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ゲーム制作のための文学(15) ドイツ語訳聖書、翻訳を読むことは無意味であるという意見に反論する。

フランス文学の話をすると、たいていはフランス語を読めない人がフランス文学とか生意気な翻訳を読んで理解したつもりになるなんて無意味と主張する人がいることは珍しくありません。そして、そういう人に限って大学院でフランス文学を専攻していないものです。

なぜなら、フランス文学を真面目に勉強した人は、その場でマウントを取るよりもフランス文学に興味を持っていただき長期的な上下関係を育んだ方がとても得だから。

という話は冗談ですが、翻訳本を読むことにそれほど好意的ではない意見が多いと私は感じています。

しかし、日本は科学文明と西側諸国や中国の影響を強く受けており、そのため西洋文学や中国の知識は本当は私たちには身近なものです。そして、西側諸国には言語がたくさんあり、ドストエフスキーやトルストイの小説はロシア語で書かれています。

というわけで、一〇〇カ国語をすらすら読める人は別として、文学を広く学びたければ翻訳しかありません。


現在、5月29日の文学フリマ東京に向けて、『ゲーム制作のための文学』を制作しています。

前回はセルバンテスでしたが、今回はバニヤンではなくて、バニヤンに至るための出来事としてルターの宗教改革を取り上げます。

翻訳を読むことは無意味。

だって翻訳をすることにより作者が本当に伝えたかった情報が消えている可能性があるから、という意見を信じる馬鹿がいかにたやすく権威者に搾取されるのかを知り、ルターは激怒しました。

『ゲーム制作のための文学』『

第十四章 ドイツ語訳聖書(ルター)

 煉獄といえば、贖宥状。
 歴史の勉強が好きな人は煉獄という単語を見ただけで反射的に贖宥状と、贖宥状を見て怒り狂っているルターを思い浮かべるかもしれません。
 これまで、ダンテの『神曲』、ボッカチオの『デカメロン』、ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』、そしてセルバンテスの『ドン・キホーテ』と続きキリスト教の力が衰えてきたのを感じたかもしれません。
 特にセルバンテスやラブレーは、もはや反キリストと断言しても良いくらいキリスト教の権威を認めていないように思えます。
 セルバンテスが『ドン・キホーテ』を出版した一六〇五年の時点で、もはやキリスト教的騎士道など笑いの対象でしかないように思えます。
 しかし、冷静に考えてみましょう。
 キリスト教は本当に駄目なのでしょうか? そして、そもそもカトリック教会は本当にキリスト教なのでしょうか?
 今回はルターとドイツ語訳聖書について書きます。

 宗教革命で有名なマルティン・ルターは一四八三年に生まれました。同じく一四八三年に生まれたラブレーと同じ世代で、フランス人のラブレーがキリスト教を見捨てて新しい創作を追求していたときに、真面目なドイツ人のルターはむしろキリスト教に向かいます。
 ダンテの『神曲』を読めば明らかですが、当時、カトリック教会は天国、煉獄、地獄の三つの層で死後を捉えていました。
 そして、地獄、すなわち永遠に神から離れる人以外で、愛欲や強欲などの七つの大罪を犯した人たちは煉獄に送られます。
 イエス・キリストは、女性を見て美しいと思ったら強姦(愛欲)、他者に怒りを感じた時点で殺人(憤怒)、強盗が来たら全財産を喜んで与えることは人間として当然のこと(強欲)だと断言しているので、普通は煉獄に送られるはずです。
 さて、煉獄に送られたら、私たちは必死に天国まで地を踏みしめながら昇っていかなくてはなりません。
 それを楽にしてくれるのが贖宥状です。
 お金を出して贖宥状を買うと死んだ後に楽だよ、また死んだ家族のために贖宥状を買いましょうというのが昔のカトリック教会の解釈です。
 ここでルターは恐ろしいことに気がつきます。そもそも、煉獄というのは本当に存在するのでしょうか?
 ダンテの『神曲』には、間違いなく煉獄は出てきます。
 ダンテ自身も煉獄に堕ちて、頑張って昇っていく予定です。
 しかし、聖書には煉獄は書いていないように思えます。もしかして、煉獄はキリスト教ではなくてカトリック教会が始めたビジネスでは。

 文学では二つの大きな事件が起きました。演劇と印刷です。
 街頭演劇とはギルドの職人達が主催する、カトリック教会が与える世界観を人々と共有する教会的システムです。演劇を見ると、私たちは聖書ではなく、ギルドの演劇を正しいキリスト教の姿だと錯覚します。
 教会でも同様です。カトリック教徒は聖書を読むわけではありません。司祭が提供するカトリック教会の世界観を学びます。正しいキリスト教とは、専門家が解釈したキリスト教のことなのです。大衆の勝手な妄想より、大切なのは専門家の判断です。なぜなら、彼らはキリスト教の専門家なのだから。
 しかし、ここでルターはまったく別のことを考えます。
 信じるべきは神であり、神の解釈者ではない。
 私たちがキリスト教徒であるならば、イエス・キリストを信じるのであれば、カトリック教会ではなくて神を信じたいのであれば自分で聖書が読めなくてはならない。そうでなければ、キリスト教のふりをしたビジネスに騙されてしまう。
 ちょうど印刷技術が生まれたので、ルターはドイツ語訳聖書の制作を行いそれを印刷することにしました。
 プロテスタントの始まりです。

