なんだ、パワハラは「天皇」が原因かも。


上記文抜粋
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「指導者からパワハラを受けたことは?」学生への11年間の調査から見えてきたもの

 ハラスメント教育

ジャーナリストの島沢優子さんは長くスポーツの現場、教育の現場を取材してきた。大阪の市立高校のバスケットボール部で男子生徒が顧問による不適切な指導を理由に自死した事件についての著書もある。なぜ一生懸命頑張っている人たちが、そこまで追いつめられてしまうのか。
沖縄でのハラスメント教育の現場で見えてきたものは。


一生懸命頑張っている人が死を選ぶ悲劇

宝塚歌劇団に所属する女性(25)が死亡したことを受け、歌劇団側は14日の会見で「いじめやハラスメントは確認できなかった」と述べた。この会見のあと「News23」(TBS系列)を見ていたら、元タカラジェンヌの東小雪さんが過度な上下関係などの実態を明かすのを聴いた。

「そもそも相談するという発想自体、持てないんです」と唇をかみしめるのが見ていて辛かった。事実はまだ明らかにされてはいないが、亡くなった女性はひとりぼっちでどれだけ苦しんだのか。小中高校生6人の自死案件を取材した経験を持つ私は、胸が詰まった。

一生懸命頑張っている人が、置かれた環境に耐えきれずに死を選ぶ――報道を見ると、今回の宝塚の問題は、ブラック部活問題と似ている。スポーツ界は10年前に暴力根絶宣言をしたにかかわらず、そのあとも複数の自死事件が起きた。宝塚は上級生によるパワハラの可能性、部活問題の多くは顧問によるものだ。

その二つの問題は、さらにいえばジャニー喜多川氏の性加害問題にも通底している。

私は11月2日、沖縄大学福祉文化学科健康スポーツ福祉専攻准教授の石原端子さんからオファーを受け、スポーツコーチング論の授業で講義させていただいた。聴講する学生のほとんどが運動部活動の経験がある。タイトルは「ジャニーズ問題とスポーツコーチング問題」とした。当初は「ジャニーズ問題とブラック部活」だったが、全員教員になるわけではないので前者に変更した。

「絶対的権力」の圧倒的な力

「(当時の)ジャニーズ社長と不適切なコーチは、双方とも絶対的な権力を持ってるよね。社長さんに性虐待を受けた方たちは彼に逆らうとデビューできないかも、起用されないかもと脅威に感じていたから逆らえなかった。嫌だけど抗えないときって自分は弱いからだって自責するよね?そうなると自尊心が低くなってこころを病むことだってあるよね」

二つの問題の共通の構図性を話し始めると、学生たちはスクリーンに示したチャートを食い入るように見てくれた。不適切なコーチに暴力や暴言といったパワーハラスメントを受けた選手(児童・生徒・学生)はその指導に異を唱えればレギュラーになれない、スポーツ推薦など進学に不利になるかもしれないと説明すると、多くが深くうなずいた。

「じゃあさ、私たちの社会に足らないものって何だろう?」

チャート上部にある「私たちの社会」を指し「こういったハラスメントが横行する背景や病巣をみんなで考えてみよう」と促した。4~5人ほどの小グループになって話し合ってもらい、その後発表してもらった。

「上の人(指導者)が(選手に)寄り添わない」

「(選手を)平等に見ることができる人(指導者)がいない」

「絶対的な権力者が圧倒的な力を持っている」

「自分の思いや考えを言えないのも問題だと思う」

序盤の発表で指導者本人の資質を問う言葉が並んだので「コーチだけが悪いのかな?」と問いかけてみた。すると異なる意見が出てきた。

「(学校や社会が指導者に)権力を与え過ぎる」

「大人はパワハラ、セクハラの自覚がなさ過ぎる。高齢者とか40代とか50代でも」

そこでひとりの男子学生が「タレントや生徒自身が気持ちが優しすぎるっていうか……。暴言とか、言われた話を真に受けちゃうっていうか。自分の思いとか考えを言えないのも問題だと思います」と言ってくれた。被害者側の問題をして指摘する意見だった。

じゃあ、なんで言えないんだろう?

