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● なぜ土星なのか?_ メランコリー、我々は星の徴(しるし)から逃れられるのか?

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『 土星とメランコリー 』
- 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究
レイモンド・クリバンスキー、アーウィン・パノフスキー
フリップ・ザクスル 共著

ゴメンなさい、結論のようなものは用意していなくて(汗)、
今日も、本の紹介。600ページを越す大著。

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【 なぜ土星なのか 】

画家パウル・クレーの作品 “ 新しい天使 ” を所持していた
哲学者のヴァルター・ベンヤミン

ベンヤミンの著書『ドイツ悲哀劇の根源』には、
モザイクのように唐突に「土星論」が差し込まれている。

この節では、メランコリーを巡って、
ヘレニズムの科学(=占星術)や、禍々しいサトゥルヌス(土星)の
影響などが記載されている。

美術史家のパノフスキーヴァールブルグの研究を引きながら
ベンヤミンは さりげなく
私にとって“ 天啓 ”であった、フィチーノの ある言葉を引用しはじめる。

“ つまり土星は・・フィチーノを引用すれば
<ふつうの性格や運命を表すことはめったになく、
ほかの人びととは異なった人間、つまり神的な人間か獣的な人間、
きわめて幸福な人間かどん底の悲惨さに うちひしがれた人間を表わす>”
『ドイツ悲哀劇の根源』p234

この言葉にインスピレーションを得て、
私は “ 神的な人間か獣的な人間 ”を、現代日本人であると解釈しなおし、
『メランコリック・サターニアン』という巨大な絵画作品を制作する。

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(↑)メランコリック・サターニアン 富永 大士 制作  木製パネルに油彩

アメリカの批評家 スーザン・ソンタグも著書『土星の徴しの下に』にて
メランコリーに没入し、過去の記憶の瓦礫を拾うこと(=天使)が
かなわないベンヤミンについて書いている。

なぜ土星なのか 

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メランコリアと土星(サトゥルヌス)のこのような密接かつ根源的な関係は、
多血質と木星(ユピテル)、胆汁質と火星(マルス)、そして粘液質と月(ルナ)または
金星(ウエヌス)といった、これに対応する結合と同様に、九世紀アラビアの学者によって
初めて確立されたと考えられる。
『土星とメランコリー』p123

『土星とメランコリー』によれば、
古代生理学では、
● 体液(血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液)
● 季節(春夏秋冬)
● 性質(熱湿、熱乾、冷乾、冷湿)
それぞれ完全に対応する。

更に本書では、アリストテレス学派、スコラ学の医学、占星術、哲学や文学で
“ 土星とメランコリー ”がどのように扱われてきたか、
その変遷を横断的につぶさに書き記している。

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近代、というかポスト-モダンの現代日本で育った私にとって、
これらすべては、全く新しく知る" 未知の体系 "

(↑)前回のノートでも書いたように
近代は、「科学」と「芸術」という“ 双子 ”によって駆動し、発展してきたけれど
その双子が生まれる以前、
中世という近代の“ 母体 ”、さらに遡って
古代ギリシャという” 種子 ”に関心が向き、

自分の頭の中に、
巨大なパースペクティブが生まれた、
1つのメルクマール(旗印)のような本です。

人間の歴史には、
“ 土星 ” や占星術という巨大な体系が、常に傍流(時には主流)としてあり
いまでも通奏低音として流れているのかもしれません。

* * *

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富永 大士(タイシ)
京都を拠点に、絵を描いたり、アクセサリーを作って 生活しています

https://www.instagram.com/taishi_tominaga/ (日々のアレコレ)
https://www.creema.jp/c/aura_loco/item/onsale (アクセサリー)

この note では、画家 である私自身の体験を通して
「 観たこと / 感じたこと / 考えたこと 」を投稿していけたら、
と思っています。
どうぞよろしくお願いします。

タイシ 於 京都  6/25 , 2020



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