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「とほ宿」への長い道 その18:ついに宿開業を決意

父親の事業を継承し個人事業主に

2020年の春は誰もが鮮明に覚えていることだろう。新型コロナウイルスの蔓延で、まともに外出出来ない日が続いた。
 
zoomが急激に浸透した。その14で書いた「彦根ゲストハウス無我」の宿主・村田氏からFacebookでオンライン飲み会の告知があり、北海道で千歳空港から一番近いとほ宿「旅の轍」の宿主・鈴木氏(通称:のみぞう)と一緒に旅の話題を肴に飲んだ。後の話になるが「とほ宿」への加入を勧めてきたのはのみぞう氏だ。
 
2012年に福井にUターンして以来、保険代理店を営む父親の下で働いてきたが、父親は80歳となり流石にビジネスから身を引くことになった。2020年6月11日、開業届を出し、自分が個人事業主となった。
といっても仕事自体はほぼ変わらない。確定申告を自分で行うようになったくらいか。ファイナンシャル・プランナーとして、税金や相続や社会保障などの知識を常にアップデートしていたし、わからないことがあれば誰に相談すればいいかわかっていたこともあり、割とすんなりと事業継承できた。
 
だが、毎月決まった給与を貰っている立場と、自分の働きが結果になるのとでは意識は全然違う。クラウド型会計ソフトを使えば日々の売り上げや経費は毎日推移がわかる。父親の下で働いていた頃は毎月同じ額を給与として受け取っていてその範囲内でしか考えていなかったのだが、事業主になってからは目を皿にして毎月の収支をウォッチして先のことを考えた。
保険ビジネスへの危機感は何年も前から抱いていたのだが、いよいよそれが現実になった。少子化で市場は縮小しているのに競合他社は増える一方。そしてコロナの影響で対面営業は制限される。各保険会社はオンライン営業を推奨してきたが、保険代理店としてはホームページ等ネットでの営業活動は基本的に認められない。いよいよ限界を感じた。

地方移住支援ファインシャル・プランナーとして活動

保険の次のビジネスは何か。やはり何年も取り組んできたファイナンシャル・プランナーだと考えた。少しずつではあるが実績も積んでいる。

セミナー講師案件などが出てきていた

しかし何年も活動する中で、漠然と「お金の悩みを解決する」と言い続けるだけでは集客はできないと感じるようになった。
日本FP協会のファイナンシャル・プランナー資格を得るためには試験が必要で、「ライフプラン」「保険」「税金」「不動産」「相続」「金融資産運用」の6分野に分かれる。どの分野の知識も必要だが、「何でも聞いてください」では誰の関心も得られない。自分の得意分野を理解し、具体的に何が出来るのかを、潜在的に問題を抱えている人に訴える必要があった。
自分の強みを考えると、首都圏・関西で通算20年以上生活し、福井にUターンしたという経験があることだ。また、全国47都道府県中46県に行っていてあちこちの旅宿に泊まっている。そして人口過剰でインフラ面に問題のある都会から過疎問題に悩む地方への移住推進:地方創生は国家と自治体の最重要課題だ。

都会から地方に移住すると収入が減少するケースが多い。しかし地方は生活コスト、特に住関係にかかるお金が安く済み、子育て環境が充実しているので共働きも容易だ。一生涯のキャッシュフローを考えると、むしろ地方で生活したほうがお金が残る。このテーマに絞って活動することにした。

また、一人で活動するより集団でブランディングしたほうが効果的だと考えた。無料で使えるライフプランソフト「Financial Teacher System」の勉強会で知り合った全国のFP有志とお金の課題を話し合いYouTube配信する「FPトークライブセッション」を2021年から始めた。

1人で活動するよりも、グループのほうがお互いの専門知識を活かせて知名度も高くなるのではないかと考えた。しかしすぐには視聴者数は伸びない。
自分も何度か家計相談を受けているのだが、多くの相談者は自分の家計の問題を認識していて、解決策も持っていた。その解決策が妥当なのかどうかプロの意見を聞きたいという人が大半なのだ。
人間誰しも不安や不満は持っている。「問題」と考え、「見える化」することで解決策を模索しようと考え行動した時点で半分は解決したようなものだ。ファイナンシャル・プランナーに相談しに来る人というのはそうした人たちなのだ。
どうすればFPとしての自分の知名度を上げ、相談というアクションにまで繋げられるのか?保険の営業でも考え続けていたし、あちこちのホームページを管理する中でWebマーケティングを研究する中で思ったのだが、解決策を示すことよりも、まずは強烈な存在感を出すことが大事なのだ。どうすればいいのかを日々考え続けた。

