「天皇」と言う幻影で狂っているのに、その上に西側支配の幻影に遣られてほぼゾンビの日本人。


より

上記文抜粋
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西側支配層はCOVID-19ワクチンでもウクライナの内戦でも情報統制で幻影を作る
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 ウクライナでの戦闘にしろ、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」にしろ、アメリカの支配層やその従属国のエリートたちにとって都合の悪い情報は検閲で排除され、事実に基づく検証をせず、都合の良い物語が流されている。流しているのは言うまでもなく有力メディアだ。

 西側支配層は事実を嫌う。内部告発を支援してきたWikiLeaksのジュリアン・アッサンジは2019年4月11日にロンドンにあるエクアドル大使館の中でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されているが、これも事実を封じ込めるためだろう。

 アメリカの当局は彼をハッキングのほか「1917年スパイ活動法」で起訴、懲役175年が言い渡される可能性がある。ハッキング容疑はでっち上げであり、「1917年スパイ活動法」もオーストラリア人でヨーロッパを活動に舞台にしていたアッサンジを起訴する法的な根拠があるとは言えない。そもそも、「1917年スパイ活動法」自体が問題だ。

 アメリカの支配層がアッサンジを拘束、WikiLeaksの活動を妨害している理由は、彼らにとって都合の悪い事実を隠したいからにほかならない。日米欧の西側「先進国」では1970年代の後半から言論統制を強化し、有力メディアは支配層のプロパガンダ機関になった。

 アメリカの支配層は以前から情報の統制を重視、第2次世界大戦が終わって間もない頃から言論操作プロジェクトを始めている。「モッキンバード」だ。デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』によると、そのプロジェクトが始まったのは1948年頃である。

 それを指揮していたのは4人。第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。フィリップの妻がウォーターゲート事件で有名になったキャサリーン。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979)

 フィリップはキャサリーンと離婚して再婚し、ワシントン・ポスト紙を自分ひとりで経営すると友人に話していたが、1963年6月に精神病院へ入院、8月に自殺している。フィリップと親しかったジョン・F・ケネディが暗殺されたのはその3カ月後だ。

 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だった​ウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。

 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開する。その結果、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。そのウルフコテは2017年1月、56歳の時に心臓発作で死亡した。

 ウクライナの内戦が始まったのは2014年2月のことである。2010年の大統領選挙で東部と南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチが勝利したのだが、それを嫌ったバラク・オバマ政権がクーデタを計画、13年11月から実行に移し、14年4月にヤヌコビッチを排除したのでだ。クーデターの主力はNATOの訓練を受けたネオ・ナチだ。

 ヤヌコビッチを支持した人びとはクーデターを拒否、ネオ・ナチがキエフを支配する様子を知ったクリミアの住民はロシアの保護下に入り、ドンバスでは内戦が始まった。オデッサではクーデターに抵抗した住民がネオ・ナチの集団に虐殺されている。こうした事情を西側の有力メディアや「リベラル派」は無視してきた。

 クーデターでヤヌコビッチが排除される前年、ロシア政府はアメリカがウクライナで生物兵器の研究開発をしていると批判していた。後にそれが事実だということが判明する。

 アメリカの生物化学兵器開発は日本と密接な関係がある。アメリカでは1943年にUSBWL(陸軍生物兵器研究所)がキャンプ・デトリック(後のフォート・デトリック)が建設され、生物化学兵器の研究開発が始まるが、本格化するのは第2次世界大戦後のことだと言われている。ドイツや日本の研究資料や研究者を押さえてからだ。

 日本では1933年に軍医学校が東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を始めたが、正確なデータを得るため、日本では生体実験が組織的に実施されている。犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んだ。

 生体実験を実施するため、軍の内部に特別な部隊が占領地である中国で編成される。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。

 1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。

 石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。

 尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。

 1950年6月に朝鮮戦争が勃発、52年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官は議会証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。

