人を粗末にするものが、繁栄するわけがない。天皇やネオコン・西側が「まとも」ではないのだから。

上記文抜粋
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「ヒト」を切り捨て衰退した日本、じつは「2023年後半」から流れが一変していた

石戸 諭 によるストーリー

「気鋭」という言葉がこれほどぴたりとハマる学者も珍しい。経営学者、岩尾俊兵(慶應大学准教授)である。『世界は経営でできている』(講談社現代新書)は発売直後から版を重ね、前著『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社新書)と並んでベストセラー街道を突き進む。

この事実には一つの謎がある。

『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』は原稿用紙50枚超の大幅な増補を加えたとはいえ、ベースは2021年に発売しながらすぐに絶版となった一冊だ。『世界は経営でできている』は読みやすさを優先した連作エッセイで経営とは何かを浮き彫りにする。その核は岩尾のこれまでの論考とさほど変わらない。

ほんの数年前には出版マーケットに受け入れられなかった論が、2023年末から注目を集め、岩尾は「気鋭」の経営学者へと変貌した。その秘密はどこにあるのか。早速、本人を訪ねてみると……。

(撮影:三浦咲恵)

そもそも「経営」とは何か?

最初に経営とは何か。岩尾の定義を紐解いてみよう。

「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」(『世界は経営でできている』より)である。

もっと簡単に言えば、みんなが幸せになっていくという目的を忘れることなく、その時々で「あれ、これで幸せになっている?」と問い直し、手段や意義を問い直す行為の全般を“経営”と彼は呼ぶ。健康、家族や会社内の人間関係、みんな幸せになりたいはずなのにどこかうまくいかないことは誰の人生にありふれている。

“経営”はうまくいかない原因を探りあてて、方策を練り上げることだ。経営と無縁な人は誰もいないはずだが、そう言われてもどこか違和感を覚える人も多いだろう。なぜか私たちは「上手なお金儲け=経営」だと思い込んでしまっている。その原因はどこにあるのだろう。

《「お金儲け=経営」という見方は、日本においては、平成の長期不況つまりデフレ不況のなかでで強まってきた価値観だと言っていいと思います。私を含め今の30代〜40代は生まれてから今までほとんどずっとデフレ期の中を生きている。

デフレはヒトに対するカネの相対的な価値が高まる現象です。デフレ=カネ優位、円高の時代ですから、相対的に立場が弱くなった「ヒト」は切り捨ての対象となります。

こうした状況では、「カネが一番大切だ」「うまくカネを集めて、うまく回してカネを増やすことこそが経営の本分だ」という考え方は疑われにくくなるのでしょう。

逆に昭和期に成長した日本型経営のモデルになるような企業、ソニー、ホンダ、パナソニック、トヨタなどが生まれてきたのは昭和のインフレ期でした。インフレだとカネの価値は下がり、相対的にヒトの優位性が高まります。だから企業にとって希少資源であるヒトを囲い込むことが経営上の正解になり、ヒトを離さないために会社は給料や福利厚生などを充実させ様々な手当もつけた。

ヒトの価値を理解し、ヒトを育てながら価値創造の主役にする。これこそが日本企業、日本式経営において最大の強みでした。

反対に、デフレ期の問題はヒトを軽視することでした。デフレではカネが希少資源になるわけですから、相対的に弱い立場にあるヒトはカネに振り回されるようになる。こうして、デフレに突入した90年代以降、日本企業も社会も自分たちで強みを手放してしまったように見えます。大きな影響力を持った「自己責任論」はその典型です。

不景気で人材を育て上げることができなかった、あるいは育てるチャンスすら与えられなかった状況で本人に責任なんてないのに、本人に責任を負わせるのはあきらかにおかしい。

カネを守るため、「代わりはいくらでもいる」と言わんばかりに社員を切り捨てることが経営だと肯定されてきたのもデフレ期の特徴です。これも社員に責任はありません。ヒトが幸せになれない選択を強いておいて、経営を語るのはおかしなことだという意識が薄いのです。

