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Uターン13年目、田舎の民泊宿主が見た東京

「福井県移住・交流フェア」で、2年ぶりに上京

民泊宿というのは客が週末に集中するので、いつもなら土日にお出かけというのは無いのですが、筆者の本業は地方移住支援ファイナンシャル・プランナー。(宿は副業)。9/7(土)に東京・有楽町で「福井県移住・交流フェア」があり、相談員のミッションのため上京しました!

場所は有楽町の東京交通会館

以前は航空機の早得チケットを使うことが多かったのですが、北陸新幹線の「eチケット早特14」を使えば、福井‐東京間を10,920円で行けます。空港までの交通費を考えると全然安いし時間もほぼ正確。
今回、イベントの前日に北陸新幹線で大宮まで行き、以前10年間住んでいた南浦和、よく飲みに行っていた赤羽に寄り、鎌倉の「ゲストハウス亀時間」に泊まり翌日東京有楽町でのイベントへ。その後上野で二泊しました。短い滞在でしたが、これらの町を訪れた所感を書きます。

「埼玉の玄関口」南浦和のいま

この町には2001年6月から2011年1月まで住んでいました。当時の状況はこちらをご参照ください。


南浦和駅前

南浦和の駅は改札出たところにコンビニが出来ていたくらいで、24年前とほぼ変わっていませんでした。
しかし、この町に住んでいた頃に毎週のように通っていた「西野水産」という安い魚屋があって覗いていたのですが、土曜の昼間なのに閉まっていて、ネットで1か月前に閉店したことを知りました。何ということでしょうか。

魚が安かったのでここで刺身とかを買っていた

南浦和はJR京浜東北線と武蔵野線が交差する場所にあり「埼玉の玄関口」と言われます。その交通の利便性ゆえにか自分が住んでいた頃も学習塾が多かったのですが、当時と比べても更に増えている感があります。
少なくとも14年前までは、自分が住んでいた駅の東側には唯一のスーパー「マルエツ」が目抜き通りにあったのですが無くなってました。(後で調べたら少し奥に移転していた)
少子化で子どもの数は減っているし、今は大学入試も推薦やAO入試の比率が高くなっていると聞きますが、依然として受験競争は厳しいのだと感じざるを得ません。因みに福井は中学受験をする子はそれほど多くないし、公立の学校でも補習授業などをやっているので学習塾はそれほど多くないです。
それ以外の点については、良くも悪くもこの14年間変わっていない町だと思いました。たぶん10年後20年後もそれほど大きな変化は無いのではないでしょうか。

赤羽で昼呑み

南浦和から京浜東北線に乗って赤羽に行きました。
東京にいたころは、職場が秋葉原・お台場・新橋・品川・日本橋・田町と、一貫して京浜東北線沿線だったので、会社帰りにはよくこの町で飲んでいました。京浜東北線だけでなく埼京線や高崎線・宇都宮線など多くの電車が停まるので交通至便ですし、次は埼玉県という都心から離れた所にあるので庶民的な値段の店が多かったです。
まず行ったのは「孤独のグルメ」1巻にも登場する「まるます家」。

14年前と変わらぬ店構え

当時は金曜日の夜に行っても大体座れたのですが、最近は更に人気が出たようで、ネットを見たら平日昼間でも並ぶことがあるということで心配していましたが、13時過ぎに行ったら首尾よく席が空いてました。

ビールはサッポロラガーをチョイス

名物の「煮込み」と、鯉の洗い、ほやの塩辛、里芋の唐揚げ、鯉こくをオーダー。里芋の唐揚げは宿のある大野でも名産にできないかなと思いましたし、鯉こくの旨味には圧倒されました。本当は名物のうな丼を食べたかったのですが、聞くとウナギの小さいのがあるときだけの提供ということで、うな重は安いのでも2,700円でした。
しかしそれ以外の品は大きく値上がりすることもなく、味も自分の記憶の中にあるのとほぼ同じで嬉しかったです。当時いた店員さんのうち何人かはまだ働いてましたが、年月の割には年をとってない印象で背筋をまっすぐにしてました。良い品を妥当な価格で提供しているという自信と誇り。人気店になっても偉ぶることもなく、お客さんに媚びることもなく。淡々とした接客が心地よい。仕事というのはこうあるべきだと思いました。

この店は滞在90分まで、お酒は2杯までというルールがあります。深酒になる前に退去。もう一軒は立ち飲みのおでん屋へ。

「まるます家」のすぐ近く

宿でも冬にはおでんを出すのですが、やはり専門店の味は全然違うと思いました。日本酒をおでんの出汁で割るのが名物です。
この2軒はむかしから有名ですが、他にも昼からやってる飲み屋が数多くありました。しかしどの店も閑散としていて呼び込みをしています。あとで行った上野でも感じたのですが・・東京は人が多い街だけど、人気のある店にはより多くの人が行き、そうでない店には全然来ない。テナント料も人件費も高いから客が来ないとあっという間に経営は行き詰まる。勝ち抜かないと継続できない場所なのだと感じました。自分が大野の宿のように「おもてなしをしない」方針を掲げてまったりやるわけにはいかないでしょう。

鎌倉の佇まい

赤羽からは都内をスルーして上野東京ラインと横須賀線を乗り継いで鎌倉に行きました。
今はこうやって旅宿をやっているのですが、そのきっかけになったのはこの地にある「ゲストハウス亀時間」のオーナーから「旅の終着駅は自分の宿」と言われたことがきっかけの一つだったのです。

