのは凄いと感動していた。いずれ、南米にツーリングブームなるものがやってくるのではないだろうか。いや、実際にそうなって欲しいと願っていた。

この日は大統領府に寄らずに、私邸に戻ってゆく。私道で警備にあたっているAIバギーの前で一旦止まって、フルフェイスのヘルメットを取って素顔を晒す。「ただいま」「お帰りなさい」と認識されて、モリが私邸に到着した旨、大統領府のAIバギーに連絡が行き「大統領、私邸在宅中」と警備室の表示が自動的に変更される。

バイクを倉庫へ入れると、簡単なチェックをして明日のバイクを決めると、シャッターを閉める。そして私邸に入ると、銃刀ボックスに短銃とナイフをしまって鍵をする。
ここにはショットガンやライフルも入っている。何れ、ペルーやチリのアンデスの麓で狩猟も試してみたいとも考えていた。キーをワークパンツのポケットに格納すると、今日の夕食の建屋に向かっていった。

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カラカス港に軽自動車が7台届いたと大統領府に連絡が来ると、あゆみと彩乃がAIロボットを6台を乗せて、カラカス港へ向かった。
どうもこの家は「配送手数料」ですらケチる家庭らしい。ロボットが居るから出来る話なのだが。直に大統領府に軽自動車が届くと、全員が車を見に行った。職務中ですぞと思いながらも仕方がないと諦める。実際、全員がそのまま出掛けてしまった。気が付けばモリの軽トラも無い。そう、軽トラ何気に楽しいのだ。このまま娘達に使われてしまうのかもしれない。

その2社7台の軽自動車の映像は圧巻だった。
大統領府の新車として、娘達が何故この車を選んだかそれぞれ熱く語っていた。大統領の軽トラは、朝の畑で取れた野菜を荷台に載せて大統領府へ到着する。時折、大統領府の畑を小型の耕運機を荷台に積んでいって、耕す。「この小さなトラックはなんだ?」と注目を浴びていた。「大統領の変なトラック」は7台の動画のトップとなる。
勢い7台のプロモーションビデオのようになり、軽自動車に興味を抱く人達が現れる。
各メーカーのディーラーに行って、実際に試乗をすると、確かに値段も安くて、燃費もいいと分かる。売上が上昇した理由が、この動画によるものだったのかまでは分からない。ただ、動画再生回数は凄かった。軽自動車が少しづつ、認知されていくようになる。

軽自動車販売に最初に火をつけたのは日系人ではないか?と後に言われるようになる。ブラジルや他の国では当たり前のように乗用車に乗っていた。そこに税や諸経費の安い車が出てくるとやはり欲しくなる。プルシアンブルーの認定中古車とどちらにしようかと考えると、諸経費が安く、燃費の良い軽自動車だという判断が働いたらしい。

エクアドルからは車載船が、コロンビアからはトレーラー車で軽自動車が入ってくるようになった。町中でも「白」ではなく「スカイブルー」のナンバープレートの車が目立つようになってゆく。スクーターもそうだが、車が手に入ると家族の行動範囲も広がる。
車で出かけた先で消費活動が旺盛になると、その消費活動に応えるかのように人々が商売を起こしてゆく。鉄道、バスに続いて家族単位で移動を始めるようになると、国内経済は次のサイクルに移行したのだろうか?とそんな印象を感じていた。

軽自動車が大統領府へやって来ると、母親達も街へ出て視察を始めるようになる。毎日のように2人で1組になって、女性自衛官を乗せて市場や公共施設へ出掛けてゆく。
帰って来ると「ああしよう、こうしよう」と議論し合うようになっていた。女性目線も確かに必要だ。モリがやっている意味を母親達も理解し始めると、少しづつ、国が改善されてゆく。

「ウチの街にも、大統領がやってきた」そんな話が広まり、食事を摂っている写真が露呈すると、やがて訪れた街で何が目的だったか直ぐに分かり、「各市長、各市役所は、大統領の手を煩わせるな!」という声が沸き起こった。これはイカンと、翔子官房長官に定例会見の場で伝えて貰う。

「大統領は決して、あら捜しをしている訳ではありません。実際に隈なく皆さんの街を見て、内情を認識し直しているのです。全てはベネズエラをより知る為です。何しろ、まだ1年も経っていないので、ベネズエラの殆どの街を知らないのです。どうか皆さん、大統領を見かけても騒ぎ立てずに「来ているな」位に留めていただけると有り難いのです」

確かに事実であり、それなりに説得力もある言葉なので、事態は沈静化はする。市役所や市長がとばっちりに会うのは想定外で、さすがに申し訳ないし、市民から吊し上げられるのも可哀想だ。しかしカラカス、バレンシア市周辺の視察を終えたとしても、まだほんの一部分でしかない。ベネズエラは広い。高速鉄道や飛行機を使って移動し続けようと考えていた。