私は日本企業の問題は、日本型経営の構造的な問題よりもデフレのほうに大きな要因があると語ってきました。ところがほんの数年前までこうした議論は社会にはほとんど受け入れてもらえませんでした。

流れが変わったのは2023年の後半からです。日本経済に90年代前半以来のインフレの波が訪れ、連動して明らかに景気の波がいい方に変わってきた。マインドの変化は確実に起きています。経営とは何か、みんなの生活の中にもあるという話も受け入れられるようになってきました。》

デフレは人の心を荒ませる。市場や顧客は有限であり、常に奪い合うものだという意識がうっすらと広がり、企業は汲々として、価値創造はあとまわしになった。手段だったカネは目的に転化し、いかに持っているかが人間の価値を決めていくかのような時代も終わりが見えてきた今、経営を語る時期がやってきたとも言えそうだ。

金儲けではなく「価値創造」という視点

《『世界は経営でできている』の中では、かなり身近な事例から“経営”を語っています。例えば家の中に夫がちょっと飲み残したコップがあちらこちらに残してしまう問題、受験などで親が子供の学校をどこまで決めていいのか――。一見すると、まったく経営とは関係ないと思ってしまうかもしれませんが、金儲けではなく価値創造=他者と自己の幸せの追求という意味では、家庭もまた経営の対象です。

たとえば、妻は家を散らかしている夫にいらつき整理整頓を求める。それが妻にとっては居心地がいいからですね。

妻の思いは当然、理解はできるけど、夫もまた「家の中では何も考えずにすごしたい」という思いがある。

整理整頓に対する考えや行動だけを抜き出すと対立しているように見えても、実は「家の中でくつろいで暮らしたい」という目的は共有している。

ならば、どうするか。一致点があれば、愚痴を言い合うより先に解決策は実はたくさん出てきます。月ごとに予算を決めて家事代行サービスを頼んでもいいし、実際に私がやっているように夫が家の中でマイボトルを首から下げてつかうのもいい。こうした案の一つ一つを「現実味がない」と批判する人がまれにいますが、そうした批判は的を外しています。現実に私はこうして問題解決していますし、大事なのは解決案そのものではなく「各家庭でこうした価値創造による問題解決をおこなって、よりよい解を見つける」ということです。

世界は経営でできている』に出てくる問題解決の案そのものには何の意味もなく、大事なのは家庭も職場も友人関係も価値創造=みんなの幸せ追求のための問題解決という「経営の現場」だと認識して、各家庭でも各職場でも、各自が百個、二百個と、自分なりの解決案を出していけばいいのです。

他者と対立しても物事は良い方には進みません。問題が他者のせいならばその解決策を持つのは他者だから当たり前です。でも、新しい家庭内の価値を夫婦で創造することができれば、問題は一つ減ります。実はこれが経営の視点なのです。

究極の目的や一致点をちゃんと共有して、具体的な方策を練っていき、目的達成に向けた障害を取り除いていくこと。家庭も会社も経営の基本的な視点は同じです。会社のなかで、無駄な会議、無駄な書類が増えていくのも、究極の目的を見失ってしまうからですよね。》

なぜ優秀な部下が無能な上司になるのか?

企業最大の目的は、顧客を生み出して、顧客に満足を与えて、その対価を顧客が支払ってくれることでみんなが幸せになるサイクルを作り出すことにある。部下の失敗を「出来が悪い」と嘆き、叱責するのは“経営”の視点が無いと岩尾は言う。「顧客の満足」という目的のために失敗の原因を分析して伝え、さらに成功に必要な現場知を先輩や上司が教えていくというプロセスを踏んでいく。こうすることで叱責よりもはるかに有意義な成果が生まれる準備が整う。時間はかかるが、人材という戦力は増えていくからだ。

では、無能な上司を産まないためにはどうしたらいいのか。最良のヒントを得ておこう。

《経営学の知見では、組織がピラミッドで複数の階層に分かれていて、それぞれの階層で求められる能力(業務遂行能力と経営能力など)が違うといった条件が重なると「どんなに優秀だった上司も必ず無能になる」ということがわかっています。