 プロテスタントはカトリックとは根本的に発想が異なります。
 カトリックは解釈者、そして伝統や歴史を重視します。彼らの世界観は、学問は学校で学ぶものであり、学校の教師達の授業をどれだけ理解したのかが、数学や科学や国語の能力なのだという発想をします。
 重要なのは権威者から学ぶことです。
 平家物語の演劇を見れば、平家物語を読む必要はありません。仏典を読む必要ももちろんありません。実際に夏目漱石の小説を一冊も読んでいなくても、学校を卒業していたら夏目漱石を語れるという発想です。
 夏目漱石は素晴らしい、なぜなら学校でそう習ったから。
 それがカトリックです。カトリックにおいて大切なのは、自分の勝手な妄想ではなくて専門家からきちんと学んだのかです。そして、正しい組織に属していて、正しい教えに常に触れているかどうかです。
 関連書物を読まず、翻訳を読んだだけで理解したつもりになるのは愚か者です。

 一方、プロテスタントは何が正しいか実際に自分で本を読んで考えろという発想です。夏目漱石について理解したいのであれば、入門書を読んだり授業を受けたりするのではなくて夏目漱石の小説を読むのが正解である。
 むしろ、夏目漱石の小説を一冊も読んでいないのに、私の好きな作家は夏目漱石ですと断言するなというのがプロテスタントの基本的な立場です。
 三島由紀夫の文章は美しい。なぜなら、大学教授達が断言していたからだ。
 と言う話をしたくないのが、プロテスタントです。
 夏目漱石の小説を自分で読んだ人は夏目漱石を語る資格がなく、専門家の論文や入門書を読んだけれど夏目漱石の小説や文章を一冊も読んだことがない人なら、論文や入門書を読んだ人のほうが夏目漱石について語る資格がある。という考えは、プロテスタントにとっては異常な発想なのです。

 それまで、ヘブライ語やギリシャ語で書かれていた聖書をドイツ人は自分達の言葉で読むことができませんでした。しかし、ルターが翻訳したことで、自分でイエス・キリストの言葉を読むことができるようになりました。
 所詮は翻訳だろう、と偉いカトリック司祭達は言ったでしょう。
 しかし、翻訳でも煉獄とかいう謎の概念を口にして、キリスト教をビジネスにされるよりはましなのです。翻訳というのは危険な行為です。それはただ実際に本を読まれて多様な解釈が生まれて収拾がつかなくなるからだけではありません。特定の解釈が、特権的な地位を失ってしまうからです。
 それは聖書だけではなくて、あらゆるテキストに言えることです。
 これまで、ダンテ、ボッカチオ、ラブレー、セルバンテスという四人の文学者をある特殊な文脈で結びつけてきました。
 しかし、それはゲーム制作に関係した解釈です。
 もし、ダンテの『神曲』やラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の翻訳を実際に読んでみると、あれ、必ずしもダンテが普遍的真理の探究でラブレーが楽しさの追求とはいえないのではないか、と読者は気がつくはずです。ダンテやラブレーを、それほど単純に考えてはならない気がしてきます。
 それは、これまで書いてきた『ゲーム制作のための文学』の解釈が完全に間違っているからではなくて、書物というのはあらゆる解釈を阻むところがあるからです。解釈は、それが解釈であるため常に実際の書物とは異なります。
 ダンテの『神曲』について語られることは、その解釈は、ダンテの『神曲』そのものであることは絶対にありません。
 翻訳を読むという行為は、それまで常識とされていた読み方が、一つの解釈であることに気がつくきっかけになります。
 そして、一度解釈と判断されたら、それは真理ではなくなります。

 カトリック教会はカトリック教会の聖書解釈があります。それまではその解釈こそがキリスト教でした。キリスト教とはカトリック教会のことであり、そしてカトリック教会が教えるのがキリスト教でした。
 しかし、翻訳が出たことで、カトリックの解釈は真実ではなくてカトリックの解釈として認識されるようになりました。
 こうして、印刷技術によりカトリック教会は分裂したのです。

』『ゲーム制作のための文学』

宗教改革(十六世紀)においては、カトリック教会が保守、そしてプロテスタントがリベラルです。

今はプロテスタントの保守が有名ですが(そして、今のアメリカではカトリック教会のバイデン大統領がリベラルです)。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

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