プライベートではキャンプにハマる

一方、世の中は空前のキャンプブームが来ていた。女子高生たちがただただキャンプに興じる「ゆるキャン」のようなコンテンツの影響もあるし、新型コロナの影響がずっと続いていて、「密」になるような行動が白眼視されていたので、ソーシャルディスタンスを確保できるキャンプという遊びが人気を集めるのは当然の流れだった。一方で男女別相部屋式のゲストハウスにとっては苦境の時期だった。知り合いが福井県若狭地区で3件ゲストハウスを経営していたが多額の借金を背負い事業をクローズした。
自分も山登りをしていたこともあり以前からキャンプはしていたが、コロナになってからより一層のめり込んだ。天気の良い週末は毎週のように近隣のキャンプ場に足を運ぶ。しかしながらキャンプの不便さも感じるようになっていた。キャンプブームで人が多いとテントサイトの確保が難しくなる。夏は虫が多い。トイレが遠い。一部シャワーのあるキャンプ場もあるが基本的には先に入浴しておかないといけない。食材や飲み物を冷やしておかないといけない。雨が降ると不快だし、翌朝の撤収とテントの手入れが煩わしい・・・実際、キャンプ場といっても屋根付きのバンガローのほうが先に予約が埋まるものだ。所謂オートキャンプ、車の中で寝る人も増えた。キャンピングカーや車中泊も人気を集めていた。BBQのようなアウトドア気分を味わいたいという人は多いのだろうが、このような環境を受け入れられない人のほうがむしろ多いのではない。キャンプブームは長続きするものではないと思った。

2021年4月、石川県境に近い坂井市丸岡町の竹田地区のキャンプ場「たけくらべ広場」で、「福井楽しいワイン倶楽部」のお花見ワイン会に参加した。

枝垂れ桜を見ながらのワイン会

翌朝は大野に行った。ファイナンシャル・プランナーの仲間が大野市で「荒島ポーク」という養豚場の運営を支援していて、食べ放題のBBQ大会があるというので、その17で書いた「福井楽しいワイン倶楽部」の会長と一緒に行ってみた。

晴れていれば荒島岳が見えるロケーション


酒かすや廃棄野菜で育てたクセの無い味

養豚場に隣接した場所でのBBQだったが、人間と同じものを食べさせているということもあって全然臭くない場所だった。食べ放題というので肉をたらふく食べた。オーナーの安川さんは60歳だという。これからブランド豚を立ち上げようということで意気盛んだ。
この時肉を焼いている人がいたのだが、近々大野市内でゲストハウスを開業するという。筆者と同年代だ。またしても羨ましいと思った。いったい何度目だろうか。

宿の開業を決意させた言葉

個人事業主になり1年が経過、「FPトークライブセッション」でYouTube配信したり、FP向けの勉強会で講師したり、いろいろ足掻いてはいたが、すぐに結果が出るものではない。
そして本業の保険収入は更に右肩下がりで減っていった。コロナの期間中ほぼ営業活動ができなかったし、保険の営業環境が昭和平成の頃とは変わっているのを肌で感じていた。これから保険代理店で生き残ろうと思ったら若年層マーケットを開拓しなければいけないが、少子化でパイそのものが激減しているし、彼らはサブスクというものに慣れていてコスパに非常にシビアだ。モノを買うのでも、安いものを比較して決めるだけではなく、メルカリなど中古品を躊躇わずに購入する。

悶々としつつも2021年の年末に「青春18きっぷ」を使って東京に旅に出た。東京オリンピックは無観客だったし、行動制限が完全になくなるのはいつになるのかわからない。行けるうちに行っておこうと思った。

経営が芳しくない上に、5泊6日の長丁場なので旅費は極力節約せねばならない。「青春18きっぷ」を使えば交通費はJRの普通列車乗り放題で5日間12,050円(プラス地下鉄代など)。名古屋で1泊、鎌倉で2泊、東京で2泊するのだが、宿泊予約サイトを使って1泊5000円以下の宿を探した。
名古屋と東京の宿はビジホだったが、鎌倉ではゲストハウスに泊まった。


宿から歩いて3分で材木座海岸

12/30に鎌倉入りし、「ゲストハウス亀時間」にチェックイン。

ゲストハウス亀時間。築100年、以前はステーキ屋さんだったという建物


その夜は鎌倉駅前のうどん屋さんに行った。

2021年当時は鎌倉にあった「川ひろ」

20年以上前、大阪で働いていた時の上司が営んでいた店だ。
彼はその後転職し、外資系企業の日本のトップにまで上り詰めたのだが、50を過ぎて脱サラし東京・目黒でうどん店を構えた。しかし半年で経営が行き詰まり、SNSで今は鎌倉でワンオペの店を営んでいるという話を聞いた。
うどんを食べ、他の客が出て暖簾を下げて後、お互いのむかし話に花を咲かせた。もう60を過ぎていたが、再起を目指してひたむきに頑張っていた。むかし上司だったころはお互いプライドが高く反りが合わなかった。しかし今、一人で懸命にうどんを作って姿を見て、まだ10歳も若い自分もまだまだ何かが出来ると思った。「新しいことを始めるのなら40まで」というが、実際には60になってもこうやってがんばっている人たちがいるのだ。
この店「川ひろ」は、今は京浜東北線の新杉田駅に移転している。