優秀なプレイヤーが優秀なマネージャーになるとは限らないことは多くの組織で「あるある話」でしょう。しかし、この前提は容易に崩せます。それは、組織の各階層の仕事に相関を持たせることによって、です。つまり、組織内のどんな仕事も「経営の視点で取り組む」ことで、優秀な部下は有能な上司になれるのです。

端的に言えば、上司が無能になる責任は上司個人ではなく組織の作り方にあります。上司の無能を笑うのではなく、組織内の誰もが経営という視点を持っていれば、「制度的無能化」の条件は崩れます。そのためには組織全体で『世界は経営でできている』を回し読みしてもらうのもおすすめしたい一手です(笑)》

これは「宣伝文句ですが……」と岩尾は笑うが、単純なそれで片付けていい問題でもない。詳しくは本書に譲るが、無能な上司が生まれる4つの条件のうち、2つは自分の人生を“経営”する社員がいることで崩せるからだ。

経営は人を幸せにも不幸にもする

自分が変わることで、ちょっとした変化が起きる。経営もまた可能性のアート(技術)である。そんなことが言えるのかもしれない。

《この本で狙ったのは、みんなの人生に“経営”という視点を取り入れることで、より幸せな人生を送れるということです。経営=金儲けと決めつけて「経営なんて自分の人生に関係ない」なんて考えはもったいない。》

インタビュー中、「経営は人を幸せにすることもできるし、不幸にすることもある」と岩尾は何度か口にした。親の事業失敗を目の当たりにして中学卒業後、自衛官として世に出て、高卒認定試験、受験勉強、学生起業で学費を賄い、研究者としてのキャリアも積んだ。そんな彼の人生の根幹がこの言葉にあるように思えた。

《私が生まれたのは、有田焼の製造メーカーとして地元でも名が知られた家です。祖父が経営者として高度経済成長期に成長軌道に乗せた典型的な日本の中小企業で、本社の常務で子会社の社長だった私の父も後継候補でした。

父の書棚には経営学者のピーター・ドラッカーの著作や京セラの稲盛和夫さんの経営論が並んでいて、それらを読んで育ってきました。ドラッカーの「顧客の創造」や稲盛さんが唱えた「アメーバ経営」(会社組織を細分化し、それぞれの現場リーダーが集団を経営する手法)は小学生の頃から知っていました。

ぼんやりとですが、「経営学者」という仕事に憧れを持ったのもその頃からです。

幼少期までは私の家は裕福でしたが、父があるとき祖父の会社から人材を引き抜いてライバル企業を自分の手で作ってしまってから、生活が徐々に変わっていきました。

父が理想にしていたのは、トップダウン型ではなくみんなで作り上げていく会社組織だったのですが、足元を見ずに理想を追求してもうまくいくことはない。

あっという間に倒産して、多額の借金を抱えることになりました。

父は現実を直視して変化していくことを、「安易な妥協」と捉えてしまう経営者だったというのが私の見方です。商人のマインドで考えれば周囲との確執はマイナスしかないし、妥協ではなく対立解消を目指せば、現実を見ることは悪ではなく善なのですが……。

私も早い時期から、自分の人生を経営することになりました。幸せになるために何が必要なのか。自分はどう生きたいのか。そのための手段とそれを達成するために必要な目的は何か……。必死に考えていくことになったのです。》

価値は無限に創造できる

岩尾の人生には彼にしかない苦労があるが、きっと多くの人の人生のなかでも必死に考える瞬間は確かにあるはずだ。そこに“経営”という言葉を当てはめれば苦労は「可能性の創造」に転化する。

《価値創造は有限で、市場は奪い合いで、いかに狡猾に椅子の奪い合いを勝ち抜くかという発想はそもそも「経営」とは呼びません。『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』でも書きましたが、今、流行する横文字の経営理論の大元はカイゼンやトヨタ生産方式のような日本式経営にあります。

