見出し画像

自転車日本一周の旅3日目

目をつむり、3時間ほどウトウトした。緊張しているのか、初日はほとんど寝られなかった。朝8時すぎに店を出る。外は晴れていたが、寝不足のせいか頭がやけにズキズキと痛む。そして体が火照っていた。

走り出してからカレーが食べたくなったので、国道8号線沿いにあるすき家でカレーを食べた。

食べ終えてからまた漕ぎ出したが、頭痛はどんどん強くなっていくばかりだった。何かがおかしい、と思っていると胃がギュッと締め付けられて、何かがこみ上げてきた。急いで自転車を止めて草むらに行き、すべてを吐き出す。

頭が痛い、ぼーっとする。この1日で何かが狂ってしまったらしい。視界が変に霞みだす。水を飲むも、水も吐いてしまった。ゴクゴク飲むとマーライオンみたいに口からシャーと水が出ていく。バヤシコライオンだ。

熱中症やら食中毒やらいろんな症状が頭に浮かんだが、立ち止まっても意味がないので、とりあえず気合で自転車を走らせた。

坂井市を越えて山道に入る。周囲は雑木林か田んぼしかない。体調がおかしいなかで自転車を漕いでいると逆にハイになってきた。なんかもう、どうにでもなれって感じがする。体調は悪いが、心は十分すぎるほどに健康だった。

石川県小松市の標識が目に入る。滋賀県を出発して二日で石川県に来た。石川に来るのは初めてのような気がするが、小さい頃に来たことがあるのだろうか?Google マップで今いる地点を見て、滋賀県からここまで自転車で来れたことにテンションが上がった。

小松市を走っていると海水浴場の看板がチラホラ目に入るようになる。福井県では海を見下ろすことしかできなかったので、少しだけ立ち寄って日本海を見た。海はやはり広い。潮風を浴び、深呼吸すると少し気分がマシになった。夏休みということもあって海水浴に来ている人は多い。僕も泳ぎたかったが、水着がないので全裸で泳ぐしかなってしまう。それはポリス的にまずいので、先に進むことにした。

しばらく国道を走ったが景色が変わらないので、気分で小さい通りに入ってみる。するとそこは古民家ばかりの地域だった。とても静かな場所だったが、今もその家々で人は暮らしているらしい。時おり、家の中や門の奥から笑い声やテレビの音が聞こえてきた。家々のすぐ近くには小川が流れていて、とても綺麗だった。美しい街の中をゆっくりと走る。

1時間ほど経ったころ、地元発祥のスーパーであるアルプラザのマークを発見して、テンションがぶちあがる(昨日安曇川で立ち寄ったフレンドの、業態が違う店だ)。

まさか、石川県にも平和堂があったなんて!とちょっと感動してしまい、立ち寄ってスポーツドリンクを購入。スポドリを飲みながらアルプラの中を一周して「ふむふむ。このアルプラも同じような店の構成だな」と思いながら出てきた。なにやってんだ、おれ。

冷房にあたったおかげで頭痛が少しマシになったような気がした。ちょうど昼時、ここでスタミナをつけて完全に元気になろうと思い、石川県のB級グルメを調べる。金沢はオムライスが美味しいらしい。

現在地から金沢まで約30キロ。1時間半あれば余裕で到着できる距離だ。

金沢でオムライスを食べましょう、と思いスタートしたのだが、少し走るとお腹が空いてきた。8番らーめんという店を何度か見かけたが、なぜか入る気にならなかったのでスルー。そのまま、トラックが多く止まっている国道沿いの定食屋に入った。トラックの運ちゃんや、タクシーの運ちゃんに愛される店はいい店なのだ。

そこで唐揚げ定食を頼んだのだが、運ばれてきたサラダを見てびっくりした。色とりどりの野菜たちの中央に、Gの死体が転がっていたのである。

僕は店員さんに言うか迷った。だが、「Gが入っているんですけど」なんて使い古されたクレーム過ぎて、信じてもらえる自信がなかった。いや、これはクレームじゃなくて事実なのだが、事実だと信じてもらえるかもわからない。

野菜を食べたい。しかし、周囲をみるとガタイのいい運ちゃんばかりに囲まれてもいる。「Gが…」なんて言おうものなら、「オラァ!」と顔面にパンチされてしまいそうだ。

少し悩んだ結果、やっぱり野菜を食べたかったので、勇気を出して柴田理恵に似た店員さんに「あの…」と言ってみた。

すると柴田理恵は僕が言うまえに皿の中のGに気がついたらしい。「わあっ!!!」と店内の全員が振り返るくらい大声で驚いていた。金髪坊主の兄ちゃんと目があった。恥ずかしかった。なにも悪いことをしていないのに、すごく罪悪感に苛まれた。

結局すぐに新しいサラダに交換してくれて、そのうえ柴田理恵は「これおまけ。ごめんね」と、こっそりハムカツをくれた。

柴田理恵、ありがたい(kohh風に)!