 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。

 第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。

 「COVID-19ワクチン」と呼ばれる遺伝子操作薬は免疫と深い関係がある。この「ワクチン」開発で中心的な役割を果たしてきたことが明らかになっているアメリカの国防総省は1969年6月の段階で人間の免疫システムが対応できない人工的な因子を5年から10年の間、つまり74年から79年の間に開発するとしていた。同省の国防研究技術局で副局長を務めていたドナルド・マッカーサーがアメリカ下院の歳出委員会で「著名な生物学者」の話をしているのだ。その予言通り、AIDS(後天性免疫不全症候群)が出現している。

 1970年代は医薬品業界にとって厳しい時代だった。伝染病による死亡者が世界的に減少していたのだ。そのため、アメリカではNIH(国立衛生研究所)、その下部機関であるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)、CDC(疾病予防管理センター)の存在意義が問われていたという。そうした状況を一変させたのがAIDSだった。1984年11月から昨年12月までNIAID所長として伝染病対策を指揮した人物がアンソニー・ファウチだ。

 AIDSはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)によって引き起こされるとされているが、このウイルスを発見し、2008年にノーベル生理学医学賞を受賞したのはフランスのリュック・モンタニエ。1983年に彼のチームが患者の血液からレトロウイルスを発見、LAVと名付けたのだが、その1年後、NIAIDのロバート・ギャロもAIDSの原因を特定したと発表、それをHTLV-IIIと名付けた。ギャロのウイルスはモンタニエから送られたLAVのサンプルから分離したものだったとされている。ギャロの上司がファウチにほかならない。

 AIDSへの感染もPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査で判定していたのだが、この技術を開発したキャリー・マリスもPCRはこれをウイルスの検査に使ってはならないと語り、分析の技術であるPCRをAIDS感染の診断に使うべきでないというわけだ。AIDSで死亡したとされる人の大半は「治療薬」によって死んだとも言われている。

 マリスは2019年8月に肺炎で急死、その年の12月にCOVID-19騒動が始まる。そこでファウチたち医療利権はPCRを持ち出してきた。この技術を診断に使うことができないとCDCが認めたのは2021年7月21日のことだ。

 「COVID-19ワクチン」を推進しているビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団やクラウス・シュワブのWEF(世界経済フォーラム)は人口削減も主張、シュワブの顧問を務めるユバル・ノア・ハラリはAI(人工知能)によって不必要な人間が生み出されるとしている。事、特に専門化された仕事で人間はAIに勝てず、不必要な人間が街にあふれるとハラリは考える。

 人間がアルゴリズムよりも優れている仕事につけなければ、失業するだけでなく雇用される可能性がなくなる。雇用されても変化についていくことは難しく、身につけた能力が役に立たなくなる可能性が高い。テクノロジーの進歩によって、人口の大部分を必要としないくなるというわけだ。「ベーシック・インカム」という餌を与えるだけで人びとの不満を抑えることはできないだろう。

 また、​シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組マイクロチップ化されたデジタルIDについて話している​。最終的にはコンピュータ・システムと人間を連結、つまり人間をコンピュータの端末にするというのだが、不必要になった人間は処分されるのだろう。

 かつてイギリスではエンクロージャーによって共有地などが私有化され、土地を追われた農民は浮浪者や賃金労働者になった。労働者の置かれた劣悪な状況はフリードリヒ・エンゲルスの報告『イギリスにおける労働者階級の状態』やチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』などでもわかる。

 ロンドンのイースト・エンドで労働者の集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。反乱を封じ込めるため、デジタルIDは有効かもしれないが、イギリスの支配層は移住先をつくるため、アメリカやパレスチナでは先住民を虐殺している。

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抜粋終わり

ロンドンのイースト・エンドで労働者の集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。

考えりゃ、天皇カルトの「満州移民・ブラジル移民」は、英国の植民地政策に倣ったのでしょうね。

1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。

石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。

今度は、日本人を新コロワクチンで殺し、打たないで助かった日本人は、経済苦・徴兵で殺す。

やはり、天皇は日本人の敵なのですは。

なんせ「天皇は日本人の統治に責任無い」しね。

そういえば

より

上記文抜粋
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「リーダーは時として配下を切り捨てる冷酷さが求められる」旨のリーダーシップ論を読んで仰天。私の知る歴史にそんな原理は無かったからだ。