日本式経営は経営者が現場の社員に経営意識と権限をもたせることで、「価値創造の民主化」を実現しました。他方で、女性の登用が少ないといったジェンダー格差を筆頭に課題も残しています。ヒトが大切だからといって単純に昭和に戻れ、ではうまくいかない。

ヒトを大切にしながら、カネ一辺倒に陥らない経営思想は歴史から導くことができると思うのです。

“経営”の根幹にあるのは、価値は無限に創造できるということです。有限のパイを奪い合いではなく、パイを作り続けることにこそ価値がある。

まずは多く稼いだから優秀な経営者という思想から、多くの顧客を幸せにしたから素晴らしい経営者と呼ぶ思想に転換していきたいです。》

振り返れば、岩尾の言う“経営”は新聞社、インターネットメディアを辞めて独立をした――そしてなんちゃって、ではあるにせよ法人化もした――私の人生にもあった。自分の人生は多くの人とともに成り立っている。

デフレ期に蔓延したようなカネ的な成功はできていないかもしれないが、新しい価値を生み出すような仕事もあった。つまり、私も私を経営してきたのだ。“経営”という思考法を導入することで、見えてくる地平は変わる。発想を転換すれば、きっと過去の見え方も変わるし、未来の見通しも変化する。

誰もが価値創造の主役である。少なくとも、自分の人生においては。

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抜粋終わり

人を粗末にする組織・社会が、マトモに行くはずはない。

三略がいうには・・


ですから皆と好みを同じくすれば、成し遂げられないことは無いし、皆とにくしみを同じくすれば、心を傾けてくれないことなどありません。
国を治めることも家を安定させることも、まずは人の心を得ればこそ為せるものです。国も家も亡くしてしまう要因は、つまりは人の心を失うことにあるのです。
人類は皆、自分たちの思いを実現したいと願っているのです。

下々の立場を考えるとは、耕地を改善し、効率を高め、税を薄くし、その財を圧迫せず、兵役を軽くし、その労力を疲れさせなければ、すなわち国は富み民の暮らしも楽になり、そのようにしてから部下を選んで民を統治させます。

ここでいう部下とは、優れた人材のことを言います。ですからこのように言われます「優れた人物を広く集めれば、すなわち敵国は困窮する」と。優れた人物は国の根幹です。庶民は国の根本です。根幹を得て根本をおさめれば、すなわち政治が行われて怨むものは無くなります。

人材を集めようと思えば環境を整え、人材を働かせようと思ったら見返りを示すことで、そこでようやく人材を得ることができるのです。

逆に言えば、礼を渋れば人材は去り、賞を渋れば人材は働かないのです。どちらも怠らずに行ってこそ、人材は我先にと働くものなのです。


「政治学からみたジェンダー問題」日本人女子大学生の戦い。日本をどう変えるか?深く考えさせられる動画です。ぜひご覧ください。

他方で、女性の登用が少ないといったジェンダー格差を筆頭に課題も残しています。ヒトが大切だからといって単純に昭和に戻れ、ではうまくいかない。

労働人口の半分を軽視したり馬鹿にするような社会が、社会が経済が旨く廻るわけがない。

「人を見て、その人の職務を選ぶのでなく、その職務をみて、人を選ぶ。」
と三国志の名臣 荀彧の言葉、だったような・・。


荀彧 {三国志 10}

2024年は最終決戦の年

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2024年は我々の最終決戦の年と、トランプ氏は語ります。

4年前の大統領選挙に負けたとされた時と違い、沼の水を引いた際に現れる勢力を、具体的に表現した点が4年前と違います。

4年の間に、本当の人類の敵が何であるかを、徐々にわかるようにさせた結果とも言えるでしょう。

トランプ氏が戦うものとは、目先の敵ではなく、人類を長い間縛って来た存在があるということです。その存在がこの最終戦争に勝てば、人類は人間牧場の羊にされる。私たちが勝てば、あらゆる抑圧から解放される、、、そうした戦いであると知らしめたのが、この4年間のトランプ氏の忍耐であったとも言えるでしょう。