「ゲストハウス亀時間」に戻り、宿泊客同士で夜遅くまで飲み続けた。
翌日、大晦日は昼間は鎌倉市内をランニングしたり、昔の知り合いと飲んだりして、夜は近くのお寺に除夜の鐘を突きにいった。除夜の鐘を突くのは人生でも初めての経験だ。

古刹・光明寺にて

その後市内の神社に初詣に行き、2時過ぎに戻ってきた。これこそ「旅宿」の醍醐味だと思った。ただ泊まるだけの場所に非ず。宿主や宿泊者同士で交流を楽しむ。お仕着せのプログラムではなく、その時その時で楽しいことを追求する。旅宿での体験はプライスレス。翌朝は2022年の初日の出も見に行った。

材木座海岸で初日の出

「亀時間」のオーナーとは色々な話をした。世界中旅して回ったのだと。しかし、「旅の終着点は自分の宿」と考えて開業を決意したと語っていた。心から宿の経営を楽しんでいるのがわかった。筆者は旅が好きだし、これからも旅をしていきたいと思っていたので、自分の宿を持ってしまうともう旅に出れないということを心配していた。しかし実際に宿を営んでいる人のこの言葉は重かった。

旅から戻り、またしてもコロナの第8波がやってきて再びひきこもりの生活となった。運動不足が祟ってか、ぎっくり腰も発症してしまう。悶々としながら年末年始の出来事を思い返す日々。60を過ぎても頑張っている人は頑張っている、旅宿の楽しさ、そして「旅の終着点は自分の宿」・・・

いろいろあったが、自分がのめり込んでいた旅宿というジャンルはいつか人気を取り戻す、いや、黄金時代だった1970年代80年代以上の人気を集めることもできるのではないかと思った。

3月になり、愛知県で行われるトレイルランの大会のボランティア告知を見て行くことにした。収入は相変わらず心もと無いが、往復の交通費と宿は支給されるし、若干ながら日当も出る。
帰路、徳川家の一族の発祥の地である「松平郷」に寄った。

司馬遼太郎の歴史エッセイで知ってはいたが、江戸時代260年間の礎を築いた徳川家康の祖先は、このような山奥から出てきたのだと思うと歴史というものの長さを感じた。
昨年の大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康が大坂夏の陣で勝ち天下を取るまでの紆余曲折が描かれたが、徳川家康の祖先で松平郷に流れ着いた松平親氏公まで遡ると、家康より前の物語のほうがはるかに長い。成功の裏には長く重いストーリーがある。筆者は51歳になっていた。今何かを始めたとしても結果が出るのはまだまだ先の話なのだ。もう迷っている時間はない。

以前から漠然と夢見ていた旅宿の開業を今度は本気で考えた。来年は福井と東海北陸道を結ぶ中部縦貫道が九頭竜まで、そして池田町と岐阜県揖斐川町を結ぶ冠山峠道路が、そして再来年には北陸新幹線が開通する。もしやるとしたら今が最高で最後のチャンス。どうせこのまま今までと同じことをしていてもジリ貧なだけ。思えば今まで旅宿の開業という夢に踏み出せなかったのは、捨てられないものが多々あったからなのだ。今は新しいことを初めて失うものはほぼ無い。簡単に旅に出れない立場になってしまうが、「旅の終着点は自分の宿」なのだ。がんばっている先輩たちのことを思えば、51という年齢は忘れていい。
この福井県はゲストハウスがかなり少ない土地柄だが伸びしろはある、そして、福井県では間違いなく自分がいちばん旅宿に泊まっていて旅宿の魅力は知り尽くしているという自負があった。
先に書いた「荒島ポーク」で肉を焼いていた人が開業するというゲストハウスは、諸般の事情で開業できなくなったということを聞いていた。一からゲストハウスを立ち上げるのは大変なことだ。しかし、その宿を借りて管理人としてならできるかもしれない。そうやって田舎で宿をやることで、地方移住ファイナンシャル・プランナーとしての活動にもプラスになるかもしれない。
その17」で書いた、「大野空き家解決町衆の会」の代表なら宿のオーナーを知っているのかもしれない。人脈というのは忘れたころに役に立つものだ。2022年3月31日、代表に電話をかけた。
(続く)

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