感謝しながら店をでた。




金沢市に入ったが特に金沢らしいことはせず、富山県にいくために峠に入った。峠の直前、また気分が悪くなって胃の中のものをすべて吐く。

頭痛は少しマシになったが、それでもジンジンと痛む。脳の真ん中に痛みが移動した感じがした。だけど気持ちは前に進むことしか考えていないので、とにかく自転車を漕いだ。爆乳のお姉さんが胸をゆっさゆっさ揺らしながら歩いていた。僕の体の中にあるニトロが爆発し、見違えるほどスピードアップした。

だが、峠の前では爆乳パワーは無力だった。進んでも進んでも終わりが見えない。そのうえ「峠=山」なので、周囲の景色はまったく変わらないのだ。終点はおろか、現在地すらわからない。かなり孤独だった。暑い。しんどい。おうちに帰りたい。引き返そうか?

漕ぎ疲れて自転車をゆっくり押しながら歩いていると、テッペンにたどり着いた。下り坂が目に入った瞬間、速攻で前言撤回した。

「ヒャッハー!」と叫びながら長い長い下り坂を降りていく。達成感が半端じゃない。体に当たる風は自然のドライヤーだ。涼しく、本当に気持ちいい。汗で濡れた服がかなり乾いた。F先輩が峠の走破にハマる理由が少しだけ理解できる気がする。僕はやりたくないけど。




夕方、富山県小矢部市に入った。田んぼ道を走っていると、僕が面接で落ちた繊維商社の工場を見かけた。説明会でキレイゴトを語っていた役員に、面接でボロカスに怒られた会社だ。

「大学生活で一番思い入れのあるものを持ってきて」と言われたので、学生寮の騎馬戦の際に身につけていたサラシを持って行ったら「学生の本分は勉強だ!」と怒られたのだ。「私は食べられるゴミを開発したい」とか言っていた人と同一人物とは思えなかった。

住宅街に入った。家の前で素振りをしている少年や、買い物袋をぶら下げて家に入っていく主婦、ピアノを演奏する音などが聞こえる。その光景を目の当たりにして、少し不思議な気持ちになった。

僕が生きる円の外でも人々が生活をしていて、その人たちと僕は知り合うことなく生きて、すれ違うことなく死んでいくのだ。今見た野球少年や主婦と一生会わないと思うと、あのピアノの音色をもう耳にすることがないと思うと、不思議な気持ちになった。

本当は雨晴キャンプ場にいくはずだったが、なにも考えず国道8号線を走っていると高岡市に入っていた。

夕暮れどきということもあってか、国道はやけに混雑している。富山県に来たのは人生で初めてだが、国道沿いは福井県や石川県よりも栄えているように思えた。店と店の感覚が狭いように感じられたのだ。勘違いだったらスマソ。

雨晴キャンプ場は「名前がいいから」という理由で泊まることにしていたのだが、高岡市を左に進まないといけないのに僕は右に進んでしまったらしい。逆方向に進んでいるとは気づかず、そのまま射水市に入ってしまった。

コンビニで休憩しているときに地図を見て「あ、おれ全然違う場所におる」と気づいたが、もうあたりは真っ暗になっていた。夜道は危険だし、あまり走りたくなかったので諦めた。

近くに道の駅がないか探す。するとすぐ近くに「道の駅 カモンパーク新湊」を発見。今日の宿はそこに決定だ。

晩ご飯に富山ブラックでも食べようかと思ったが、食欲がまったくわかないのでやめた。道の駅に到着してからレストランで何か食べようかと思ったが、結局ソフトクリームを食べて終わりにしてしまった。

今思うと、福井市で手羽先を食べて以来、ちゃんと固形物を消化していない。

頭痛はひどく、体調は相変わらず悪いのだが、アドレナリンがどうやら放出されっぱなしらしい。どこかでこの状態をストップさせないと、体がぶっ壊れる気がする。だけど、どうすればいいのかわからない。

