台湾の中元 港町基隆に160年続く、あの世とつながる伝統行事
日本の中元といえば、お世話になっていないのに「いつもお世話になっています」と言いながら贈り物をする時期のことですね。
台湾の中元は、人間ではなくあの世の人に贈り物(お供えもの)をします。
同じ中元でも贈る相手が違います。
台湾の中元は旧暦7月の1か月間で、日本のお盆のようにあの世にいる人が戻ってくると言われています。そのため、台湾各地であの世の人を迎えるイベントが行われます。
台北から電車で約1時間のところにある港町基隆(キールン)は、盛大に中元のイベントをする街として知られています。
この街の「老大公廟」にある、あの世とつながる扉が開くと、中元が始まり、扉が閉まると中元が終わります。
毎年、扉が開くときと閉まるときはニュースで報道されるほど、基隆は台湾の中元のメインキャラクター的な存在になっています。
今回は基隆に160年以上続いている伝統行事、中元祭を紹介します。
あの世との入口「老大公廟」
下の写真は、あの世とつながる門がある老大公廟です。
赤い提灯がびっしり奉納されてされています。夜になるとライトアップされ幻想的な光景が広がります。
「老大公」と書かれた左側の扉が開いているのがわかりますか?
これがあの世とつながっている扉です。
この扉を開けると中元が始まり、閉じると終わります。
台湾の中元の開始と終了を告げる重要な役割を持った扉です。
中元祭は何をするの?
では、この扉が開くとどうなるのでしょうか?
街の人たちは、あの世からの訪問者に喜んでもらうため大忙しになります。
・旧暦7月12日 メインの祭壇がライトアップ
・旧暦7月13日 市内を山車がパレード
・旧暦7月14日 精霊流し
・旧暦7月15日 歩道や広場にお供え物が並べられ、今後の無事を祈る
などなど、いろいろなイベントが行われます。
中元のにぎやかさを紹介した動画があるので、ご覧ください。
基隆市文化局 2023癸卯鷄籠中元祭宣傳影片 長さ120秒
この中元祭の幹事は2022年は黄さん、2023年は郭さんのように、姓によって毎年交代で担当しています。
老大公廟の外壁には、幹事を担当する11組の姓が書かれています。
中元祭の由来
では、この伝統行事はどのようにして始まったのでしょうか。
清の時代に、中国大陸の福建省の漳州と泉州から基隆に移住する人が増えてきましたが、それぞれ宗教や習慣などが違うため争いが続いていました。
1853年に大きな武力衝突が起こり100名以上の死傷者がでました。
これ以上犠牲を増やさないようお互い話し合い、犠牲者を「老大公」に祭りました。
さきほど紹介した、あの世とつながる扉がある「老大公廟」のことです。
そして、出身地が違っても仲良くなるよう、地域別ではなく同じ姓の人たちでグループをつくり、犠牲者を供養するようになりました。
これが、基隆の中元祭のはじまりです。
街の中のお供え
街の中では、歩道に特設の祭壇をつくり、フルーツや缶詰、お菓子などお供え物がところ狭しと並べてあります。
写真は委託行ショッピングエリアのお供えの様子です。
歩道の真ん中に堂々とお供え物を並べてありますね。
人が通るとき迷惑にならないの?と思うかもしれませんが、この時期は、あの世の人が優先されます。
街のあちこちには提灯がつるされ、のぼりも立ち、お祭り気分を盛り上げています。
期間限定のお菓子
中元の時期限定で、さらに基隆以外では手に入らないという、期間・地域限定のお菓子があります。
白いのは「毛荷」、ピンクのものは「必桃」と言います。
どちらも日本の蒸しパンのようなものです。
一説によると、「毛荷」は蓮の葉の形、「必桃」は桃に似ているから、このように呼ばれています(中国語で蓮の葉は「荷葉」と言います)。
どちらも、あの世の人がこれを食べて早く地獄から抜け出してほしいと願う気持ちが込められているそうです。
特においしいとは思いませんが、中元にしか買えない貴重なものなので、この時期基隆に行く機会があれば、是非食べてみてください。
旧暦8月1日にあの世への扉が閉まると、1か月にわたる中元祭は終了し、基隆の街に日常が戻ります。
旧暦7月に台湾に来る機会がある方は、是非基隆まで足を延ばしてみてください。
普段とは違う街の姿を見ることができます。
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<参考にした資料>
・台湾交通部観光署 2023雞籠(基隆)中元祭 (日本語)
・雨都漫步 Keelung For A Walk
【中元不離普】台灣基隆中元祭盛事:探索完整雞籠中元祭!(中国語)
・Keelung Way 2021年夏号 基隆市文化局発行の小冊子(中国語)
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