しばらく静寂があって、次の発表者が「社会の構造が大きく変わらないと(黒板では私が、大きくならないと、と板書ミス)良くならないと思います」と話した。それを皮切りに「性虐待やハラスメントとかが嫌でも、部をやめられない構造があるんじゃないでしょうか」

次に「そのときはわからなかったけど、今考えると親からすごく期待されてて、それがすごくプレッシャーだった」と自身の経験を話す学生が現れた。パワハラや暴力を保護者が容認していたという話も出た。なぜなら「暴力的な指導で結果が出るから、された側も親とかもそれでいいと思ったのではないか」。暴力などが容認されるひとつの背景として「結果が出るから」「勝てるから」という理由があがった。

「恐怖学習」が奪うもの

そこでいったん私がマイクを預かり「恐怖学習」の話を伝えた。

「指導の対象になる側の意見や気持ちを聞かずに、一方的に命令したり怒ったりすることで発奮することを期待する指導法は、恐怖学習とか一発学習と言われます。繰り返されるとトラウマになりバーンアウトしやすくなる副作用がある。自分で考えたり主体的に行動できなくなります」

多くの学生がノートにペンを走らせていた。

その後、社会に足らないものを整理した。私からは「人権意識の欠如」「利他的でなく利己的」に傾きがちな私たちの社会の病巣を伝えた。例えば、話し合いや発表の際「えー、わかんないから先に言ってよ」「できないよ。誰かやって」といった言葉が聞こえてきたことを例にして、「何かの役を人任せにしたり、考えずにスルーすることってどうなのかな?」と問いを投げることもした。ヒエラルキーのなかで忖度する私たちの社会や自分自身についても考える機会になったかと思う。

この日80人ほど集まってくれたが、毎年50~70人くらいが出席するこの授業。私を招いてくださった石原さんは教育界とスポーツ界に暴力根絶宣言がなされた2013年度から、この授業を聴講する学生たちに「指導者からパワハラを受けたことはありますか?」と尋ね続けてきた。セクシャルハラスメントは学生は答えづらいので、あえてパワハラだけの調査にした。

11年間の調査から見えてきたもの

初年度の13年度は全体の41%が「受けたことがある」と答えた。そこから2、3年は同程度だったが、16年度から割合がどんどん減って20%台前後に推移するようになった。しかしながら、自死や部活のパワハラ報道は絶え間ない。21年1月には沖縄県の高校で運動部活生が顧問からのパワハラを苦に自死した。

「もしかしたらこの問題への意識自体が薄れてきたのではないか、とも考えました」

そう話す石原さんは、調査開始から9年目の21年度から少し方法を変えた。

パワハラとセクハラってこういうことなんだよと伝える授業をしてから、調査することにしたのです。調査方法もそれまでの自由な記述式から、具体的な例を読んで自分の経験が合致するかどうかを答えてもらうチェック方式にしました」

日本スポーツ法学会が「実践!グッドコーチング」で示されたパワハラ6類型に基づき該当項目にチェックを入れる方法を用いた。それは、身体的な攻撃、精神的な攻撃、人間関係からの切り離し、過大な欲求、過小な要求、個の侵害の6項目に分かれている。

パワハラの定義と具体像を理解してもらった結果、21年度は60%、22年度は61%、今年度は44%だった(データ非公表)。ハラスメント教育の授業をしてから調査をした際、学生から「こういうのがハラスメントですよって先に共有しないといけないですね。ハラスメントを受けた経験のあるなし関係なく、学ばないといけないって思った」と感想をもらった。

「それはハラスメントだ」と知ることの重要性

そのような取り組みをしてきた石原さんは、自死してしまった女性の環境についてこう推察する。

「宝塚はもしかしたら、それが宝塚だと言えばみんな我慢してしまう環境だったのかもしれません。苦しくてたまらなくても(東さんが言ったように)相談する発想自体がないのでは、人間の成長に最も必要な心理的安全性が永遠に確保されません。ヒエラルキーがあるのが前提では、また同じことが起きるでしょう」