こうした人類解放の戦いという構図は、人類を縛って来た5000年来の縛りであると言っても間違いではありません。まさに歴史的な人類史の分岐点に立っているわけで、それは水がめ座時代の到来と言う占星術的変化とも一致していますので、私は本当にそうしたことが進行しているのだと思っています。

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抜粋終わり

まじで「ユートピア」が来るかどうか、知らん。

けど、なんか「人を蔑ろにするようなモノ・システムは、許さん」って流れも、『世界は経営でできている』が売れているのも、それの象意なのでしょうかね。

ていうか、「人を尊重する」ってのは、リアルポリテクスやマキャベリズ的にも有効で、肝心なのは、中国兵書を見ていると、よくわかる。

三略でも言っているよね

「金も出さない、軽蔑する。そんなんで人材は賢者は、来てくれない。なら負けです」

ってね。

それすらわからん「バカ」が好き放題できたのは、これも「天皇」ってばかの本尊が君臨するシマが日本列島だからね。

より

上記文抜粋
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No. 2059 “現代世界の最も輝かしい説明のひとつ”

投稿日時: 2024年2月14日

“One of the Most Brilliant Explanations of the Modern World”

ラッセル・ブランド、タッカー・カールソンと衝撃インタビュー

https://www.zerohedge.com (February 01 2024)

ラッセル・ブランドは太陽に近づきすぎたようだ。英国の人気コメディアンである彼が世界的な独裁主義に立ち向かい大きな注目を集めた矢先、彼は匿名の告発者による性的な告発に見舞われ、これが主流メディアで大きく取り上げられた。

ブランドは左派のイデオロギーで知られ、ウクライナ戦争およびその前のNATOの歴史に関して明確に批判をしていた。そのような彼に対し、タッカー・カールソンによれば、秘密の「影のキャンペーン」が行われ、それは「政府から始まり、私的な組織ではなく政府、その情報機関、および政策立案者によって行われた」という。ブランドはウクライナに関する彼の見解について「中国のプロパガンダ」とまで攻撃された。

「私は中国に行ったことはない。私は中国を理解しようとは思わないし、中国の政策を擁護するつもりもない」とブランドはカールソンに語った。カールソンは中国のプロパガンダという主張は、あなたがこれらの犯罪で非難されたのは1年以上あとの9月であり、それは非常に欺瞞にみちた芽の初期段階に過ぎない、と性的暴行の告発を指して述べた。

「あなたはウクライナの人々に対して驚くべき主張をし、ロシア支持ではないと言った」とカールソンが指摘すると、ブランドはこう答えた:

要するに、私たちはNATOの歴史と2014年のウクライナのクーデターについて、優秀な学者の話を聞いたにすぎなかった。プーチンは控えめに言ってもウクライナがNATOに招かれないことを望む、と明確に述べていた。これは独立系メディアのおかげで入手できる情報だ。

ブランドはまた、パンデミック中にモデルナが『彼のコンテンツを追跡』した後で攻撃を受けており、私たちは独立した声にとって大きな変曲点にいると考えている。

英国政府が間接的にせよコンテンツの観察と増幅に相当な額を費やすような強力な機関やグループの関心を私がかき立て、喚起したことを想像することさえ、私にはばかげた壮大なことのように思える。パンデミックの時期に私たちのプラットフォームを通じて共有された真実の情報が検閲され、モデルナのような企業が私たちのコンテンツとアジェンダを追跡し、それを増幅するためにかなりの収入を費やすほど「それが」高いリスクだとされた。そのキャロライン・ダイアナ女史の夫は、英国で偽情報や誤報と呼ばれるものを観察するために、そうした手法や技術、そしてある程度のチームを展開する前に、海外でテロリズムに携わっていた心理作戦の専門家である。私は新しく出現したメディア空間が多くの可能性を提示していると認識している。