日本であれ欧州であれ、古来リーダーの資質は「部下を見捨てない」点に求められた。武田勝頼が父信玄よりも版図を広げながらあっという間に滅んだのは、包囲された遠江・高天神城に後詰めを出さず、あまつさえ降伏許可すら与えなかったことに起因した。

・・・・・・中略・・・・・・・

当時、武田家は甲相同盟の破綻から北条家とも戦端を開いており、織田・徳川連合軍と野戦するリスクは冒せなかったものと推察されるが、後詰めを出さず、かといって降伏開城の許可も出さなかった結果、籠城中の城兵の大半が餓死した挙げ句、城主の岡部元信以下全員討ち死にという事態に終わった。
その結果、勝頼は「ブラック大名」の烙印を押されて、穴山、木曽、小山田などの一族重臣層からすら見捨てられ、翌81年の「武田攻め」を迎えるところとなった。戦国期にあっては、後詰めを出さなかった主君の権威は失墜し、籠城者の離反・降伏はおろか、ドミノ倒し的に他の武将の離反を誘発する恐れがあった。

・・・・・・・・中略・・・・・・

実際、「ベルリンの壁」崩壊前に東独でKGB要員として勤務していたプーチン氏は、「(ソ連共産党)党中央がSEDを見限って事態を放置した時に、党と国家(ソ連)を見限った」と回想している。
これらのことは、共産主義者ですら「同志・同胞を見殺しにすることは許されない」旨の倫理を持っていたことを示している。その意味でも、現代日本人だけがよほど特異な文化、社会環境に置かれていることを示唆している。

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抜粋終わり

これの羊が日本人・・・

より

上記文抜粋
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ある日、羊飼いが羊小屋の羊を肉屋に売ることにしたのですが、それを聞いた羊たちは一致団結して、今後羊を捕まえた肉屋を羊小屋から追い出しました。

羊飼いはしばらく考えてから、微笑みながら羊たちに言いました、「肉屋が今必要としているのは黒い羊だけです。もし同意しないなら、あなたたち全員売り飛ばされますよ。」

白い羊が群れの大多数を占めていました。誰もがそれについて考えました。群れのために、平和を得るために数頭の黒い羊を犠牲にすることは非常に費用対効果が高いように思えました。群れの少数派は多数派に従ったので、全員が同意しました。

肉屋はその日、黒い羊をすべて捕獲することに成功した。

黒い羊の泣き声を聞いて、生き残った白い羊は、「幸いなことに、私は選ばれなかった」と密かに喜びました。

翌日、羊飼いは羊の群れにこう言いました。「肉屋には今日は尾の短い羊だけが必要です。」

尾の長い羊が大部分を占めており、尾の短い羊をあと数匹犠牲にするのは大したことではないと誰もが考えたので、再び同意しました。

3日目、羊飼いは「肉屋には羊小屋の門より高い羊があと数頭必要だ」と言いました。

残った羊のほとんどは門に届かなかったので、売られる羊でなくてよかったと思い、同意しました。

半月後、最後の白くて、尾が長くて、ひづめが短くて、細い……矮性の羊が、羊飼いによって片手で羊小屋から引き上げられました。

羊は弱々しくもがきながら、「私はあなたの審査基準をすべて避けたのに、なぜあなたはまだ私を捕まえるのですか?」と絶望して言いました。

羊飼いは微笑んで言いました、「あなたはいつも、少数の羊を犠牲にすれば大多数の羊の利益が守られると考えていますが、この論理がすべての羊をカバーできるとは知りません。」

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抜粋終わり

あなたはいつも、少数の羊を犠牲にすれば大多数の羊の利益が守られると

日本人の処世法

考えていますが、この論理がすべての羊をカバーできるとは知りません。

今の日本人・・皆殺し。

明治以降は、日本人は同胞の見殺しが、倫理です。

学校教育からそれを仕込みますし。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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