自転車日本一周の旅12日目
朝七時ごろに目覚めた。フェリーの待合所には結局誰も現れず、しっかり眠ることができた。支度を済ませて外に出る。駐輪場にはフロントフォークが曲がった自転車が置いてある。
昨日まではあんなに健康だったのに、今はめちゃくちゃ右に曲がっている。
何か対策はないかとダメ元で調べてみると、「曲がったフロントフォークの直し方」というページがヒットした。めちゃくちゃニッチなホームページだな、と思いつつも、曲がったフロントフォークは自分の手で直せるらしい。
自転車のフロントフォークを引っ張るオジサンの画像があり、「ヒモかなにかで引っ張って直しましょう」という言葉が添えてあった。
ニッチなホームページに、なんとアナログな解決策……と思いながらも、藁にもすがる思いで、その方法を試してみることにした。
港の近くで、太いチェーンロックをフロントフォークに通して思い切り引っ張る。それを何度も何度も繰り返した。最初はハンドルを握ると右側を向いていたが、何度も続けるうちに向きが矯正され始め、ハンドルがまっすぐに向き始めた。
嬉しかったので港で「よっしゃあ!」と声を上げてしまった。待合所を見ると、お姉さんと目が合う。お姉さんは見てはいけないものを見たような表情を浮かべてすぐに目を逸らし、奥に入って行った。
たしかに、朝の10時過ぎ、港の近くで自転車を引っ張っている人間はかなり不審に映るだろう……しかもキコキコ漕いで「よっしゃあ!」と叫んでいるのである。
かといって「ち、違うんです!僕は今ですね!」と事情を説明しにいくのもおかしな話である。一生会わないことを願いつつも「フンギー!」と叫びながら自転車を引っ張り続けた。
13時になる頃には右に曲がったフロントフォークの向きがだいぶ真っ直ぐになった。
手放し運転をすると自然と自転車が右に曲がるから、多分まだ真っ直ぐではない。だが、ちゃんと走れそうなので、とりあえずはこれで行くことにした。
(ちなみにこの方法は荒療治です。素材によっては走行中にフォークがポキッと折れたりして大事故につながる可能性があるので、決して真似はしないでください)
満足した僕はフェリーの待合室に戻り、しばし爆睡した。本当に誰も来ないので居心地がめちゃくちゃいい。
15時30分に起きて函館駅に向かった。駅前で車の持ち主であるお兄さんと合流し、函館駅から少し離れたところにある板金工場に行った。
道中、お兄さんは僕に「事故のことは気にしないように」と何度も言ってくださった。
曰く、お兄さんは学生時代、親の新車を納品初日に廃車にしてしまった経験があるらしい。だから、僕の気持ちが痛いほどに共感できるのだという。
僕は加害者でお兄さんは被害者なのに、やたらめったらに慰めてもらった。大変申し訳ない話である。
(見えづらいが、すごく凹んでいる)
板金工場ではすぐに見積もり金額が出た。その金額は僕の旅の予算の半分のお金だった。一瞬の不注意を心の底から後悔した。
ひとまず親父に連絡する。そしてメタメタに怒鳴られながらも「なんとかするから任せなさい」と言われ、父が費用を負担してくれることになった……。ドラ息子……。申し訳なさすぎる。
無事に修理が決まり、お兄さんは数日間代車を使うことでこの件は解決することとなった。代車で、わざわざお兄さんに函館駅まで送ってもらう。
お兄さんは最後まで優しかった。
「本当に気にしないで。旅、がんばってね。事故のことはもうこれでおしまいで。じゃあね」
と言ってお兄さんは去っていった。何度謝っても足りないくらいだ。
その後、フェリーの待合所に戻り、父と母に電話で状況を報告した。2人とも安心したと同時に、実は黙ってたけど……、と母親があることを切り出した。
実は、僕が旅に出て以来、両親はお酒を断っているというのだ。僕になにかあったときにすぐに動けるように。
別にあんたにいうことじゃないけど、と母親は言ったが、僕はそのとき初めて「両親が見守ってくれてるから僕は自由に旅できてるんだな……」ということに気付かされた。
トラブルで精神的にどん底だったけど、落ちてはじめて「感謝」というものに気付かされることもあるのだ。恥ずかしいことだけど、本当に「感謝」という言葉しか出てこなかった。
現金な話かもしれないが、本当にこのとき親という存在の大きさを痛感した。親元を離れ、東京に出てからはこんなことばかりだ。帰ったら、新潟で買った日本酒で乾杯したいと思う。
そのあと僕はセブンイレブンで自転車保険に加入し(当時は任意だったのだ)、ラッキーピエロでまたチャイニーズチキンバーガーを買い、フェリーのターミナルで日本海を見ながら食べた。
フェリーのターミナルは今日も誰も現れなかった。
なので、こんな感じで寝ることにした。野宿を続けると、本当にどこでも寝れるようになってしまった。雨風を凌げるだけで一流ホテルである。F先輩がどこでも爆睡できる理由がわかる気がした。
自分の不注意で事故を起こしておいてなんだが、身体を休め、そして「もっと走りたい」というモチベーションを高めることができた。
そして今こんなにポジティブシンキングでいられるのは、優しくしてくださったお兄さんや、遠くで見守ってくれている両親や、応援してくれる友人たちのおかげである。
感謝を言葉や態度で表すのではなく、走り切ることで伝えようと思った。
だから、ただ今は前向いて走るのみである。明日からの旅も頑張っていこうと思う。
(さらなる困難が北海道で待っているということを、このときは知るよしもなかった)
生きます。