大事な歴史の話。
冷酷ではありますが、この歴史観は大事なんですよね。日本は律令国家の段階で中国からいろいろなものを取り入れ、中国文明に並ぼうとした。しかし本体は未成熟のまま、表面にだけメッキをするにとどまった。しかし平安時代後期以降にはメッキがボロボロとはげ落ちて、本来の地金がむき出しになる。 https://t.co/seMHxLUqxS
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
⇨ただ、まだメッキが残っているところもあるし、さらに、宋の文化が入ってきて新たなメッキがされるところもあるし、いわばダンダラ模様になっていく。これがいわゆるところの「日本の中世」。そのメッキが内部まで浸透して、本体自体を成熟させることができたのがいつなのか、これを考えるのが重要。
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
⇨角田文衞先生はこうした歴史観を唱え、鎌倉・室町時代は本来の意味の「中世」ではなく、ダンダラ模様の「混成古代」であると評価された。そして、日本に本来の意味の「中世」が成立するのは桃山時代になってからだと指摘された。こういう考え方、重要だと思うのです。
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
⇨では、「本来の意味の『中世』」とはどんなものか。それは世界の先進国、つまり中国の宋・元・明・清、そしてヨーロッパの中世ローマ帝国(いわゆる東ローマ帝国)の文明。日本の鎌倉・室町時代はとうていそこに肩を並べることはできなかった。冷酷な言い方ですが、日本は後進国だった。
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
⇨誤解していただくと困るのですが、これは「歴史観」の話、つまり「こういう立脚点から歴史を観るのだ」という話。上記に述べたことも、「こういう歴史観があるのだ」ということを知っていただけたらそれでいいのです。
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
>そしてヨーロッパの中世ローマ帝国(いわゆる東ローマ帝国)の文明。
— のぐち ともひろ (@skumomaro) August 31, 2023
つまり「この中世」のヨーロッパには、フランスやイングランドは含まれない。
日本だけが後進国というわけではなく、暗に西ヨーロッパも後進国だった、という意味ですかね?!
13世紀にはいりますと、さしもの中世ローマ帝国(いわゆる東ローマ帝国)も停滞の色を濃くし、世界の文明を引っ張っていく力を失っていきます。一方で西欧の諸国が急速に台頭し、グイグイと世界史を牽引していくようになります。この「主役交替」のメカニズムを究明することも重要だと思っております。
— 山田邦和 (@fzk06736) August 31, 2023
ビザンツ帝国とかいう、贔屓目に見てもイスラム勢力の膨張と共に実質終わった代物の替わりなり後釜扱いとして、
— T (@Youkanman_T) August 31, 2023
イスラム勢力を入れるのが妥当だと思うのだが。
突然失礼します。一歴史好きです。全く仰る通りです。産品でも絹本用の絹布、針、綿織物、磁器等々17世紀初めまで日本では作れませんでした。文明レベルの差は大きかったと思います。あとフォローさせて頂きました。
— ほら吹き男爵 (@horahukibaron) August 31, 2023
日本の社会学人文学的知見のすさまじい凸凹さの原因は・・て思っている。
「天皇制」とかいうカルト宗教という「土人の現人神崇拝」~国家・天皇は永遠に戦争も失政も責任を取らない~と、「神仏習合」の信仰って世界最先端的思想が同居しているのは・・・て思うと、それは、そもそも社会の発展が、いびつで「メッキを張ってごまかしていた」のも大きいわけで。
国家や社会の運営が、どんどんガラパゴス的停滞を繰り返していたので、個々人の救済の仏教や信仰が異常に発達して、それで、なんとか日本人は精神的に正気だった・・て感じにも思える。
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