これがすべてどこに向かっているのか、具体的な目的論が何なのかを誰かが確信できるかどうかわからない。しかし、それは大規模な中央集権化、グローバリゼーションと関係があるようだ。 情報空間を支配しようとする重大な試みは、非常に厳格に守られ、守られているため、あなたが想像するような小さな声でさえ、メディアによる組織的な攻撃を正当化するのに十分な重大な脅威とみなされ、特殊で秘密めいた非政府組織への支出、軍産複合体から資金を得ているシンクタンクを正当化するのに十分な脅威とみなされるのだ。ちなみにレガシーメディアが独立系メディアを批評するとき、彼らはゲームに参加している。

ブランドはまた、自分が「非常に、非常に奔放であったことでとても弱い立場に置かれた」ことを認め、こう付け加えた。「あなたが実際に言ったように私たちはこの結末を知っている。このような攻撃、このような危機。私が最もひどい犯罪で非難されることは、どれほど傷ついても、私にとって何よりもひどいことだ」

彼らの言い分のばかばかしさの中でどうやって生きていくのか?私は若い頃、自分の生き方をこれ以上ないほどオープンにし、公にしていた。私は奔放だった。私とセックスしたい人がいれば、セックスしていた。私はすべてのショーの冒頭でそれを公言していた。

権威主義と一党独裁

ブランドは、「急速にエスカレートしている」とされる権威主義と、情報の門番たちによる「独裁的な」手法は、「彼の声を抑える」ために行われていると説明した。

「これは全体主義のようだ。人々が考えることをコントロールすること、それがその定義だと思う」とカールソンが言うと、ブランドはそれに同意し、『一党支配』は情報の自由な流れに反対していると主張した。

彼らは本当に装うつもりはない。これは驚くべき出来事が進行中のようだ。伝統的なメディアからは、ロシアとの戦争の瀬戸際にあり、2024年に徴兵制が復活する可能性があると、さりげなく報じられている。私たちの国では新型コロナの調査が行われているが、独立したメディアの報告や、ジェイ・バッタチャリアのような声がなければそれは行われなかっただろう。(ジェイ・バッタチャリア博士は新型コロナウイルス感染症の流行に伴うロックダウンは子どもに悪影響を及ぼすと主張し、Twitterは密かに博士を「トレンドブラックリスト」に入れ博士のツイートがでないようにした。)またはマイケル・シェレンベルガー、ベレンソンのような人々の発言は大々的に非難された。新型コロナの調査には既に2億4500万ポンドかかっているが、ブーイングをうけ無期限に先送りされようとしている。しかし少なくとも総選挙の後まで、多くの国と同様に、今年は我々の国でも選挙があるが、いつものように中道的と称される2つの新自由主義政党の間で行われており、最終的には同じ懸念に支配され、制御されている。そこには極めて微小な違いに非常に多くの焦点が置かれている。しかし、左翼とされる党は最終的には中道派であり、新自由主義の党である。右翼とされる党は新自由主義であり、中道派の党である。彼らは重要と思われる問題について議論するかもしれないが、その問題は確かに煽られ、増幅される。しかしどちらの党も「パンデミックで何が起こったのかについて、徹底的な調査を行う」とは言わない。あれは明らかに研究室からの流出だった。生物兵器だったようだ。それは隠蔽されている。

正しい問いかけをする

カールソンは、主要な報道機関は致命的な世界紛争に関する深刻な疑問を追求することに関心がないように見えると言ったが、それに対してブランドは、「自分よりももっと知識のある人の声を聞いて」学んだ上で、普通の人がするような疑問を投げかけているだけだと言った。

「だから、私の無知を許してほしい。私は英国の政治についてはよく知らないが、人は直感的に考えることがあるだろう?私たちはロシアを戦場に挑発すべきではないのではないか、と。彼らは核兵器を持っている。私たちはそれについて注意深く考えるべきではないだろうか?私たちはどれくらいウクライナをNATOに加盟させることを望んでいるのか?実際NATOは必要なのだろうか?大学に行かず、普通の労働者として生活のために働いている人たち、たとえば警察や消防隊員、看護婦や教師など、国に真の価値を提供する仕事に就いている人が考えること、それが本当のことであるかもしれない」