道の駅のスタッフらしきおじさんがいたので「野宿してもいいですか?」と訊くと、駐車場以外なら好きな場所でテントを張っていいし、なんなら施設の中で寝てもいいという。

その道の駅は中に憩いの場のようなものがあり、地域の資料が置いてあるスペースが24時間開放されていたのだ。

「コンセント使って携帯を充電してもいいからね〜。頑張ってね〜」といっておじさんは去っていった。うう……おじさん、やさしい……ありがとう……。

旅に出る前にF先輩から「道の駅はまじでホテルだよ」と聞かされていたが、中に入ってみるとまじでホテルである。

画像1

(↑三つ星ホテルの写真)

僕はいまだにテントの張り方をわかっていないので、憩いの場の隅にマットレスを敷き、そこを寝床にした。2日間お風呂に入っていなかったが、あまりにも疲れていたので入る気になれなかった。寝る前に、一服するべく喫煙所に行った。




ベンチに座ってタバコを吸っていると、女の人が来た。憩いの場に置かれた荷物を見たのか、それとも僕の風貌を見て判断したのか「旅してるんですか?」と訊かれた。

顔を見ると色の白い、美人な人だったのでビックリした。だが、昨日僕は幽霊らしきものに振り回されたばかりである。

少し警戒したが、反復横跳びをしなかったので安心し、いろいろ話をした。

その人はミホさんと名乗った。ミホさんは地元に住んでいて、子供が寝静まると、ここでタバコを吸ってボーッとしてから帰るのだという。

ここまでの道中の話をすると「いいな〜、私も自由に旅してみたいな〜」とミホさんは言っていた。確かに自転車旅は楽しいが、しんどいことの方が多いような気がする。30分ほどミホさんと話をして解散した。

寝ようと思い、歯磨きセットを取りに憩いの場に戻ると、オレンジ色のチリチリの髪の毛をした白人男性がいた。

その男性はメガネをかけていて、自転車競技で着るような上下ピチピチのウェアを着ていた。木の長椅子に腰を下ろし、口を開けて頭上に置かれたテレビに見入っている。

テレビでは富山県の歴史映像が延々と流されていて、それは数分おきにループ再生されるものだった。ハミガキを終えても、その男性はテレビに集中していた。さっきと同じシーンが流れている。

「飽きないのかな?」と不思議に思ったが、5、6回目あたりが終わったところで小声で「Great」と言うのが聞こえた。

男性はそれから僕に気づき、「あっ、あなたタビビトですか?」とそこそこ上手な日本語で話しかけてきた。彼の名前はケイジャンという。オーストラリア出身で、ずっとオーストラリアで仕事をしていたが、旅行で訪れた日本に魅せられて仕事を退職。3年前に埼玉県の秩父に家を買い、時間があれば日本中を旅して回っているという。

ケイジャンとも30分近く話をした。琵琶湖の話をすると、いく予定がなかったが行くことにするという。

夜の9時を過ぎていたが、ケイジャンは雨晴キャンプ場で野宿するから、と言って去っていった。




寝転がっていると誰かがまた憩いの場に入ってきた。ケイジャンか?と思って見上げると、背の低い、肌の浅黒いおじさんが椅子に腰を下ろした。

やけに目をぎょろつかせ、ニヤニヤ笑いながら辺りを見ている。異常に落ち着きがない。薄汚れている。明かにやべえジジイだった。

やべえジジイは僕に話しかけてきた。

そして旅をしているというと、「コンビニでオニギリでももらってきてやろうか?」と言った。ジジイ曰く「コンビニに知り合いがいる」という。

嘘おっしゃい!あーた、それ、賞味期限切れた弁当もらうんでしょう、とデヴィ夫人ばりにツッコミを入れたくなったが「あはは、大丈夫です」と言った。

やべえ奴と話すときは、そいつを拒絶してはいけない。だけど距離をつめてもいけない。ほどよい距離感を保ちながら曖昧な回答を続けて、やべえ奴が興味を失うのをじっと待つのだ。

僕の作戦はうまくいき、やべえジジイは少しすると去って行った。安心すると、急激な眠気が僕を襲った。

時計はもう夜の11時になろうとしている。僕はマットレスの上に寝袋を置き、寝転がった。地面の固さが少しだけ和らいだ。枕がないので、2リットルの水が入ったペットボトルを枕にする。固いが、頭が上にあったほうがやっぱり眠りやすい。

少しウトウトしたかと思うと、気づいたときには僕は爆睡していた。憩いの場は明るいし、テレビも流れていたが、なんだかすべてが心地よく感じられたのだ。

今日は136キロ走った。明日も同じくらい走る予定だ。

生きます。