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普通でいてほしい

保護者の方と話していて一番多く聞く言葉が、「普通でいてほしい。」

「普通」とは、先生の話をしっかり聞くこと、座っていられること、みんなと同じ行動ができること。

だけど、発達障害の子たちと過ごして、彼らの頑張りをみていると、「普通とはなんだ?」と自問することがこれまで以上に、本当に増えました。

彼らも両親や先生たちの願い通り(もちろん本人の希望もありますが)、「普通」でいることを目標に努力しています。でも、どうしても無理なところが出てきます。自分でもわかっているのに、できないことがあります。それが彼らの「普通」です。

「いつになったら、普通になれるの?」と本人に聞かれたこともあります。

職員や友達との関係性を構築しながら、療育の成果が少し表れると、「まだできるはず」「もっとがんばればできるよ」と、さらなる頑張りと変化を求めます。最悪なのは「できるのに今までしてこなかった(サボってた)」と取られること。グレーな子は特にそうなります。

何故彼らばかりに求めるのか。何故彼らだけが社会に適応するために努力しているのか。

私たちは変わらなくていいのか?

「寄り添う」って『あなたが頑張っていることを知ってるよ。』と認めるだけじゃない。

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多様性やインクルージョンの文字や言葉がたくさん、本当にたくさんの人、本、SNSなどからみられます。私も使っています。

でも使っている意味として、微妙に違うと感じることがありました。

以前読んだ記事で、共感した部分が多かったものです。

「多様性」には「となりの〇〇さん」を含む
「多様性」とは「無条件に受け入れる」ことではない。


そこで必要になってくるのが対話です。

その人ならではの物の見方、選択の基準、その人から見えた世界を聞く。 それが対話です。


社会や学校を大きく変えていくのは大変です。(でもこのご時世ではあっという間に変わることもあるかも。)

大きな組織からより、小さな組織であるクラス、グループ、家族、友達。 そして自分自身という個。そこから意識を変えられることはできると思っていますし、コミュニティからの変化、発信の方が重要だと思っています。


仕事でも、バックグラウンが違う人たちが集まれば、各々がこれまでの「普通(慣習)」を押し出してきます。そこで対話をする意思をそれぞれが持って、腹が立つこともあるだろうけど、一度「自分」を横に置いて、席に座ることが大事です。

席に座るためには、「こうしたい」「こうなりたい」と先に見るビジョンが同じでないと難しいですけどね。

「私たちにとって、これって大事だよね」「これからの社会は、こんな風になったらいいよね」という共通の理想や価値観を抱きながら、「一人一人の個性は違うけれど、理想に向かって協力できることは協力しようよ」という、多様な個性が一つの場に集えることが大切なのではないかと思う。

インクルージョンがもっと進めばいいと思う反面、言葉だけが先行しないように、形だけにならないように、対話を深めていきたい。

そして「普通でいてほしい。」ではなくて、「あの子があの子でいられるように」「私が私でいられるように」子どもも大人もからだの力を抜いて過ごせる世の中にしていきたい。


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