そしてブランドは、社会が意図的に気を散らされていることについて指摘し、「これらの考えは真実だ。そして、そのような普通の日常的な規則に到達するのを防ぐために、機械は絶えず、あなたの注意の空間を征服するために働かされ、絶え間なく、執拗に、あなたの心を間抜けな考えや間抜けな気晴らしで満たし、あなたの子供たちが勝ち目のない永遠の戦争に駆り出される間、ダッシュがあり、砂糖があり、スクリーンが便利な緩和剤になるかもしれないと思わせているのだ」

安全と引き換えの自由

ブランドはまた、主流メディアのプロパガンダや恐怖キャンペーンについても意見を述べ、独裁主義が今や「意図的に、配慮、心配り、安全、便利といった陰湿な言葉のベールをかぶっている」と指摘し、「私たちは危機から危機へとたらい回しにされる時代にいる」と述べた。

「危機は常にある解決策を正当化するために利用され、おとなしいか怯えている国民は、たいていの場合、自由を放棄することを伴うこれらの解決策案に喜んで参加する」とブランドは言い、こう付け加えた。「私たちは安全や利便性と引き換えに、自由を放棄するよう誘われ続けている。そして、これは来年、より多く目にすることになるだろう。あなたはこのことについて公の場で語っているように感じる。あなたの言葉を借りれば、『ロシアとの熱い戦争』の崖っぷちに立たされているということだ。今、私の国ではそのことが報道されている。まるで、私たちは『戦争が始まる』という予行演習をさせられているようだ」

私たちが従順になるよう、常に不安状態に置かれている、とブランドは続けた。「現在継続されている文化的緊張の煽りは、実際には、国民民主主義を超越するように見えるこの奇妙な既成の利害関係者たちよりも、実は私たちは互いにはるかに多くの共通点を持っていることを人々が認識し始めないようにするためなのだ。具体的に言えば、WHO、NATO、WEFなどの組織と、その驚くべき影響力のことだ」

これらのシンクタンクや、見かけは独立しているように見える組織は、実際にはどこから資金を得ているかを見れば独立していないことがわかる。それは大手製薬会社、政府、軍産複合体だ。また、彼らが雇用する人々も同様である。FBIやCIAなどのディープステート機関からの人々で彼らはレガシーメディアやその持続的なアジェンダと並外れた親和性をもっている。

動画はXで:

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抜粋終わり

これらのシンクタンクや、見かけは独立しているように見える組織は、実際にはどこから資金を得ているかを見れば独立していないことがわかる。

そりゃそうだ。

それがわからない人たちを「セレブ」「知識人」っていうのが、「天皇」とか言う邪鬼の済む島の決め事なのです。

私たちが従順になるよう、常に不安状態に置かれている、とブランドは続けた。「現在継続されている文化的緊張の煽りは、実際には、国民民主主義を超越するように見えるこの奇妙な既成の利害関係者たちよりも、実は私たちは互いにはるかに多くの共通点を持っていることを人々が認識し始めないようにするためなのだ。具体的に言えば、WHO、NATO、WEFなどの組織と、その驚くべき影響力のことだ

「天皇」も、WHO・NATO・とかと同じ「洗脳搾取機関」です。

「危機は常にある解決策を正当化するために利用され、おとなしいか怯えている国民は、たいていの場合、自由を放棄することを伴うこれらの解決策案に喜んで参加する」

これは日本も同じ。

で、殺人mRNAワクチンを、国民に「打った」のである。

実際NATOは必要なのだろうか?大学に行かず、普通の労働者として生活のために働いている人たち、たとえば警察や消防隊員、看護婦や教師など、国に真の価値を提供する仕事に就いている人が考えること、それが本当のことであるかもしれない

天皇やその閨閥・大概の知識人の考えることは、嘘である。

「天皇」からして、海賊王英国王の英国に留学~人質と洗脳にいくのだから、、日本人に有害なのは明白である。

そもそも「天皇にとって、民は草」が、天皇神道であり、天皇なのですから、日本人には「天皇」が邪魔・最大の仇敵なのは、確かな事なのです。

天皇家を根絶して 日本人を救う

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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