ある日、バレンシア市の近郊の街を訪れた。帰りは行きとは異なり、海岸沿いの道を流しながらカラカスへと戻ってゆく。不思議と、南国の海岸沿いはアジアもカリブ海もあまり変わらないなと感じていた。気候的な共通の方程式でもあるのだろうか、とつい考えてしまう。
湾と湾をつなぐ小半島に起伏があると、そこだけワインディング状の道となる。これも世界各国共通の岬や半島道路だなと思う。土建国家だった日本では、安易にトンネルを掘ってしまうのだろう。
ベネズエラの海沿いの道は、そんな風に所々に起伏やワインディングがあるので主要街道にはならない。そんなバイク向きの道路でもある。数十km内陸に入った場所に、主要の国道が通っている。その為海岸沿いは、漁村、嘗ては栄えたビーチ付きの宿、海水浴場施設といったものがポツンポツンと存在するだけだった。

海は綺麗なので、このままの姿であればいいと思いながらも「開発」という言葉も脳裏を掠めてしまう。環境には好ましいものではないが、観光資源として捉えてもいいのではないかと邪な感情も湧いてくる。
現在は海上太陽光発電と養殖事業で漁村を潤わせ、今頃の乾季のオンシーズンでは、街の人々がビーチに遊びにやって来る。その程度に留めて置く方が、いいのかもしれない。
今日は珍しく曇っているので、海で遊んでいる人も居ない。

モリはこの道が気に入った。どこか東南アジアのプーケットやサムイ島の嘗ての佇まいを思い起こす。乾季なのに雲が厚くなり、一雨来るかもしれないと休めそうな場所を探していると、一軒の食堂を見つけ、バイクを止める。
屋根だけがあって3方の壁が無く、柱だけの、南国スタイルの定番の店舗だ。ヘルメットを取って、店内というか、オープンスペースに入っていくと誰も居ない。
慌てる必要もないので、道路側のバイクと海が見える席を選んで、座った。

車で来た方が良かったかな、とも思いながら一雨やり過ごせば済むのでバイクで良かったのだと思い直す。
「いらっしゃいませ、すいません。気が付きませんで・・」と店の人がやってくるのだが、途中で硬直してしまった。まぁ、よくあることだ・・

「こんにちは。突然すみません。あの、出来るもので結構です。何か食べ物と飲み物を頂きたいのですが」
メニューなるものが見当たらないので、お任せする。大抵お店のイチオシが出て来る。何が出て来るかお楽しみというのもある。

「分かりました!少々お待ち下さい!」同世代の女性は足早に店の裏に入っていった。心なしかパニック状態の声が複数聞こえる。
こちらが、普通のライダーであれば良かったのだろう、申し訳なく思う。

雨が降り始め、徐々に雨脚が強くなってゆく。軒下の湾曲したトタン屋根から雨水が滝のように地面に落ちてゆく。久しぶりの雨だなと暫く見入っていた。

「大変、お待たせしました・・」夫婦だろうか、2人が料理を運んできた。
目の前に並んだ2品はどちらも美味しそうだった。これは・・ビールだろう。「ありがとうございます。この料理は何と言うのですか?」

「はい、アロス・コン・マリスコスと言います。パエリアのような海産物の炊き込みご飯で、ペルー料理です」他にトマトベースのスープの中には剥き身のエビが入っていて、これも美味しそうだ・・

「ペルー?」

「ええ、主人がペルー人なものですから」

「そうなんですね・・あの、ビールはありますでしょうか?」

「はい、只今お持ちします!」2人は走っていった。

目の前の初物料理に目を奪われて、匙でトマトとチーズのとろみのあるスープとエビを掬って、口に運ぶ・・物凄く美味しかった。これは癖になる・・咀嚼し終えると、今度はペルー版パエリアだ・・この店「大当たり」だ・・
冷えた瓶のRedStarが出てきた。「ありがとうございます・・どちらも気に入りました。何という名前でしたっけ?」

「アロス・コン・マリスコスとトマトスープが、チュペ・デ・カマロネスと言います。ペルーの海沿いでは一般的な料理です」

「なるほど。今週末、家族を連れて来ても宜しいですか?同じものを皆に食べさせたいのです。事前に到着時刻と人数を連絡しますので」

「はい、分かりました。こんな店ですので大してお構いも出来ませんが、たくさん作ってお待ちしております」ご主人はカチンカチンでもそう言ってお辞儀をした。

「では、ごゆっくりお召し上がりください」奥さんが頭を下げる。

「ありがとうございます。暫くお世話になります」

その週末、全員でやってきた。娘達に「調理している所を見せてください」と言わせて厨房を覗いてもらい、必要なものをチェックしてもらう。
杏が調理の手順を撮影してゆく。

一同で食事を頂き、大満足して貰って複数台の車で私邸に戻ると、杏は動画を編集し、「ペルー料理を初体験。アロス・コン・マリスコスとチュペ・デ・カマロネスをご馳走になりました。美味しかった!」と投稿する。
翌日、大型冷蔵庫、電子レンジ、調理器具一式、アルゼンチン産の冷凍むき海老ドッサリと店舗に配送される。これで人気店になってくれたら嬉しい。

その位、この店が気に入った。暫く経ったら、また寄らせて貰おう。

(つづく)


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