ひとつ加えると、下級生への指導やケアを上級生任せにしてしまう危険性も考えたほうがいいと思う。上級生も下級生もいずれライバルとなる。指導のなかに良くない感情や嫉妬が混じる可能性は否定できない。以前、野球部などで同じポジションの下級生を上級生がいじめた事実を何度か取材した。組織にパワハラを容認する空気があれば、上級生が下級生に対し同じやり方を用いるのは自然なことだ。

では、このような状況にある組織は、どう改革すればいいのか。石原さんは具体策をふたつ挙げてくれた。

「まずハラスメントはこういうことだよと伝えること。場合によっては経営者や指導者たちも学び壊し、学び直しをする必要があるでしょう。もうひとつは、そこをオープンな環境にすること。上級生と下級生だけの空間にせず、そこにほかの大人がかかわっていくのが望ましい。閉鎖的な環境になるとパワハラが起きやすい。監督と選手だけの現場にせず保護者や外部コーチといった他者を入れる。つまり人と場、その両方からアプローチすることです」

この考え方は「クルト・レヴィンの法則(場の理論)」をベースにしているという。心理学者レヴィンは、「人の行動はその人を取り巻く環境、すなわち『場』の力によって影響を受ける」と説いている。心理学の数式でいうと、個人と環境の掛け算をした先に人や組織の成長があるのだ。

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抜粋終わり

そこをオープンな環境にすること。上級生と下級生だけの空間にせず、そこにほかの大人がかかわっていくのが望ましい。閉鎖的な環境になるとパワハラが起きやすい。監督と選手だけの現場にせず保護者や外部コーチといった他者を入れる。つまり人と場、その両方からアプローチすることです


ふと思ったのが「天皇制国家」は、言語や文化で「閉鎖空間」にすることで

庶民を天皇家やその閨閥がいびり殺せるようにしているのだ。


あと、重要なことは「権力勾配」を理解できない・「上官の命令責任」を理解できない、「社会学超後進国」であるのも重要である。

ようするに
「人を指導する立場の心持・その地位で起きる事態・それへの対処法」とかの学術や知見が、著しく「低い」と私は思う。

第一「子供のいじめ自殺」がこれほど続出しているのは、「教師の教育」が、その辺の「権力勾配」とかの知見を知らしめているか、かなり疑問であるし。

(当時の)ジャニーズ社長と不適切なコーチは、双方とも絶対的な権力を持ってるよね。社長さんに性虐待を受けた方たちは彼に逆らうとデビューできないかも、起用されないかもと脅威に感じていたから逆らえなかった。嫌だけど抗えないときって自分は弱いからだって自責するよね?そうなると自尊心が低くなってこころを病むことだってあるよね

これか海外なら、中国だろうがロシアだろうが、イスラエルだろうが、ジャニーズ事務所が即閉鎖クラスの「虐待・暴行案件」なのに、司法・国家が動かない。

まあそれだけ「社会学的知見」が超遅れている証拠である。


パワハラは、天皇制存続に不可欠なのである。

「文句を言わず、天皇の・国家の・言いなりになれ」が、明治帝政であり、敗戦後も、基本は変わらなかったのである。

その証拠が、日本大学とか宝塚歌劇団をみたら、一目瞭然なのです。



これは、武士による低身分者に対する殺人を許可したものではなく、町人等による過度の無礼行為(暴言、ハラスメント)を原因とした殺人について阻却事由とすることを示したものに過ぎない。
従って、「吟味之上無紛においては」とあるように、実際には裁判が行われ、武士側は阻却事由の証明を求められる一方、町人側は「無礼には当たらない」ことを訴えるため、裁判は難航するのが普通だったようだ。しかも、実際の裁判では町人の方が証人が多く、裁判費用も十分にある一方、武士を擁護するものは殆どおらず、裁判は常に町人側に有利な傾向にあったらしい。

その辺は、天皇の力を削いだ江戸幕府がまともであったわけで




自国民を虐待した挙句に
「少子化で困る」「移民」「でも技能研修生はいびり殺す」
など、さすがは、人でなしの天皇ともっと外道なその閨閥とその臣僚の為すことである。



天皇撲滅 日本人救助


天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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