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【観劇レポ】らしさは一つに限らない「ラ・カージュ・オ・フォール」

2022年観劇レポ第4弾「ラ・カージュ・オ・フォール」大阪4/29公演。

春の嵐とはまさにこのこと、台風のような土砂降り、横殴りの雨風の日でしたが、開場時間の少し前にピタリと止みました。最近気候の変動が激しいですね。

さて座席は1階席のちょうど真ん中。豪華絢爛なショータイムも見どころなので、全体をバランスよく見れる席で大満足でした。

外の曇り空とはうって変わって、舞台には穏やかな海を思わせる淡い水色のカーテンと、「ラ・カージュ・オ・フォール」の文字が光るネオン看板。チューニングを終えると、ノリの良いマエストロが手拍子を煽り、観客と会場の空気を温めて、満を持して幕が上がる。

印象的な場面

劇中劇として劇中の4分の1くらいを占める、ドラァグたちによるパフォーマンスシーン。たくましくもありながら美しくもあるその御御足。力強くも軽やかなステップ
芸術的な早着替え、ポールから降り立ち、重いドレスをドラァグ(引きずり)しながら踊る場面は美しく圧巻でした。ハンナ役・マジーの鞭捌きは官能的(※そういう趣味はございません)。鞭ってあんな音が鳴るんですね・・・。
本物のドラァグショーは見たことがないのですが、一度見てみたいものです。

ザザがダンドン議員のおでこを叩くシーンでは、思いのほか力が強かったのか、当たり所が良かったのか・・・「ぺチン!!」めちゃくちゃ良い音が会場に響いてました(笑)。キャスト陣も思わず笑ってしまうほどのいい音。こういう不意のプチアクシデントのようなところも、生の舞台ならでは。

「こいつらはホモだぞ!」と娘のアンヌに向かって怒鳴るダンドンに対し、アンヌが毅然と「そんなことは本人たちがよくご存じです」というセリフは秀逸やなあと思いました。THE感動的名場面でもないし、観客からは笑いがこぼれるようなシーンですが、このセリフは作品の本質を突いた言葉な気がします。

全体的にコメディタッチなので、いたるところに笑いのスイッチが仕掛けられておりました(先週、バッドエンドなミュージカルを観たばかりなのでギャップが・・・)。
セリフ回しだけでなくて、絶妙な「間」もコメディでは大事。母に扮するザザがジャクリーヌに言いくるめられて1曲歌うというシーンで、ミッシェルの「さよなら僕の結婚」(シャンパンを飲み干す)の一言は完璧な「間」でした。

そしてまさに長年連れ添った仲であるジョルジュとアルバン、鹿賀
&市村コンビのそれは夫婦漫才のそれ(全体的に少し鹿賀さんの声が小さめでしたが)。そして、役どころも20年以上連れ添った「夫婦」ですが、両氏の実際の年齢も相まって、動かない体や固くなってしまった体が妙にリアルで、メタ喜劇的な雰囲気もありました。

フィナーレ。予想していたとはいえダンドン夫妻がハイレグな衣装で踊るところは、ジョルジュのセリフ通り「目に焼き付いて離れない」ですね。モリクミさんのダイナマイトボデーがダイナマイト。今井さんのがっしりボデーががっしり。カーテンコールに繋がる大団円。

どのわたしも私

この作品自体は歴史あるもので、現代のように性的マイノリティに代表される「様々な個性」に対する理解が浸透していなかった時代から愛されてきた作品。

親子の愛、自分らしさ、性的マイノリティへの理解、承認欲求。作品のテーマはいつの世にも普遍的に通じるものが散りばめられていますが、「どんな自分でも、自分は自分」というのが今回一番強く感じ取ったものです。

舞台での「ザザ」であるアルバンも、息子を想う母であるアルバンも、息子のため「アルおじさん」を演じるアルバンも、生涯のパートナーとしてジョルジュに連れ添うアルバンも、すべて「アルバン」。
自分らしさは決して一つに限ったものではなく、時や空間、あるいは過ごす人と環境・状況によってさまざまな顔を持ちうる。

それは決して性的マイノリティに限った話ではなく、誰にでも通じるところがあるのかなと思います。
例えば家庭での自分と、学校での自分はキャラクターが違うという話も、良くある話。苦手な上司も家に帰れば誰かの親で、道ですれ違う名も知らぬ人も誰かのパートナーであるかもしれない。
みんな複数のキャラクターを持っていて、時には「らしさ」を演じているかもしれない。それは時に苦しさを生むときもあるけど、どの自分も自分なんだと、認めることができれば生きるのが少し楽になるかもしれない。

やや拡大解釈ですが、こういう風に思うと、人に、そして自分に少し優しくなれる気がします。

カーテンコール

合計何回幕が上がり、降りたことでしょう。
たぶん10回近くはありました

キャスト陣が一人ひとり出てくる、いわゆるカーテンコールの部分は割とあっさりでしたが、舞台に全キャストが集合してのカーテンコールは、鳴りやまない拍手の中で「これでもか!」というくらい見せていただきました。

ことあるごとに言いますが、僕はカーテンコールが大好物でしてですね。
拍手や笑い声など、ストーリーが進む中でもキャストと観客のコミュニケーションはあるのですが、カーテンコールは相互コミュニケーションの最たるものと思っております。

観客側からは、演技・舞台への賞賛を。キャスト陣からは観劇と無事公演を終えられたことへの感謝を。あるいは、キャストや観客が個々に抱く思いを。言葉だけでは語れない感情や思いをやり取りする場がカーテンコール

本当にいい意味でしつこいくらいに舞台へ戻り、観客へ笑顔で手を振ってくれるキャスト陣を見ると、これだけで見に来てよかったと、そう思えるのです。

作中で「今この時」という楽曲があります。カーテンコールで幾度となく演奏されるこの曲は、公演を終えたまさにこの瞬間、「今この時」を惜しみ愛するキャストと観客を象徴する曲だなあと感慨深く聴いていました。

マスクの下の笑顔が見れますように

劇中、ザザ(市村さん)が観客に向けて話す場面がありました(「オリバー!」でもあったような)。半分アドリブのような、こういう客とのやり取りの市村さんは心から楽しそうで生き生きされています。

大阪公演ということもあって、関西弁を織り交ぜながら、観客に向けられる言葉はザザの言葉であり、アルバンの言葉であり、市村正親の言葉でもありました。

曲入りの直前に、「皆さんのマスクの下の笑顔が見れる世の中になりますように。みんな頑張ろうね!!」と仰ったその言葉、それに応える割れんばかりの拍手が印象的です。

本作のようなコメディはもちろんのこと、どんな舞台・ミュージカルでも、キャスト側から観客の反応が見えづらいのは、手応えが掴みにくい部分もあるのだろうと思います。
もちろん僕ら観客側は、拍手という表現方法で精いっぱいの賛辞を、感謝を、感動をお伝えしています。でもやはり、舞台という生ものの中で、その瞬間しかない時間を作り手と観客が共有するには、マスクが少し煩わしい。

まだまだマスクは手放せない様子ですが、せめて心にはマスクをせず、全力の拍手で感謝をお伝えしたい。

そしてマスクを外せる世界が訪れたその時には、時には大爆笑で、時には涙で顔をぐちゃぐちゃにして、舞台の作り手たちに観客の心をお伝えしたい。

ザザの言葉を糧にして、もう少し頑張ろう。

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