鎌倉駅から「亀時間」まで20分ほど歩いて行きました。
東京は営業活動であちこちに行ったのですが、この町は明らかに印象が違います。高いビルや派手な看板が無い。コンビニとかも少ないので便利な町とは言い難いのでしょうが、いろいろな規制があり新陳代謝が少ないかわりに、古い建物が残っていますし、むかしから続いているビジネスが継続しています。この国はスクラップ・アンド・ビルドで新しくて美しいものを作ることにロマンを感じて、それで経済回してきましたが、この町歩いてると、もうそろそろそういうのはいいんじゃないかと思います。
あるものを活用する。知恵で使い勝手をよくしていく。

昭和なパン屋が現役

「ゲストハウス亀時間」着。玄関を開けるなり「コバヤシさん!」と言われました。まだ1度しか来たことがないのですが、Instagramで相互フォローしているからでしょうか。平日はほぼインバウンド客中心とのことでしたが、1泊3500円という良心的な価格を守り続けています。

あと200日少々で築100年になるという建物

宿で少し休んで、歩いて3分にある材木座海岸へ。途中八百屋さんがあり、ワンピースを着た女の人が「今日は何がありますかぁ?」て店の人に聞いています。日本の多くの土地で失われた風景。

富士山に夕日が沈む

サーフィンしている人やジョギングしている人、犬の散歩している人。みんな日々の暮らしを楽しんでます。身近な自然や文化を愛でる生活。
夜は宿の近くの町中華の店で、横浜名物サンマーメンを食べました。地元の人ばかりの店。共通の知り合いの噂話が飛び交う。ゲストハウスに泊まったら、ガイドブックに載ってるような店ではなくこういう所に行くべきです。

味も文句なしだった
鎌倉駅近くの市場


世界遺産の神社仏閣に行かずとも、この町には人の営みの中に積み重ねた歴史が反映しています。ゲストハウス泊まってブラブラするだけでも楽しい土地です。

変貌した上野

2日目、「福井県移住・交流フェア」が終わり、カプセルホテルの風呂で汗を流し、上野の町に繰り出しました。東京にいたころ、500回くらいは来た見知った町です。

上野広小路

しかし、当時と比べても人の数が明らかに増えています。特にアメ横は中国語が飛び交い、インバウンドと思われる外国人、日本人も若い子が非常に多いです。店も活気があるといえばそうなのでしょうが、騒然としています。人で溢れる店、すこしでも空きがあれば呼び込みで埋めようとする店。客も店員も大声を張り上げる。10数年前も賑やかな町でしたが、当時感じたようなワクワクを感じないというか、何もかも過剰な感じです。

アメ横は人でいっぱい


映画「三丁目の夕日」に出てくるように、戦前戦後は地方から上京してくる人たちの玄関口でしたが、東北・上越新幹線が東京発着になってその地位を失い、ひと頃は町の衰亡が語られましたが、今はこうやって賑わってます。しかし、今度を過ぎたの喧騒は、当時危機感を抱いていた人たちが望んだ姿なのでしょうか?

結局、行きたいと思う店も見つからず、御徒町まで歩いて、有名な魚屋「吉池」直営の立ち飲み屋に行きました。騒がしさもほどほどで落ち着きます。

吉池直営「味の笛」。レジで酒とツマミを買ってカウンターで飲む

翌朝、谷中墓地から上野公園まで散歩しました。

こういうとこならまた東京住みたい


上野公園でヨガをする人たち


不忍池はむかしと同じ

夜は騒然とする上野界隈ですが、それでも鎌倉同様、地元で日常生活を楽しむ人たちはいます。ただこちらのほうは、10年後20年後はどうなっているのだろうと思いました。

田舎の民泊宿主が感じたこと

今回2年ぶりに上京してきましたが、コロナが落ち着いたということもあるんでしょうけど明らかに人が増えて、モノの値段が上がって上がっているのを感じました。需要と供給のバランスでこうなるのでしょう。より洗練された資本主義
いっぽうで、近隣県も含めた東京という都市はひとくくりで語れないとあらためて思いました。町を行きかう人たちも、自分らしさを出して生きているなあと思います。選択肢が多く、誰にでも居場所がある多様性。ただし、勝ち抜けばの話ですが・・・なりたい自分のビジョンを明確に持ってそれに向かってひたすら努力すれば楽しいだろうし、そうでなければ疲弊して、いつの間にか居場所を無くす。
ただ、もともとはこういう街だったのではないかと思います。「まんが道」に出てくる満賀道雄と才野茂は都会の喧騒には目もくれず畳の下宿でひたすらマンガを描き続け出版社に持ち込み夢に賭けました。あの二人は後年成功を手にしましたが、そうなれなかった人たちはその後どうなったのか。

あまりにも大きい都市です。東京とその周辺の県は場所によって違う方向に変貌するでしょう。これからも変わらない町もあれば、欲望と資本の論理に飲み込まれる町も出てくるでしょう。
地方は過疎化で将来の危機が語られますが、東京も場所によっては個人の生活レベルでは持続性が担保されている状態とは言えないと感じました。勝つものは勝ち続けるし、そうでない人は居場所を無くす。
今は大野での日々を送っています。「おもてなしをしない」という方針を掲げ客と酒を飲みながらもボチボチと宿業を続けていられます。今まで以上に自分の住んでいる環境を慈しんで生きようと思いました。


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